【20】相棒

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【20】相棒

 ふたりがアパートに戻ると、熊谷と見知らぬ男が階段から下りてきた。その男と熊谷は同年代。未解決事件の犯人である熊谷と一緒にいる男を警戒した。  突然、男が話しかけてきた。  「ここに住んでるの?」  海斗は返事した。  「はい」  「そうなんだ。俺もきょうからしばらく住むことにしたんだ。君達にもこれをあげるよ」ジーンズのポケットから名刺ケースを取り出し、名刺を渡してきた。「俺は探偵、よろしくね。それじゃあ」  熊谷と男はアパートの敷地から出ていった。  ふたりは貰った名刺を見る。  “パンダ探偵事務所”  “白黒はっきりつけましょう。身辺調査、浮気調査、何でも任せてください。”  “探偵 大森(おおもり)統太(とうた)”  「どうして探偵がこんなところに……そもそも熊谷とどういう関係なんだ?」  海斗が疑問を口にした直後、106号室のドアが開き、関内マムが出てきた。彼女は今朝ジョギングに向かう途中に出会った関内俊の妻だ。  「あの大森って探偵、301号室みたいよ」  「熊谷の隣の部屋」  「さっきあたしも名刺を貰ったんだけど、そのときに聞いたの。大森さんは元刑事で、熊谷さんと組んでいたんだって。警察を退職して探偵になったそうよ。熊谷さんが彼のことを相棒って呼んでいた」  麗子は、熊谷がもうひとりの犯人を “相棒” と呼んでいた、そう言っていた。だから驚きを隠せなかった。  そして大森は熊谷の隣の部屋。ふたりは彼がもうひとりの犯人なのでは、と、同じことを考えた。  マムは104号室を指す。  「今朝早くに凄い剣幕で坂上さんが青島さんを怒鳴っていた。坂上さんが帰ったあと、熊谷さんがやってきて……暫くしてから争っているような物音がしたの。それから青島さんの悲鳴が聞こえたの。うちの旦那はジョギングに行っちゃったし、あたしひとりで本当に怖かった」  まさか……殺された? 海斗と結愛は血の気が引く。  海斗は結愛に言った。  「紫音さんに言いに行ったほうがよさそうだ」  「うん」  海斗はマムに顔を向けた。  「最近、物騒なので気をつけてください」  「あなたたちもね」と言って、ドアを閉めた。    ふたりは紫音の部屋に向かった。チャイムを鳴らすと、すぐに紫音がドアを開けたので、いまマムから聞いたことを伝えると、すでに知っていた。  海斗は言う。  「青島さんが殺されたかもしれない」  「かもしれない、ではなく死んでいる」  「知っていたんですか?」  青島を訪ねたら惨い殺され方をしていた、と、教える。  「部屋には入るな。気づかないふりをしておけ。冷たいようだが青島は死んだんだ。生き返らない。だったら犯人を泳がせたい」  「いったい何人殺したら気が済むんだ」  「自分のエゴを満たすためなら何人でも殺すさ」と、言ったあと、ふたりを誘う。「これから坂上のところに行く。おまえたちも来い」  海斗は、麗子から聞いた情報をすべて紫音に伝えた。当然、熊谷のことも。  「坂上は美幸の腹違いの兄だとスナック麗の元経営者の麗子さんから聞きました」  「やはりそうだったか……坂上と美幸に何か同じものを感じていた。ちなみに犯人のひとりは察しがついていたが、まさか政治家の熊谷貴一の甥だったとは……警察を買収し、この殺人事件をお宮入りにしたとは貴一がやりそうなことだ」  三人は201号室のドアの前に立った。  紫音がチャイムを押すと、ドアが開いた。  「元気か?」と、紫音は悪戯っぽい笑みを浮かべた。  「あんたに三百万も払って呪符を作ってもらったんだ。元気じゃなけりゃ困る。で、ガキを引き連れて何の用だ?」  「お前と我々の目的は同じ。ふたりの亡骸を一緒にし、犯人を見つけたい」  「だからなんだっていうんだ」  「美幸の腹違いの兄ってことはわかってるんだ」と、率直に言った。  明らかに動揺した。  「何わけのわからないことを……」  海斗は会話に割り込む。  「ある人から聞きました。あなたが美幸の腹違いの兄だと」  「まさか麗子か!? あのお喋りババア」舌打ちした。「さっさと入りな、俺の気が変んねぇうちに」  紫音は玄関に足を踏み入れた。  「邪魔するよ」  海斗と結愛は玄関に上がった瞬間、目を見開いた。理由は紫音の自宅と同じく、壁一面に呪符が貼ってあったからだ。    海斗は紫音に訊く。   「このお札は、何のために貼ってあるんですか?」  歩を進め、リビングルームに入った。もちろんここの壁にも貼ってある。  「この呪符はな、悪霊、怨霊、つまり悪いものを跳ね返すために貼ってある。これを貼っていれば、美幸らはここに入って来られない、というわけだ」  すぐさま言う。  「どうしてそんなにいいアイテムがあるのに俺にくれないんだよ」  その疑問に答える。  「取り憑かれている者には効かない。それから私の寿命を三年も費やす」  「だから俺はこの女に三百万も支払ったんだ」坂上は海斗に言ってから、ソファに顔を向けた。「座りな」  自分には効果がないということは、安全な場所なんて存在しない。  「取り憑かれた俺がここにいてもいいんですか?」  紫音が言う。  「だから長居はできん」  海斗は坂上の手の甲に目をやった。やはり絆創膏が貼ってある。  坂上はその視線に気づいた。事件を調べているということは、桃木にも同じほくろがあったことを知っているはずなので、これが気にならないはずがない。  「これは紫音のアドバイスだ」絆創膏を貼った右手を向けた。「桃木に間違われないようにってな」そして続けた。「紫音から大まかに事情を聞いた。だからお前達を家に入れたんだ。俺の考えは、まず亡骸を見つけること、それからでも犯人の追跡は遅くない」  「美幸の遺骨がありそうな場所の情報を麗子さんから聞きました」  「どんな?」  美幸が沈められた “鏡の水面” そして 海斗や正敏が遺棄されたであろう “面白い隠れ部屋” を説明した。そして世間では知られていない、熊谷賢三と大物政治家熊谷貴一の関係を話した。犯人の悍ましい性癖、そして美幸の事件が氷山の一角であることも説明した。  その狂った性癖の犠牲となった美幸。犠牲者がいるのに警察は貴一に買収されていた。すべては金次第だというのか……人の命よりも金か……怒りが込み上げた。  「あの悪名高い政治家と、熊谷賢三にそんな繋がりがあったとは……腐った野郎どもだ」  紫音も怒りの表情を浮かべた。  「青島を殺したのもヤツだ。許せんな」  「青島が……そうか、あのあと殺されたのか。じつは今朝、“本当にお前か?” と、書かれたメッセージと、奇妙な念写が入った茶封筒がドアに挟まっていたんだ。きっと同じものが熊谷にも届けられたはずだ」  結愛が教えた。  「マジックで書いたようなほくろが印象的な手を映した念写と、意味深なメッセージが書いてあるビラがうちのポストにも入っていた」  念写は同じだ。ビラに書かれている言葉を知りたい。  「メッセージは?」  「“本当に桃木か?”」  「なるほど、みんな違うというわけか。熊谷に当てたメッセージが危険すぎた、ということか。だから消された。彼はどんなメッセージを熊谷に渡したんだろう」坂上は尋ねた。「ところで……301号室に新しく入った入居者を見たか?」    海斗は住人から聞いた情報や、熊谷との共犯者が子供の悲鳴が好きなことや、彼のことを相棒と呼んでいたことを教える。  「大森統太。探偵みたいですが、元刑事で熊谷と組んでいたそうです」貰った名刺をスウェットパンツのポケットから出した。。「熊谷が大森を “相棒” と呼んでいたと、関内マムさんから聞きました」  「当時、美幸の事件に関わっていた刑事はあのふたりだ。自分が担当していた事件があやふやに打ち切られれば、当然、不信感をいだくだろう。たとえ上層部が買収されていたとはいえ、そう簡単に身を引くだろうか……やっぱり、あいつ怪しいな」  なんだか大森を知っているような口調だ。だから “入居者を見たか?” と確認するように訊いてきたのか、と理解した海斗は尋ねた。  「坂上さんも大森と顔見知りなんですか?」  「俺がここに越してきた理由は、おまえたちも知ってのとおりだ。だが不思議なことに、過去に関係があった連中が次々と集まる。偶然にしては出来過ぎている。ひょっとしたら美幸が呼び寄せたのでは、と考えたりしていた。そんなとき、大森がこのアパートの周辺をうろついていたんだ」  もし熊谷との共犯者ならこのアパートをうろついていてもおかしくはない。  「もしかして、大森を呼んだのは……」  「そうだ。俺だ」頷いた。「過去の事件の調査を依頼して、わざとにあいつを呼び寄せた。あいつにとっても悪くない話だろう。わざわざ身を隠してうろつかなくてすむ。堂々としていられるわけだ。家賃は払う羽目になったけど、これが一番いい方法だと思った」  「全ての駒が揃ったというわけか……」紫音が言う。「それにしても、お前さんずいぶんと金を持っていたものだ。私に三百万払い、探偵まで雇うとは」  「こう見えても俺は稼いでいるんだ。金ならある。それに、この事件の為なら、全財産を失ってもかまわない」  話は全部伝えた。そして坂上とも話せた。海斗は自分がここに長居しては、全員が危険に晒されると思い、帰ることにした。    その後、ふたりがいなくなったので、紫音に本音を打ち明けた。    「俺は……いつか美幸に兄だと告げようと思っていた。離れることのない絆で結ばれた温かい家族に憧れていた。美幸があんたの兄さんと付き合い、幸せそうに息子と三人で歩いている姿を見るだけで嬉しかった。俺は心からあいつの幸せを願っていた」声を詰まらせた。涙が頬を伝う。「何故、何の罪もないあいつらが殺されなきゃならないんだ」    紫音も兄を殺害され、道子を殺害され、妹を自殺で亡くした。坂上と同じ心の傷を持つ者として、胸中を打ち明けた。  「死んで霊体となり、この世を彷徨ういまでも、あのふたりを助けられなかったことを兄さんは悔やんでいる。道子だって、どれだけ痛くて、苦しかっただろう、そう考えると、胸が張り裂けそうだ」  「八城も……あの娘も、苦しいだろうな。結局、被害者の遺族に心が休まる日などないのだから」  「そうだな……そろそろ私も帰ることにしよう」  「ああ。熊谷には気をつけろよ」  「おまえさんもな」  紫音が玄関を出ると、突然、赤いカーペットが敷かれたかのように通路が血に染まっていった。首から下げた数珠を手に持ち替え、マントラを唱えた。だが、それに効果はなく、血は次第に美幸の姿に変化したのだ。  真っ赤な手が紫音の首を鷲掴みにした。  息が吸えず、顔が紅潮してゆく。  「は、放せ……」  水を吐き出す音を口から出した。  「ゴボゴポ……ゴボゴボ……コポ……」    「私がわからんのか……」  そのとき、突然、美幸の後方に正敏が現われ、紫音から美幸を引き離した。  「兄さん!?」  「美幸……み…ゆ…き―――」正敏は悍ましい顔をした美幸を押さえ込み、血のカーペットへと溶け込むように姿を消した。  兄さんは怨霊ではない。何故、犯人の名前を知っているのに久保田に描かせなかった。それにどんな理由がある。  「犯人の名前を言ってくれ! 何を躊躇う必要がある!」と、大声を張り上げたが、正敏は姿を現さなかった。  どうしてだ、兄さん―――  彼らがそれぞれの自宅で不安な夜を過ごしていたとき、106号室に住む関内夫婦は青島について語っていた。  「やっぱり、警察に連絡したほうがいいよ」マムは言う。「だって悲鳴が聞こえたんだよ」  「おまえの勘違いじゃないのか?」  「そんなことない。マジで悲鳴だった」  「だったら、お隣さんに行ってみようか?」  「死んでたら怖い。だから警察に通報したいんだよ」  俊はリビングルームから玄関に向かう。  「訪ねてみようよ、マムの取り越し苦労だよ」  気が進まないが、夫と一緒だ。ひとりではないので、玄関を出た。俊は104号室の青島の部屋のチャイムを鳴らした。既に死んでいるのだから応答がなくて当然だ。しかし、ふたりはそれを知らないので、もう一度、チャイムを鳴らす。  俊は首を傾げる。  「青島さん、出ないな。外出してるんじゃないか?」  俊の腕に絡みつく。  「死んでるかもよ」  ドアの取っ手を回した。施錠されていないので、すんなりとドアが開いた。  「なんか人の家に入るのって嫌だな」  「だから警察を呼ぼうって言ったのに。これじゃあ不法侵入じゃん」  二人は室内に入った。リビングルームのドアを開けた瞬間、生皮を剥ぎ取られ、壁にはりつけられた青島の無残な姿が目に飛び込んできた。  マムはその恐ろしい光景に悲鳴を上げた。  「きゃあぁぁぁぁぁ!」  俊は嘔吐し、むせ返った。  「警察に通報するぞ」  そのとき、背後に忍び寄る影が見えた。  オレンジ色の懐中電灯の光が暗い室内を照らす。そこにいたのは熊谷。そしてその後方にもうひとり。だが、彼の顔は見えなかった。  「警察を呼ばれちゃあ困るんだなぁ」熊谷は口元の端を緩ませた。「なあ、相棒」  俊はマムの手を取った。  「逃げるぞ!」    熊谷が相棒に言った。  「撃て」  「言われなくても撃つ」  相棒と呼ばれる男は、サイレンサー付きの銃を腰から抜き取り、俊に狙いを定め、銃弾を放った。くぐもった音がした瞬間、俊は頭から血を流して床に倒れた。  「ナイスショット。腕は落ちていないようだね」  「当然」  号泣するマムは、“相棒” と呼ばれるもうひとりの犯人の顔を見たのだ。  思わず息を呑んだ。  「そんな……」  「女に興味ないから」相棒が言う。「君の好きにしたら?」  熊谷は笑みを浮かべた。それはまるで飢えた獣が子羊を仕留めるかのように……  「久しぶりに死体を犯すか……」  
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