レモネード

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レモネード

 「絶対に秘密だよ」と前置きしてから、私はメロメロメロンフラペチーノをひと口飲んでふうと息を吐き、正面に座っている愛菜に向かって言った。  「私、光田君のことが好きみたい」  私の告白を、愛菜は笑ったり茶化したり悪く言ったりしなかった。  おおきな目をさらに大きく丸く開いて、長いまつげが蝶みたいに上下したあと、とびきり優しいやわらかな笑顔で、「光田君はラッキーね」と静かに言った。  次の日の朝、私が校門をくぐりぼんやり歩いていると、大きな声がうしろから聞こえてきた。  「松野ー! おはよー!」  振り向くと、自転車にまたがった光田君が朝日に照らされたぴかぴかの笑顔で手を振っている。  ひまわりみたいな笑顔だな、といつも思う。と同時に、胸がぎゅうっとする。   光田君はレモン色の自転車に乗っている。いつもそれに乗って登校していて、その明るい黄色は光田君によく似合っていた。  「おはよう、光田君」私も笑って手を振る。  光田君は自転車を押しながら、私と並んで歩きだした。  一限目の数学のワークとか体育祭とか夏休みになにしようとか、とりとめのない話をしながら光田君の横顔をこっそりと見る。  くせのある短い髪が太陽の光で金色に光っていて、明るい茶色の目は宝石みたいにきらきらしているし、石鹸みたいな清潔なにおいがする。  はあ、かっこいい。  私今日、変じゃないかな? 急に心配になってきた。  前髪、変じゃないよね?  制服、汚れてないよね?  ちゃんとかわいいよね?  考えだしたら、頭の中が大混乱でぐるぐるしてきた。ふと気がつくと、光田君が探るような、心配そうな目でこっちを見ていた。そして言った。 「どうする?」  なにか聞きそびれたっぽい。なにを聞かれているのか分からないけど、答えを待たれているのは分かる。 「えっと? なんだっけ」声がひっくり返っちゃった。やばい、もうやだ。 「映画だよ。松野が見たいって言ってたやつ、今週の金曜日に公開だから、土曜日に一緒に見に行く?」  私はこくりとうなずいた。うなずいたまま、下を見て歩く。どうしよう、顔があげられない。体温がぐんぐん上がっていく。顔がほてって、耳まで熱くなってるのがわかる。  「よかった! じゃあ、九時くらいに迎えに行くから!」   光田君が発光してるみたいな笑顔でそう言った。私はなんとか顔を上げて、ぎこちない笑顔を作った。  光田君は駐輪場に向かい、その背中が見えなくなるまで目で追った。私はのろのろと靴を履き替えて階段を上がる。一歩一歩階段を上がりながら、じわじわと喜びが身体を満たしていって、むずむずしてきた。  「凛奈おはよー!」となりの席の愛菜が手をひらひらさせながら笑っている。 「おはよう、愛菜」  愛菜が私をじいっと見つめる。リュックからペンケースやノートを出して机に片付けている私を、うれしそうな、おもしろがっているような、いとおしそうな目で見ている。  「なあに?」私はちょっと恥ずかしくなって聞いた。  「凛奈、今日いつもよりかわいい顔してる」愛菜が優しくほほえんで言った。  私の口は勝手に動き出し、言葉がするっと飛び出した。  「土曜日に、光田くんと映画を観る約束したの、さっき。行く?って聞かれて」  「デートに誘われたの? いいね」  「ねえ、愛菜」  「なあに?」  「告白って、重要?」  私の問いに、愛菜は黙って考えている様だった。少し唇をとがらせて、「んんんー」とうなっている。  「はっきりさせるには告白は重要」愛菜が言った。  「でも……」愛菜の長いまつげが下がって影を作る。  「はっきりさせないほうが良いってこともあるよね。今の関係が壊れたらいやとか、傷つきたくないとか」  傷つきたくはない。こわい。  でも、はっきりさせたい気持ちもあるし、ひとりじめしたいわがままな欲もある。でも、終わりが来るのは嫌だ。告白したら、振られるかもしれない。   振られたら、今まで通りにはもうできない。でも、光田君のことがもっと知りたい。  でもでもでもでも。   私はなんてめんどくさい生き物なんだろう。  愛菜が私の背中をそうっと撫でた。お母さんがあかちゃんにするみたいに優しく。  「大丈夫、凛奈はかわいいよ。やさしいし勇気もあるし、とっても素敵」  愛菜の声がおまじないみたいに私の中に入ってきて、じんわりあたたかく広がっていった。  でもでも言っている私に勇気をくれるのは、いつも愛菜だ。やさしいのもかわいいのも、面倒見がいいのも、かっこいいのも愛菜。大切な友達で、あこがれで、大好きな愛菜。  「ありがとう、愛菜」  授業後、愛菜と駅前のファッションビルに行く約束をした。  土曜日の映画デートで、着ていく服を選ぶために。バイト代、貯めておいてよかったと心の底から思った。初めてのデートだもん、かわいい服を着て、かわいく髪を整えて、とびきりかわいいわたしになりたい。   「服も見たいし、靴も見たいね! あと、リップもみたいなー!」愛菜がうきうきした声で言う。  「うん、あといつものカフェ行きたい」  「あーね、新作飲みたい」  愛菜がいると心強い。私も愛菜みたいになれたらいいのに。  授業後の廊下は騒がしい。  部活に急いで行く子、バイトの時間に遅れそうであわてている子、習い事に行く子、ロッカーの前で話し込むカップルもいる。光田君はテニススクールに通ってるって聞いたことがあるから、学校帰りに制服デートは難しいのかな、なんて妄想しながら階段を下りていくと、靴箱のほうから知ってる声が聞こえてきた。  光田君だ!   胸がドキドキする。ちらっと愛菜を見たら、私を見てにやにやと笑っていた。  「もう!」  階段を降りるたびに胸がきゅうっと苦しくなっていった。その時だ。  「えー? 松野? 嫌だなあ」  はっきり聞こえた。光田君の声だ。  身体が急に動けなくなって、北極に来たみたいに冷えて凍っていった。  光田君が友達と話す声がかすかに聞こえる。でも、頭が機能しない。  今、なんて言ったの?  ゆっくりと反芻する。そうしないと、うまくのみこめない。言葉が意味を持って、理解するのにこんなに時間がかかるものなのか。  えー? 松野? 嫌だなあ  そうか私、光田君に嫌われてたんだ。そんなの、全然知らなかった。  「凛奈? だいじょうぶ?」愛菜が不安そうな顔で私を覗き込んだ。  「うん、平気、早く行こう」  なんでもないふりがこんなにも下手なんて、笑えてくる。  靴箱の前に私と愛菜が行くと、光田君が笑顔で手を振ってきた。  「あ! 松野! 今から帰る? 一緒に帰ろうと思って待てたんだ」  光田君が言い切る前に、愛菜が声を遮ってかぶせて言った。  「凛奈は今から私とデートの約束してるの! じゃあね!」  凛奈がうっとりするくらい魅力的な笑顔で手をふり、私の腕を両手でぎゅうっと掴んで歩き出した。  「松野! また明日!」光田君がひまわりみたいな笑顔で手を振る。どうしてそんな顔を私に向けるの?  「また明日……」言いかけた私を、「行こう!凛奈!」愛菜がぐいぐいと力いっぱい引っ張っていく。私よりも怒っているみたい。  足早に校門を出て、駅前のファッションビル内をぐるぐるまわり、おそろいのピアスとバッグチャームを買った私たちは、歩き疲れてカフェのソファに倒れこむように座った。  ストローをくわえた時、ばちっと目があって、なんだかおかしくて私たちは噴き出して笑った。  光田君のことがもうどうでもいい、って言えるほど私はまだ回復していない。でも、さっきまでの凍えはないし、頭もちゃんと動いている。光田君はどうして私を映画に誘ったの?  どうして、「松野? 嫌だな」なんて言ったの? からかわれたの? 友達とぐるになってばかにして笑ってたの? どうして笑顔で待ってたなんて言ったの? 松野、嫌だなって言ったその口で。聞こえていないと思ったの?   わからない。なんにもわからない。  愛菜は光田君のこと、なにも言わないでくれた。私がなにか言うまで待っていてくれてる。それが心地よくて、うれしかった。  ガタンゴトン ガタンゴトン   愛菜と別れて電車に乗って、改札を出たら雨がざあざあ降っていた。  やっぱり、今日は最悪の日だ。  「まあ大変! ずぶ濡れじゃない。お風呂に入ってあたたまっておいで」  家に帰ったらお母さんが心配して言った。  お風呂って不思議。バスタブに入るとじんわりしてほかほかして、気持ちもほわほわする。  お風呂から出てリビングに行くと、お母さんがインターフォンのモニター越しに誰かと話していた。お母さんと目が合うと、インターフォンを切ってお母さんがほほえんだ。  「光田君が来ているわよ」  「え」  「出る? 出ない?」お母さんが聞く。  「出る。玄関のところで話すだけだし」  私はなんでもないですよって顔で出た。  通り雨だったようで雨はもうすっかり止んでいて、藍色の空に一番星が輝いていた。門を出ると、光田君が手を振って微笑みかけた。自転車をとめてリュックに二本のテニスラケットをさしているから、テニススクールの帰りっぽい。  「どうしたの?」私が聞くと、光田君は私を見つめて困ったような顔をした。  「どうしたって言うか、松野どうかした? おれなんかしたかな」  今にも泣きだしそうな光田君に、私は驚いた。聞くならもう、今しかない。  「光田君、今日学校の靴箱のところで私のこと嫌だなって言ってたの、悲しかった。ひどいよ。なんで?」  すると光田君は目をぐるぐるさせて、「おれが? おれが松野を嫌だなんて言うわけないだろ!」と抗議するように言った。  「うそ! 私聞いたもん。「松野? 嫌だなあ」って」ああもう、泣きそうだ。  光田君は黙ったまま私をじっと見つめて、それから謎が解けたみたいな顔をした。  「松野、それ違うよ。松野のことじゃない。待つのが嫌だなって言ったんだよ」  「同じでしょ!」  「違うよ、松野じゃない。WAITのほう!」  「うぇ、……WAIT?」  「WAIT!」  光田君と見つめあって噴き出して笑った。なあんだ、そっか。  「じゃあ、光田君はなにを待つのが嫌だったの?」私はくすくす笑いながら聞いた。すると光田君は、まじめな顔になって言った。  「松野に告白するの、映画に行って、それからまた何回か二人で遊びに行けるまで待てってアドバイスもらったから、そんなに待つの嫌だなって」  胸がぎゅうっと絞めつけられて痛い。どきどきがうるさい。  「おれ、松野が好きだ」  「私も! 私も光田君が好き!」  夜空の星がきらきら祝福のベルを鳴らした。 ✿✿✿✿✿  土曜日の夜、愛菜は震える手で「おめでとう! よかったね!」と凛奈にメッセージアプリの返信すると、ベッドに倒れ込んだ。  そして、声をおさえて泣いた。  「告白できてよかったね、凛奈。私は……、私は永遠に凛奈に告白できないよ。大好きだって……。こわいから、嫌われたくないから、私は、私の気持ちは、絶対に秘密なんだよ」
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