【26】終章

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【26】終章

 各階で変死体が発見されたアパート・ファントムは、事故物件どころか殺人アパートと呼ばれるようになった。事件が解決したので、紫音や坂上もここに住む理由はない。当然、海斗と美波もここを出る予定だ。美幸が出なくなったとはいえ、これだけの死人が出たアパートに住みたいとは思わない。  美幸のお墓参りと、結愛と坂上が入院している総合病院へ行く約束を海斗と美波としていた紫音は、彼らを待っているあいだバス停の時刻表を確認した。霊能力者なので常に零時のバスは表示されていた。いまはもう消えている。  怨霊バスは美幸から解放されたようだな。  山間に行く道路を見つめた。  奇霧界村のアパートに置いたままになっている美幸の遺品整理をしよう。室内の物が無くなると美幸の逆鱗に触れるために何もできなかった。    お見舞い品を手にした海斗と美波が、バス停の前までやって来た。海斗は、黄色い規制線が張られたヤシロマートを見る。まさか京太郎が犯人だったとは思わなかった。  あのあと結愛は精神が壊れてしまい精神科に入院した。美幸たちの魂を救ってあげることが目的だった坂上は、怪我は別として比較的精神は安定していると、彼と連絡をとった紫音から聞いた。  目の前にタクシーが止まった。    全員後部座席に乗った。  紫音が行先を運転手に伝える。  「総合病院まで頼む」    「はい」  紫音を乗せたタクシーは、この町で唯一の総合病院へ向かった。三十分ほど走って総合病院に到着した。  紫音が支払おうとしたとき、美幸が財布からお金を出して運転手に渡した。  「今回、いろいろお世話になったので」  遠慮の言葉は言っても、じっさいに遠慮はしない。貰える物は貰うし、奢りもありがたい。  「おや、悪いね。ありがとう」  タクシーから降り立った三人は、まずは坂上の病室へ行った。六人部屋の窓際で新聞を読んでいた。三十年前の未解決事件の記事と、嘉代子の失踪について書かれていた。あとは警察の上層部が政治家の熊谷貴一に買収されていたことにより、すべて隠蔽されていたことなど、長い時を超えて真実は明るみになった。  だが、この真実によって深く傷つく者もいる。それは結愛。坂上も結愛のことを心配している。たまに病室に顔を見に行くが、殆ど口を利かない。    「やあ、元気か?」と、紫音は尋ねた。  坂上は返事する。  「これだけ大怪我して元気なはずないだろ。何針塗ったと思ってるんだよ」  海斗は礼を言った。  「坂上さんが魁斗の頭蓋骨を持ってきてくれなければ、池に引きずり込まれて死ぬところでした」  美波は見舞い品を渡した。  「これ、お口に合えばいいですが」  「饅頭か、悪くない」紙袋の中を覗く。「俺はこう見えて甘党なんだ」そのあと真剣な面持ちで海斗に顔を向けた。「結愛のところに行ってやれ」  結愛に会いたい。  「彼女の様子は?」  「あまり喋らない。憔悴しきっている」  紫音は複雑な思いだ。ここの精神科の入院病棟は、晶子が入院していた。また来ることになるとは……  三人は精神科の入院病棟へ向かった。結愛はひとり部屋にいた。室内に足を踏み入れても、ベッドに横たわり、虚ろな目で天井を見つめたままだ。    「結愛ちゃん」と、海斗が話しかけると、結愛はベッドから背を起こした。だが視線をこちらに合わせない。見舞い品が入った紙袋をベッドの端に置かれた棚の上に置いた。「俺たちにできることがったら何でも言って」  結愛は静かに言った。  「あたしは……殺人鬼の娘なんだよ」  「結愛ちゃんは結愛ちゃんだ。俺の想いは変らないし、大事な友達だ」  涙を零した。  「学校には退学届を出した」  ずっと一緒にいられると思っていた。それなのに学校からいなくなるなんて……  「そんな……」    海斗を妊娠し高校を中退している美波は、世の中の厳しさを知っている。高校を卒業していないと就職活動は不利。ずっと水商売なのは性に合うというのもあるが、高校を中退しているせいで就職先がなかったのだ。  「中退してどうするの?」  質問に答えた。  「祖父母の家に引っ越します。名字は母の旧姓を名乗るので八城という名前は捨てました。退院しても学校に行けそうもないので通信教育にしようと思っています」  「引越し先はここから遠いの?」  「はい……この町には二度と戻らない」  この先、彼女が退院してしまえば、もう会えないような気がした。  「どれだけ遠くても会いに行くよ。結愛ちゃんは俺にとって大事な人だから」  「どうして?」ぽろぽろと涙を零す。「あたしはあの京太郎の娘なのに」  「さっきも言っただろ、関係ない。俺たちはずっと友達だ」できれば彼女になってほしいが、いま言うのは重い。それにタイミングではない。「この先も結愛ちゃんと連絡を取り合いたいんだ」  紫音が結愛に言った。  「海斗は誠の友達だ。人間不信になるな。大丈夫、おまえには私たちがいる。どんなときも味方だ」  紫音の言葉が嬉しかった。もう誰も信じられないという思いだったが、信用できる人たちもいる。  「ありがとう……」  今度はひとりで来ようと思った。結愛に笑顔を取り戻してほしい。長い時間が必要かもしれないが、支えてあげたい。たとえ住んでいる場所が遠くても電話やLINEでやりとりできる。  「また会いに来る」  三人は病室を出て、この病院のエントランスを通り、停車しているタクシーに乗った。向かう先は美幸たちのお墓だ。晶子の墓もある。その中には道子の骨も収めた。死後のために彼らの墓の近くに、自分の墓を購入した。  ここからそう離れていないのですぐに到着した。タクシーから降りた三人は、彼らのお墓に向かった。結婚する予定だった正敏と家族になる美幸と魁斗の遺骨は、紫音が同じ墓に収めた。  三人は彼らのお墓の前に立った。美幸たちのお墓に線香をつける。白檀の匂いと共に白い煙が立ち上る。彼らが安らかに眠れるように、ひとりずつお墓に手を合わせた。  その数日後、紫音はアパートを出た。また都会戻るそうだ。海斗と波恵は新しい住処が見つかったので、引っ越すことにした。高校も近いので遅刻の回数は減りそうだ。もう事故物件はこりごり。だが、誰でも事故物件に住む可能性はある。  精神科から退院した結愛は長年住んだこの町を出て、祖父母の家へ引っ越した。その後、電話やLINEで海斗とやりとりし、一年ぶりの夏休みの今日、会うことになった。  結愛はこの町には二度と足を踏み入れる気はない。海斗から会いに行く。一度ふられて以来、告白はしていなかった。だけれど、今回会ったら想いを告げるつもりだ。  結愛の自宅はここから遠いので、二泊三日分のボストンバッグに荷物を詰めた。そしてアルバイトをしたお金を貯めて買ったネックレスも一緒に収めた。  リビングルームのソファに座る美波は、海斗に顔を向けた。  「忘れ物ない?」  久しぶりに結愛に会える。笑みを浮かべて返事する。  「大丈夫」  「気をつけて行くのよ」  頑張って買ったネックレスも気に入ってくれるはず。美幸の呪いから解放されたいま、どこへ行っても怨霊を見ることがない。自分は日常生活を取り戻したが、結愛はまだ時間がかかる。それでも彼女のことが好きだから、大事にしたい。  「うん、それじゃ、行ってくるよ」  海斗は結愛に会うために自宅の玄関を出た。  ≪完≫
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