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もう遅いと神が言うのならば、黒はつまり、不幸の糸ということになる。
一体、どんな不幸がこの男に訪れるようになると言うのだろう。遥か年下の女に騙され続けていたことを、ようやく認めてしまったのだろうか。
それはそれで、つまらない話になる。
男は、結末を語り出した。
「神様は消えて、俺はぁ家に帰ってテレビを点けた。夜のニュースだ。そこに映ってたのはな、俺が愛してた女だったよ。驚いたぜ。本名、佐村美希。二十四歳。旦那も居て、子供が二人もいやがった……幸せな家族の、母親だったんだ……。家族がいたのか、そう思ったけどよ、それ以上に悲しかったのは……ワゴン車で事故を起こして逝っちまったってことなんだよ、畜生ぉ!」
男は握り拳でテーブルをぶっ叩くと、おめおめと鳴き続けた。夜中に聞く独身中年の鳴き声は、最低最悪のBGMだと、この時痛烈に感じた。
しばらく男が泣いていると、店主がグラスを拭く手を止めて、振り返った。
そして、男にこんな質問をした。
「……ご家族は、無事だったんですか?」
男は顔を上げ、涙ぐんだ三白眼を店主に向けたまま「全員……」と肩を落とし、ゆっくりと首を横に振った。
すると店主は再び男に背を向け、静かにこんなことを言った。
「なら、その人は幸せでしょうね」
店内には盛大に男の咽び泣く声が響き度り、私は自分の頭が段々と空になって行くのを感じ取り始める。
酔いが上手く身体に回らず、胸の奥でどろどろと弧を描きながら滞留している。
薄くなり始めたグラスを無理やり空にして、テキーラマティーニを頼んだ。
およそ二十年ぶりに味わったその酒の奥で、男はいつまでも泣き続けていた。
店主も同じように、いつまでもカウンターに背を向け続けていた。
私の頭は、空っぽになっていた。
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