【15】死者の記憶

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【15】死者の記憶

 二十三時五十分。もうすぐ零時だ。海斗と結愛はバス停に行くため、アパートから出た。今夜は晴天だ。満月と星々の光が夜道を照らす。  バス停まで歩いたふたりは、スマートフォンの画面の光で時刻表を照らしてみた。すると、あり得ないことに深夜零時の奇霧界村行きが表示されていたのだ。  結愛はバスを利用することは滅多にないが、零時のバスがないのは確認済みだ。それに長年ここに住んでいて零時にバスが通ったのを見たことがない。    「目を疑う……どうして?」  「やっぱり、あの夢には理由があったんだ」  零時丁度、夢で見たとおりの塗装が剥げて古びたバスが現われた。バス停の前で停車したので、気味が悪いと思いながらも乗ってみることにした。  車内には生気を感じない運転手と乗客十人が乗っていた。運転手を合わせて十一人。行方不明となった人たちが乗っているとう噂。結愛は乗客の顔を確認するが、母親は乗っていない。この怨霊バスにさらわれたわけではないようだ。  ふたりが座席に腰を下ろすと、すぐに発車した。    山間の道路を走行する。事故を起こしたとは思えないほど、安全運転。何故、急カーブで事故を起こしたのか不思議だった。帰りもこのように安全運転なら何の問題もない。  肝試しに行った和真たちも、おそらく同じくらいの速度で走っていたはず。死んだ友達のことを思い出し、目に涙が浮かんだ。  「急カーブで和真たちは死んだ。みんなの魂も救えるといいんだけど」  「これが解決したら救える。きっとお母さんも見つかる」  通路を挟んだ隣の座席に座る女が言った。  「死者を救う。誰か……私達を救って」海斗に顔を向けた。「あなたは私達を救えるかしら」  陰鬱で怖い。口を利かないほうがよさそうだ。ふたりは無視した。  別の乗客が意味深な台詞を言う。  「美幸の呪い……」  魔のカーブを過ぎて、しばらくしてから廃墟が見えた。バスは左折して、奇霧界村のバス停へ停車した。ドアが開いたので、座席から立ち上がり、乗車口に歩を進めた。  窓ガラス越しに見える光景は、不思議なことに街灯に照らされていた。電気は通っていないのに……訝しげな表情を浮かべ、外を見つめた。  無表情でフロントガラスを見つめたまま、運転手がポツリと呟く。  「盗んですまない」  意味がわからなかった。しかし、運転手の後悔を感じた。事故を起こしたことと何か関係があるのだろうか?    ふたりはバスから降り立った。  海斗は結愛に顔を向けた。  「何があるかわからないから絶対に俺から離れないで」  「うん」  周囲を見回した。初めて来るのに初めて来た感じがしない。夢とまるっきり同じ。やはりあれは予知夢だった。振り返ってバスを見てみる。そこに停車したままだ。    結愛は、京太郎が若い頃に経営していた幕の内スーパーに目をやった。ヤシロマートに似ていると思った。  ふたりは歩を進め、ファントム奇霧界へ辿り着いた。錆びた鉄骨階段を上がり、二階の通路に立つと、前方に道子が立っていた。  結愛は目を見開いた。  「引越祝いの花火をしていたときにいた女の子だよ」  「夢の中にも出てきた。幼女誘拐事件の被害者、道子ちゃんだ。あの子が俺をここに導いてくれた」  204号室の手前で道子は手招きする。  「来て」    ふたりは道子に歩み寄った。  海斗は尋ねた。  「昨日夢の中で言っていた “死者の記憶の中に入る” ってどういう意味なの?」  「それがあたしの特殊能力。紫音でもできない。これからあたなたちは過去を遡ることになる。それは美幸の記憶の断片」ドアの取っ手を指した。「恐れずに中に入るの」  海斗はドアの取っ手を回した。玄関が見えた瞬間、夢と同じように、目が眩むほどの強い光に包まれたのだ。次第に強烈な光は穏やかな光へと変化した。  現在の時刻は深夜一時。死者の記憶の断片は、時間の概念が存在しない世界。  昼間の明るい玄関に足を踏み入れると、美波が使っている寝室の前に長い黒髪の美しい女が立っていた。透明感のある瑞々しい肌、美しい双眸を縁取る長いまつげ、桜の花びらのような唇。  これが生前の美幸。悍ましい姿となってしまった怨霊の美幸とは思えない。怒りと悲しみが彼女を殺戮の鬼にしてしまった。    寝室に入った美幸はベッドの下から手提小型金庫を取り出した。そのとき合鍵でドアを開けた河野正敏が半開きのドアの寝室に歩を進めた。彼は、通路に立つ海斗と結愛の体をすり抜けていった。  彼らには自分たちの姿は見えていない。彼らの会話が気になるので、ふたりも寝室へ入った。  正敏は寝室に入った。  「魁斗はまだ学校から帰ってきてないの?」  「うん。友達の家に遊びに行った」と返事して、手提小型金庫の鍵穴に鍵を通し、中身を見せた。現金百万円ほど入っている。「すごいでしょ」  目を見開き驚いた。  「おいおい、そんな大金ここに置いていたら危ないぞ。住人の中には借金があるヤツだっているんだ。銀行に預けるべきだよ」  「そのうちそうするつもり。本当は自分の為に貯金をしていたんだけど、魁斗が生まれてから魁斗貯金になっちゃって。高校卒業して社会人になるときに持たせてあげようと思うの。ある程度の貯金は必要だから」  「過保護にしすぎなんじゃない? 俺なんてほぼ無一文で実家から追い出されたぜ」と、苦笑いした。  「確かに、過保護かも」と、笑みを浮かべて返事し、鏡台の引き出しを開け、名刺を取り出した。「こんなに貯めれたのは、このお店のおかげ」  「前に勤めていたスナックの名刺か」  スナック……美波と同じ……美幸の以前の職場が気になっていた海斗は、名刺を覗き込んだ。  【麗】瑠璃    驚愕した。美波が務めているスナックと同じ。その上、源氏名まで同じだった。美幸に美波……本名もなんとなく似ている……  正敏が不安げな表情を浮かべた。  「その店にいたころの客もこのアパートに住んでいる。君を追いかけて来たんじゃないのか? 俺は本当に心配なんだよ」  「桃木さんが奇霧界村でお店を始めたのは知らなかったの。本当に偶然なの。桃木さんも坂上さんも危ない人じゃないわよ。いいお客さんよ」  「随分と肩を持つんだな。嫉妬するかも」    思わず笑う。  「何言ってるのよ」  美幸は現金が入ったケースに鍵をかけ、ベッドの下に隠した。  「ちゃんと銀行に預けるんだぞ」  「わかってる」  鏡台の横に設置してある棚から白いアルバムを取り出し、中を開いて正敏に見せた。そこには魁斗が赤ちゃんの頃の写真や、知人と撮った写真などが収められていた。  「君は本当に写真が好きだな」  「思い出は写真にして残しておきたいのよ」  玄関ドアが開いた。魁斗が虫かごを手にし、帰宅した。青い羽の蝶が一頭、虫かごの中に入っている。海斗と結愛は、その蝶を見た瞬間、アパートのトイレの壁紙を思い出した。  魁斗は正敏に虫かごの中を見せる。  「友達と捕まえたんだ。綺麗だろ? 正敏さんにも見せてあげたくて」  魁斗も正敏も昆虫が好き。中でも蝶が好きだ。  「よく見つけたな。本当に綺麗だ」  美幸も微笑んだ。  「なんていう蝶なのかしら?」  「それがわからないんだ。初めて見るよ」と、言ってから、窓を開けて蝶を逃がした。「いいなぁ、自由に空を飛べて」  正敏も空を見上げて、大空へと飛んでいく蝶を眺めた。  「どこへでもひとっ飛びだな」  魁斗は、ふたりにとって驚く言葉を言った。  「高校卒業したら俺はこの家を出るんだし、結婚しちゃえば?」  魁斗の発言に驚いた美幸は慌てた。  「生意気なこと言わないの」  「正敏さんとなら幸せになれる。俺もそのほうが安心できるよ」  正敏は海斗に顔を向けた。愛する女性の息子に認めてもらえて嬉しかった。  「ありがとう。必ず幸せにするよ。君も俺をもっと頼ってくれ」    「うん。頼りにしてる」  美幸の目に涙が浮かんだ。前回の結婚で最悪な目に遭っている。それに自分の両親も離婚している。家族の絆なんて知らずに育っている自分にできることは、我が子にありったけの愛情を注ぐこと。  正敏は真摯な面持ちで美幸にプロポーズした。  「結婚しよう」  美幸は頷いた。  「はい」  そのとき、チャイムが鳴った。  「あ、俺が出るよ」と、魁斗が玄関に出た。  すると、紙袋を手にした大石晶子と赤い傘を持った道子が立っていた。  「こんにちは」と、魁斗は挨拶し、道子の頭を撫でた。「久しぶり」  道子は不満げな表情を浮かべた。  「子供扱いしないで」  「子供だろ」  「あたしは普通の子供とは違うの」    玄関から通路を歩いてふたりがいる寝室に入った。  正敏は晶子を見る。  「なんだ、おまえか」  眉根を寄せた。  「がっかりしたようないい方だな。誰なら満足なんだ?」  「そう突っかかるなよ」  魁斗は晶子に教えた。  「俺が高校卒業後、ふたりは結婚するんだ」    おませな道子は正敏に尋ねた。  「叔父ちゃん、美幸おばちゃんと結婚するの?」  正敏が答える。  「そうだよ」  晶子は目を細めた。美幸の親友だからこそ、彼女の苦労を知っている。  「私の妹になるんだな」  「魁斗が高校卒業してからね」  笑みを浮かべた。  「楽しみだ」  海斗と結愛は同じ疑問をいだいた。道子の母親である大石晶子と、怨霊となった河野正敏が兄弟……しかし、名字が違う。大石晶子の旧姓が河野なのか? だが離婚していたら旧姓に戻る。ひょっとして夫が亡くなったのだろうか?  「さあ、今夜は早速、結婚祝いの飯だ」と、魁斗が言った。  美幸は戸惑う。  「今夜!? 結婚祝いなんてまだ先の話でしょ」  結婚祝いというのは口実だ。好物を食べたい。  「いいのいいの。ミートスパゲッティ、唐揚げ、グラタン、ババロアが食べたい」  首を横に振った。  「そんなにいきなり無理。今夜は駄目。来週よ」  「つまんないの」  海斗は寒気がした。魁斗の好物も、蝶が好きなのも、同じ。こんな偶然ってあるんだろうか? 名前や誕生日以外に重なるものがあるのだろう、と、紫音に言われていた。そして、晶子が美幸に差し出した紙袋の中身も驚くべきものだった。バカラのワイングラスが二脚。  美幸は遠慮する。  「こんな高価なもの貰ってもいいの?」  「客の男から貰った。私はビール好きなんだ。仕事ではそいつに合わせてワインを飲んでいるけど、やっぱりビールだな」  「嬉しい、ありがとう。ここで立ち話もなんだから、リビングに行きましょ」  「いや、これから客と同伴なんだ」  「そう、残念」  「それじゃあ」    道子も軽く手を振った。  「じゃあね」  場面が突然夜に切り替わった。寝室は暗いし、誰もいない。ふたりはリビングルームへ移動した。傾向と似照らされた室内の家具の配置が、海斗の自宅とまったく同じ。ソファの位置から、テーブルの位置、テレビの位置まで。  海斗は台所の食器棚を覗いてみた。先ほど晶子から貰ったバカラグラスが陳列してある。まるでうちの食器棚みたいだ。  突然、電話のベルがリビングルームに響いた。  美幸が受話器を取る。  「はい、もしもし」  「あ、俺だ」正敏からだ。「今夜、そっちに行くの三十分ほど遅れそうだ」  「わかったわ」  美幸は電話を切り、壁時計を見た。  二十一時三十分。  魁斗は部屋でテレビゲームをしている。正敏が来たら大人の時間。とは言え、ここには魁斗が大好きなおつまみもたくさんある。つまみ食いするために、寝室から出てくる。  喫煙者の正敏の為に大理石の灰皿を用意した。この灰皿は以前勤めていたスナック麗のビップルームで使っていたものだ。端が欠けてしまったので、ただで譲ってもらえた。  早速、きょう貰ったバカラグラスを手にして、テーブルに置く。  「ワインは正敏さんが持ってくるし、これでバッチリね」  美幸がソファーに座ろうとした瞬間、チャイムが鳴った。三十分遅れる、と、電話が来たばかりなのに、五分も経っていない。しかし、こんな時間に尋ねてくるのは正敏だけ。  だけれど、正敏ならチャイムを鳴らさずに合鍵で開けるはず……いつもと違う。  違和感を覚えたが、玄関のドアの鍵をはずして、ドアを開けた瞬間、目出し帽を被ったふたりの男が押し入ってきたのだ。彼らは、指紋がつかないようにハンカチを手にしていた。ひとりは金属バッドをてにしている。悲鳴を上げた美幸の口を塞ぎ、ひとりは玄関の鍵を閉めた。  こいつらの手元をよくみれば、ふたりの手の甲、親指の下に大きなほくろのようなものがあった。但しそれは、本物のほくろというより、タトゥーやマジックインキで書いたようなものに見えた。何故、手袋を履かない? 誰かに罪を着せるために、ほくろを見せつけているみたいだ、と、海斗と結愛は思った。  彼らがリビングルームに入ると、異変に気づいた魁斗が寝室からそちらへ向かった。  「母さん? どうしたの?」  美幸はソファに押し倒され、スカートの中のショーツを引きちぎられた。  「魁斗! 来ちゃだめぇ!」  嫌な予感がした。魁斗が急いでリビングルームに入ると、ソファに押し倒された美幸の姿が見えた。床には引きちぎられたショーツが落ちている。  「誰だ! お前ら!」  もうひとりの男が魁斗の頭に金属バットを振り下ろした。けたたましい音が響き、倒れた先にあったテーブルの角に頭を強打し、息絶えた。  目の前で息子を殺され、気が狂ったかのように美幸は泣き叫ぶ。愛する息子を守れなかった。怒り、悲しみ、悶えるような感情。  「いやあぁぁぁぁぁ! 魁斗! 魁斗!」  魁斗を殺した男は、笑い声混じりの小声で呟く。  「美少年……残念だ。幼児の頃に出会いたかった」  「上物だ。新たな性の世界が開花されるかもしれないぜ」  男はぽつりと呟くように言う。  「毛が生えたナニに興味はない。毛が生えた女のあそこにも興味がない」  「幼女以外は興奮しない、変態野郎だな」  「君に言われたくないよ」  「触らないで!」泣き叫ぶ。「正敏さん、助けて!」  美幸に覆い被さる男は、彼女の首を絞めた。死体との性行為でなければ、性的欲求を満たすことはできない。  「俺はあんたに憧れていた。何度も店に行ったのに、河野正敏なんかと付き合いやがって! あいつに何回、脚を開きやがった! 俺がお仕置きしてやる!」  男に首を締め上げられると美幸の顔は紅潮した。双眸は鬱血し、真っ赤に染まっていく。  その赤い双眸は男達の手を見逃さなかった。    右手の甲に目立つ親指の下にある大きな黒いほくろ――――  「も…も…き…桃木……」と、男の手に爪を食い込ませた。「呪い…殺してやる……」  意識が途絶えた美幸を犯そうとした直後、玄関の鍵が外れる音がした。  魁斗を殺害した男は、テーブルの上に載っていた大理石の灰皿を手にし、リビングルームのドアの前に身を潜めた。  何も知らない正敏はリビングルームに入った瞬間、驚愕の光景に目を見開いた。  目を見開いたまま息絶えた魁斗。  生きているのか死んでいるのさえわからない美幸の上に覆い被さる男。  持っていたワインで美幸を犯す男を強打しようとした瞬間、隠れていた男が灰皿を手にして、正敏の顔を殴りつけた。顔面が湾曲した状態で床に倒れた。  男は、虫の息の正敏の頭部を何度も殴り続つづけた。頭蓋骨が割れ、その間から垂れ落ちた脳みそが床に滴る。    この殺害シーンは海斗も結愛も目を逸らした。とても見ていられなかった。  突然、場面が切り替わった。  リビングルームにいたはずなのに、池の畔にいた。周囲は暗く、黒い靄に覆われているせいで、この場がどこなのかわからない。いましがた魁斗と正敏を殺害した男らは、美幸を池に沈めようとしていた。だが、死んでいたと思っていた美幸が目を覚ます。彼らは生きたまま美幸を池に沈めたのだ。  後方から道子が現われた。  「この辺にある池は、紫音と霊視したけど、何も見えない。いまあたしたちが見ている黒い靄がすべてを覆い隠している。美幸は何も見せようとしてくれない。それどころかあたしたちの霊視を邪魔してくる」  海斗は尋ねた。  「美幸にとって息子の遺骨を探してあげることが最善なのでは? それなのにどうして邪魔をするの?」  「あなたが解放されるためには、ふたりの亡骸を引き合わせることだけ。それなのに矛盾しているかもしれないけど、美幸はそれを拒む。怒りに満ちた怨霊となった彼女にとって最優先すべきことは、犯人への復讐。息子を守れなかった無念が彼女を狂わせる」  「怨霊からの復讐ってわけか……」  「そういうことだよ。彼女の暴走を早く止めて……」  道子もこの場面にいた人物も消え、暗いリビングルームへと戻った。ふたりが立つ場所には、正敏のものと思われる大量の血痕が未だにこびりついている。  恐ろしすぎる光景を直視できなかった結愛は涙を拭った。  「酷すぎる。かわいそう……」  海斗は強い怒りを覚えた。血も涙もない非道な犯人を許すことなどできない。  「絶対に犯人を見つけてやる。あの男達の手の甲見た?」  首を横に振った。  「ごめん……余りにも酷すぎて……何も見れなかった」  「親指の下に大きなほくろのようなものがあったんだ……」  「まさか……坂上さん?」  「それはわからない……なんてゆうか、ほくろというよりマジックで書いたかのような……少し離れてみればほくろに見える。でも近くで見ると何か違う……」  ほくろについて考えても、いまはまだわからないので、スマートフォンの画面の光を頼りに、美幸の寝室に足を運んだ。    ベッドの下に手提小型金庫が放置されている。  中を開けてみると、空き巣に取られていると思いきや、びっしりお札が入っていた。  「盗まれていない……」  和真達と同じ疑問を感じた。空き巣が入ったから、鍵が壊されている。それなのに現金が入っている……  だがふたりはその理由にすぐに気づいた。彼女は息子のために溜めていた。それを盗むということは、当然のことながら追いかけてくる。盗んだあと、美幸に追いかけられ、戻しに来たのだろう。  続いて、アルバムが置いてある棚に目をやった。その棚には埃がかぶった白いアルバムが立てかけられていた。    「あった。これだ」床に腰を下ろした海斗はアルバムを開いた。「これを持って帰ると危険だから、重要な写真があれば画像に残そう」  ふたりはアルバムを捲ってみた。  赤ちゃんの魁斗の写真がたくさん収められていた。    「本当に愛されていたのね」  「そうだね」  ページを捲ると、水商売の女性たちが映る写真が出てきた。  金色のボタンがついたカラフルなスーツを着て、前髪は暖簾、青味がかったピンク色の口紅に、紫のアイシャドー。どれも時代を感じるものだった。  全員集合写真もあり、大石晶子の姿もあった。  疑問を感じた結愛は晶子を指した。  「気のせいかな、何となく紫音さんに似てない?」  「俺も思った。夢の中で道子をみたとき、目の奥に紫音さんを感じたんだ」  紫音は心身共に  「道子ちゃんを失って精神科に入院して、廃人になってしまった人が、あんなに元気なわけない。それに、晶子さんは今どこで何をしているのか、生死すらわからないって、お父さんも言ってたよね。だからやっぱり違うのかな……」  「紫音さん本人に訊いてみよう」スマートフォンで集合写真を撮った。「スナック麗はうちの母さんの勤め先だけど、三十年以上前の話なんて知るはずないし、当時の経営者であるママが生きていれば話を聞いてみよう。それこそ、高校生だから門前払いされる可能性もあるけど」  紫音の自宅の壁に貼られた写真もあった。美幸と魁斗、晶子と道子、河野正敏、が写った写真も画像に収めた。    更にページを捲ると、店内の様子を写した写真があった。  美しく着飾った女たちと男の客が映っている。  その中には、接客をする美幸や晶子の姿を映した写真もあった。  晶子がお酌をしている男の親指の下には、絆創膏が貼られている。その男の視線の先は晶子ではなく、美幸だ。そして同じソファに座る男は、美幸の手に触れ、満足そうな笑みを浮かべている。  「坂上竜司に似てない?」美幸に視線を向けている男を指し、疑問を口にした。「アパートで見かけたとき、手の甲に大きなほくろがあった。どうして絆創膏で隠しているんだろう?」  「たまたま怪我でもしたんじゃないのかな」  「そうなのかな? 何か理由がありそう」と、別の男を指す。「美幸の手を触ってる男を見てよ。かなり若いけど元刑事の熊谷賢三に似てない?」  熊谷は現在六十七歳。この写真は三十代の頃だ。  「そう言えば……似てる。でもどうしてこんなところに?」  「一緒に飲みいくほど仲がいいようには見えない。それどころか、坂上さんは、美幸を独占している熊谷に対し、不快な表情を浮かべている。どう見ても友達じゃない」    海斗はページを捲った。嬌笑する美幸の隣で、照れ笑いする男が写っている写真を見つけた。比較的アップで撮られていたので、グラスを持つ右手の親指の下にほくろが写っていた。  「もしかして、この人が桃木さん?」  「たぶん。彼の手にもほくろがある」  スマートフォンの画像に収めた。  「これも撮っておこう」  海斗は鏡台の引き出しを開けてみた。化粧品も入ったままになっている。それから名刺ケースの中を開けて画像を収めた。    「長居すると美幸が来そう」結愛は見回す。「写真も撮り終わったし早く出よう」  「そうだね」  ふたりは玄関から通路に出た。突然、203号室の玄関のドアが開いた音がしたので、咄嗟にそちらに目をやった瞬間、慄然とした。なんとそこには血まみれのTシャツを着た男が立っていたのだ。左手首もない。  桃木――――  結愛が悲鳴を上げると、海斗は手を引いた。  「逃げないと!」  階段を駆け下りるふたりを見て、桃木は呟く。  「逃れたい……この苦しみから……」    ふたりは鉄骨階段を駆け下り、後ろは振り返らずに、幕の内スーパーまで全力疾走した。ここまで走りきって後方を確認したが、桃木の姿は見えなかった。  結愛は前屈みで息を整えた。  「手首を切り落すなんて、正気の沙汰じゃない」    「祟られて桃木さんは狂っていった。だけど……三人を殺したうちのひとりが桃木さんだと美幸に思い込まれていたら呪い殺される。死者の記憶の中でも美幸は殺される前に、犯人の手のほくろを見て “桃木” と言っていた」  「それならどうして坂上さんは狙われないの? 彼にも同く特徴的なほくろがある」」  「俺もそれが不思議なんだ」  ふたりは幕の内スーパーの裏に回り、社員通用口の前に立った。和真たちが肝試しに来た際、ドアの取っ手が壊されていたが、新しいものに付け替えられていた。    外壁もドアも古びているのに、取っ手だけ新しい。違和感があった。  「誰かが取り替えた? 何のために?」  「お父さんはここにはあまり来たがらないの。だから取っ手を取り替えるはずない」ドアの取っ手を捻ってみた。施錠されている。「開かない」  そろそろ帰りたいが、歩いて帰れる距離ではない。  「バス停に行ってみない?」  あれからずいぶんと時間が経つ。バスはもうどこかへ行ってしまったかもしれないが、とりあえずバス停に歩を進めた。すると不思議なことにバスが停車していたのだ。  海斗は言った。  「桃木が出ても怖いし、美幸も出るかもしれない。乗ろう」  バスに乗ったふたりは、座席に腰を下ろした。  行きと同じ運転手と乗客十名。  バスは走行した。奇霧界村に向かうときは安全運転だった。カーブが多い場所に突入したというのに、荒っぽい運転をする。アスファルトにタイヤが擦れる嫌な音が車内に響いた。  結愛は怯える。  「怖いんだけど……」  乗客が桃木と同じ事を言った。  「逃れたい……この苦しみから……」  運転手の様子がおかしい。  「助けてくれ、足が動かない!」  このままでは事故になる。海斗は座席から立ち上がり、運転手に駆け寄った。  「スピード落してください!」と、言った瞬間、驚愕の高家が目に飛び込んできた。なんとアクセルを踏む足を固定するように、ふやけた手が運転手の足を握っていたのだ。  乗客が騒ぎ出した。  「あの女がぁぁぁ……あの女がぁぁぁぁ」  錯乱状態の乗客。  「美幸が現われたぁぁぁぁ!」  後部座席に突如現れた美幸は、左右に体を捩じらせながら、じりじりとこちらに向かって歩を進めてきた。    海斗は美幸に向かって叫んだ。  「頼むからもうこんなことやめてくれ!」  だが美幸には届かない。  「ゴボゴボ……殺す……」  海斗は怯えている結愛の許に戻った。  「どうすればいい……」  「あたしたちどうなっちゃうの?」  乗客の体が炎に巻かれた。皮膚が焼け爛れてゆく。車内の座席が焼け落ち、その灰が宙を舞う。狭い空間に乗客の断末魔が響いた。    「熱い! 熱い!」通路に倒れ、悶える乗客。「助けてくれ! 逃れたい、この苦しみから」  運転手が叫び声を上げた。  「あんなところに金を置いておく方が悪いんだぁぁぁぁ! 借金があったんだ、借金があったんだ!」  「ゴボゴポ……魁斗の……返せ」  怨霊バスは炎上し、この場から忽然と煙のようにどこかへ消えた―――  
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