【12】戦慄のアルバイト

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【12】戦慄のアルバイト

 十七時過ぎに客と同伴の約束をしていた美波は八城家を出た。京太郎はアルバイトの鎌田翔太とレジ上げをしていた。普段のレジ上げはBGMは切るのだが、若者がいるのでつけたままにしてある。    「結愛ちゃんとは別のクラスだけど、かわいいから知ってますよ」  「おとなしい子だから仲良くしてあげてくれ」  「はい」  翔太は賞味期限を確認しながら、前出しと商品の補充を行っていた。段ボール箱からカップ麺を取り出す右手の甲には、黒いマジックインキのインクが付着していた。安売りの品のポップを書いている京太郎とぶつかった際に、翔太の手にインクが付着したのだ。細かいことは気にしない性格なので、そのまま仕事を行っている。  「バックヤードに行ってきます」  レジ上げをしていた京太郎は顔を上げて返事した。  「うん」  仕事を覚えるのも早いし、気も利くし、いい子だし、言うことなし。と笑みを浮かべて電卓を叩き、精算のレシートを出した直後、飲料が並ぶガラス扉に女の顔が映った。  見覚えのある顔―――  幕の内スーパーで見た怨霊の美幸だ。  しかし、店内に彼女の姿はない。だが、ガラス扉に映り込んだ美幸は、真っ赤に充血した眼をこちらに向けている。店内の照明が点滅を繰り返し、BGMが止まった。  スピーカーから呻くような声と、水の音が聞こえた。  「うぅぅ……うぅぅ……ゴボゴポ……コポコポ……」  この場から逃げようとしたが、カウンターの向かい側に、突然、美幸が現われたのだ。  驚いた京太郎は、カウンターの上に置いていた硬貨を落としてしまった。金属音が響いた瞬間、美幸はこの場から姿を消した。  ついにこの店にも出るようになったか……重苦しいため息をついた。  バックヤードにいる翔太は、探していた商品を手にする。レジ前に置いたガムが品薄になっていたことを思い出し、ついでなので持っていくことにした。    音痴なのか調子はずれな歌を口ずさみ、お菓子の在庫が置いてある棚に向かった。  駄菓子の在庫が置いてある方向からカサカサと音がする……まさかゴキブリ!?  音がする方向を覗いてみると、そこには頭から血を流した魁斗が立っていたのだ。初めて見る怨霊に慄然とし、息が止まりそうになった。    血相変えてバックヤードから店頭に飛び出した。  「店長! 出た! 幽霊が出たんですよ!」  咄嗟に訊く。  「女を見たのか?」  「いえ、少年です。怖かった。一瞬息ができなかった」  魁斗だということがすぐにわかった。  「……。そ、そうか」    「マジで出るんですね。なめてました。奇霧界村の未解決事件の繋がり。被害者は美幸とその子供、そして彼女の彼氏。俺が見たのは……美幸の子供、魁斗です」  「どうして事故物件なんかに引っ越してきたんだい?」  「刺激が欲しかったんですよ。心霊現象とか興味あるし、テレビでの特集は絶対見ます。だけどリアルものは迫力がハンパないっすね」  「ご両親はアパートが事故物件だって知ってるの?」  「知らないです。知ってたらいくら格安でも事故物件になんか引っ越さないですよ」  忠告した。  「怨霊にはむやみに接触しないこと。おそらくこれから先も、この店に怨霊は出る。美波さんには内緒にしておこう。怯えてしまうから」  率直に訊いた。  「美波さんって愛人ですか?」  「そんなんじゃないよ。ちょっと訳ありでね。変な想像はしないでくれよ」  変な想像。いい年した男女が一つ屋根の下に住んでるんだから、誰でもエッチな想像しちゃうよなぁ……  「はい……」と、とりあえず返事した。  「レジ上げもまだ終ってないし、怨霊から逃げてばかりいては仕事にならない」と、覚悟を口にした。「終らせてしまおう」  「俺も残ります。店長を残して帰るのは心配です」カップ麺の在庫が置いてある棚の方向を見た。「補充やっちゃいます」  「すまない、助かるよ」本音を言った。「本当はひとりで作業するの怖かったんだ」  「あんなの見たら誰だって怖いですよ」  ひとりで行動するのは危険なのでふたりでバックヤードに入った。必要な商品を台車に載せて店舗に戻る。    翔太はお菓子を陳列棚に置いて振り返ったそのとき、至近距離に美幸が立っていたのだ。充血した双眸を見開き、こちらを睨みつけている。  右手の甲に付着したマジックインキのインクを凝視し、悍ましい声で名前を言う。  「桃木……ゴボゴボ……」  スリルを求めていた。このままでは呪い殺されそうだ。命の危機を感じ、悲鳴を上げた。  「店長! 助けてぇぇぇぇ!」  美幸の手が翔太の喉を握った。  「桃木……ゴボゴポ……コポコポ…ゴボッ……コポ」  凄まじい力に喉が押し潰され、全く声が出ない。  「ゲフッ!」  京太郎は電卓を放り投げ、翔太へ駆け寄った。恐ろしい美幸を目の当たりにし、腰を抜かしそうになったが、渾身の力を込めて体当たりした。美幸は消え、翔太は助かったが、安堵したのも束の間、ふたたび現われる。店内の照明がバツン! と、切れた。体を捩らせながら通路を歩く姿が見えた。  「殺す……も…も…き…」  「桃木って誰だよ!? 俺は桃木じゃない!」  「何を言っても無駄だ。怨霊の耳には届かない」  京太郎は翔太の手を引いて全力疾走し、店内から出て、バックヤードを横切り、外に飛び出した。生ぬるい夏の夜風が頬を掠める。    「これから霊媒師の紫音さんのところに行く。こんなときに頼れるのは紫音さんしかいない」  「……紫音さん? 喪服を着た占い師のおばあさんのこと?」  「そうだよ」  恐る恐る疑問を口にした。  「俺の推理だけど、桃木って……もしかして美幸を殺した犯人なのでは?」  「僕の親友だった。そんなことするやつじゃないってことを僕がよく知ってる。あんなに優しいヤツはいない」桃木をよく知るからこそ否定する。「じつは桃木には珍しいほくろがあったんだ。そのほくろの位置が君の手の甲についているインクと同じような……」と、言ったあと、青ざめた。「もしかしたら、美幸を殺害した犯人は、手の甲にほくろがあったのかもしれない。だから犯人を桃木だって勝手に思い込んでいる気がする」車庫の前にある水道の蛇口を捻った。「そのマジックをいますぐ落としたほうがいい」  慌ててマジックインキのインクを落とす。  「俺を睨んでいたあの目は、本当に恨んでいるんだと思う。桃木って人がなんらかの形で事件に関わっていたのかもしれません。店長の知らない一面を持っていた……つまり二面性があったとしたら」    「彼は僕の幼馴染の親友なんだ。それ以上悪く言わないでほしい」横断歩道へ向かって歩く。「紫音さんのところに急ごう」  死者の思い出は美しい。一度、疑ってみるべきだ。だけれど、京太郎は人を疑うことを知らなさそうだ……お人好しタイプだ、と思った。  「……。はい、すいません」    アパートに到着した。  京太郎は102号室のチャイムを鳴らす。  するとすぐに紫音が顔を出した。  「おや、店長さん。どうしたんだ?」  京太郎はいま起きたことを説明した。  「店にも美幸が出ました。うちのアルバイトの翔太君が狙われてしまってお祓いしてあげてください」  「悪霊は払えても美幸は払えない。だから海斗がふたりの亡骸を探しているだろう。お祓いで済むならそうしている」  翔太は藁にも縋る思いで訊いた。  「何かいい方法はないんでしょうか?」  「唯一の方法は、アルバイトを辞めてさっさとこのアパートから出て行け。取り憑かれたらどこに逃げても追いかけてくる。その前に逃げろ」  「親はまだ幽霊を見ていません。なんて説明したらいいか……」  「くたばりたいならここにいろ。生きていたいなら出て行け。店長さんよ、あんたは自宅に帰っても大丈夫だろう」翔太に目をやる。「お前は友達家にでも泊まりに行ったほうがいい」  「わかりました……」と、悄然とした。泊まりに行けるほど仲の良い友達なんていない。この事故物件に住めばクラスの人気者になれる、そんな甘い現実を想像していた。クラスメイトに注目されたかっただけなのだ。  「じゃあな、疲れているから寝る」  紫音は玄関のドアを閉め、鍵をかけた。  友達がいるふりをした。  「荷物を纏めて、友達家に泊まりに行きます」  「うん。それが一番いいと思う。後日、給料を取りに来てくれ」  「俺ももっと店長さんと仕事がしたかったです。こんなことになって残念です。スリルを求めていたのに、あれ程までに怖いと……遊び半分でここに引越してきたことを後悔しています」  「早く友達のところに行ったほうがいい」  「はい」  翔太は軽く会釈して、自宅の101号室に入っていった。    「さてと……レジ上げしてしまわないと」重苦しい溜息をつく。不安でいっぱいだ。「大丈夫だよな、たぶん……」  紫音が戻っても大丈夫と言うなら大丈夫なんだろう……ヤシロマートに戻った。  その後、翔太は、のんびりとテレビを見ている両親にいましがた体験した恐ろしい出来事を説明した。しかし、全く相手にしてもらえなかった。  友達もいないので仕方なく自分の部屋に入った。美幸が出ないことを祈るばかりだ。カーテンを閉めようとして、窓に歩み寄ったとき、鬼の形相の美幸がガラス越しに立っていたのだ。  驚愕し、悲鳴を上げた瞬間、美幸の姿は消えていた。  だが、背後に人の気配を感じた。    恐る恐る振り返ってみると、至近距離に美幸が立っていた。両親がいるリビングルームに逃げようとしが、突然金縛りにかかった。  全く声が出ない。  殺される―――  動くのは双眸のみ。  「殺す……」  俺は桃木じゃない! と、心の中で叫んだ。が、その叫びは美幸には届かず。翔太の首を締め上げた。店舗では京太郎が助けてくれたが、ここには誰もいない。  「ゴボゴポ……コポコポ……コポコポ…殺す…守る……コポコポ……殺す」  美幸が指先に力を込めた、そのとき―――静まり返った室内にボキ! と痛々しい音が響いた。  頸椎をへし折られた翔太は、糸が切れた懸糸傀儡のように頭部がダランと下を向いた状態で床に倒れた。  「殺した……こ……ろ……した。も…も…き」  呻くような声を出した美幸はこの部屋から姿を消した。
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