【21】怨霊バス

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【21】怨霊バス

 二十三時五十分。体力が回復した久保田は、アパートの手前にあるバス停を懐中電灯で照らし、時刻表を確認していた。都市伝説だと思っていた零時の怨霊バスが時刻表に表示されている。  そんな馬鹿な―――  半信半疑で怨霊バスを待つと、前方から塗装が剥げて古びたバスがこちらに走ってきた。  このアパートは驚くことだらけだ。好奇心をそそる。オカルトが好きでホラー漫画家になった。アパートに住んで約六年。ときどきこのバス停の時刻表を確認していたが、まさか本当に存在するとは……  バスは停車し、錆びたドアが開いた。  バスに乗った久保田は乗車券を取ろうとしたが、「必要ない」と、運転手に言われたので、そのまま座席に腰を下ろした。  乗客は十名。バスに乗っている乗客は、幽霊なのだろう。だからこそ話し掛けたい衝動に駆られた久保田は、通路を挟んだ座席に座っている女に顔を向けた。  「お姉さん、顔色悪いね」悪戯っぽい笑みを浮かべた。「くっくっく……」思わず笑ってしまう。「死んでるからね、しゃあないね」  女は無言だ。  「……」  「なんか言えよ。つまんねえな」  暫くバスに揺られると、魔のカーブの看板が見えた。それを過ぎると信号機があり、左折した。すると 奇霧界村の集落が見え始めた。夜空には月が見えていたのに、光は雲に覆われ、周囲は霧に包まれた。まるでこの世とあの世を繋いでいる、生と死の狭間のようだ。  奇霧界村のバス停に停車した。ドアが開いたので、久保田は座席から腰を上げて、乗車口へと歩を進めた。  蒼白した顔の運転手がポツリと言った。  「盗んですまない」  「なにを?」  久保田の疑問には答えず、運転手は前を向いた。  「ご乗車ありがとうございました」  バスを降り立った久保田は懐中電灯の光で前方を照らし、歩を進める。スナック悠々や幕の内スーパーが建っているが、それよりも目当てのアパートが先だ。  アパートの裏山が気になったので、そちらへ歩いてみることにした。ハイキングコースと書かれた木製の看板が立っている。その奥は鬱蒼とした雑草が生い茂り、入る気にはなれない。ここが廃村になる以前なら運動になりそうな場所だったはず。しかしいまは激しい山道でしかない。  なんだか疲れそう。インドア派の俺には無理だ。  裏山から正面に戻り、アパートの鉄骨階段を上がり、204号室の前に辿り着く。空き巣によって壊されているドアの取っ手を回し、玄関に入いると、パンプスと紳士物のスニーカーが二足置いたままになっていたので、さすがに不気味だと思った。  懐中電灯で廊下を照らし、美幸の寝室のドアを開けた。そして、海斗や死んだ和真たちが考えた疑問と同じことを考える。  何故、家具も何もかも当時のままなのだろう……  美幸の寝室に足を踏み入れた久保田は、ベッドの近くに放置された手提小型金庫に目が留まった。鍵の部分が壊されている。全部空き巣が持っていっただろうと思いきや、現金が入っているではないか。金欠だったので思わず口元が緩んだ。  金だ―――  しかし、この金に手を出せば死ぬ。和真達や怨霊バスの運転手もこの金に手を出して死んだのだ。鍵は壊されているのに、何故誰も中身を取っていないのだろう? と思ったが、この部屋は現在、誰の物でもない。現金の所有者である美幸は、とっくの昔に死んだ。    つまり、この金は俺のものだ―――  現金に目が眩んだ久保田は、手提小型金庫を抱えて、通路に飛び出した。そのとき、目の前に桃木が立っていたのだ。  左手首のない桃木を見て悲鳴を上げた。怨霊バスの幽霊はごく普通の人間と同じ姿なので怖くなかった。だが、桃木は血塗れで左手首の骨が剥き出しになっている。逃げなければ呪い殺される。  桃木が呻き声を上げた。  「この苦しみから……逃れたい……」  慄然とし、急いで階段を駆け下りた。  桃木は久保田を追ってくる様子もなく、虚ろな目で立ち竦んでいた。  「逃げたい……逃れたい……この苦しみから」  階段を駆け下り、アパートから出て、とにかく全力疾走した。するとバス停に怨霊バスが止まっていた。桃木が追いかけてくるような気がして、すぐさまバスに飛び乗った。  座席に腰を掛け、窓ガラスから外を覗くと、茶色い乗用車がこちらに入ってくるのが見えた。だが不思議なことに、向こうはこのバスが見えていないようだ。訝しげに乗用車を見つめた。そのとき偶然、助手席に座った熊谷賢三の顔が見えたのだ。  どうしてあいつがこんな場所に?  運転手を確かめようとして目を凝らした、が……霧が濃い為、残念ながらそれを知ることはできなかった。  憶測ではあるが、いろいろな考えを巡らせた。  肝試しなんかするような歳でもない。美幸の事件に関係しているのか? まさか……三人を殺害したのはあいつなのでは……だとしたら死体を埋めた場所を変えに来たのか?  バスから降りて熊谷の様子を見に行こうか、危険だからやめておくべきか……どうするべきか迷っているうちに、バスが発車した。カーブの多い勾配だが、行きよりも速度が出ており、荒っぽい運転のように思えた。  久保田はバスから降りて、熊谷が何をしようとしているのかを知りたい。運転手に向かって声を張る。  「おい! 停めてくれ! 俺は降りる!」  運転手は久保田の顔を見て、身震いし出した。  「あああ……盗んだ。盗んだ。もう停められない、このバスは停まらない。お前も今夜からこのバスの乗客。美幸の呪いが解けるまでお前も乗客だ。これで十一人目」  「十一人目の乗客? 何の話だ?」バックミラーに後部座席から腰を上げる美幸の姿が映った。「何故ここに!?」この車内にいなかったはずの美幸を見て、事の重大さを知る。  運転手が行っていた盗んですまないとは、この現金のことだったのか―――そしてここにいる乗客たちも、この金に手をつけた盗人。  美幸は体を捩じらせ、長い髪の毛から水滴を垂らし、一歩ずつ近寄ってくる。  運転手がぶつぶつと呟く。  「盗んだ。もう終わりだ、もう終わりだ……」  車内は炎に包まれ、赤々と燃え上がる。乗客は立ち上がり、悲鳴を上げた。  「熱い、助けて……逃れたい、この苦しみから―――」  悲鳴を上げて、運転手にしがみつく。  「と、停めてくれ! バスを停めてくれぇぇぇ! 頼むから止めてくれぇ!」  「あんなところに現金を置いておくほうが悪いんだ……借金があったんだ」繰り返し言う。「借金があったんだ。借金だらけだったんだ」  乗客も運転手も皮膚が焼け落ち、赤い肉が露わになってゆく。  「熱い、熱い! 地獄の猛火! おまえもこの苦しみを永遠に味わうことになる!」  美幸は地獄絵図と化した車内に歩を進める。  「返して……か、返して……か、魁斗の……」癇癪を起こした。「返してぇぇぇ! 返せぇぇぇ!」  炎に囲まれ逃げ場を失った。  「来るな! 来ないでくれぇぇぇ! 返すから来ないでくれぇぇ!」  衣服に炎が引火し、火だるまとなった。炎で熱くなった手提小型金庫を手から落とした。それを拾い上げた美幸は、鬼の形相でこの場から去っていった。  炎上したバスは灰となり、山間の道路から砂煙のように消えた――――
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