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これは、小学生時代からの親友である渡貫美代という子の話だ。
美代は赤ん坊の頃に捨てられたため孤児院の出身である。当時の苗字は「立花」だったが、中学二年生の頃に彼女を引き取りたいと渡貫菜々子という女性が現れ、養子縁組を経て苗字が「渡貫」になった。
美代はあまり口には出さなかったが、母親に捨てられたことをずっと恨んでいた。母親そのものに嫌悪感のようなものを持っていたため、新しい母親とうまくいくか心配だったものの、渡貫さんは美代のことを実の子のように可愛がってくれたそうだ。二人は相性も良かったのか、小さな喧嘩はありながらもうまくいっていた。
しかし、それも表面上での話で、実際は美代が渡貫さんに遠慮しているだけのようだった。やはり引き取られたのが思春期を迎えてからだったこともあり、美代は距離感に悩んでいた。相談をされてもただ話を聞くことしかできず、私にはどうすることもできない。
夜中に静かに泣いている渡貫さんを見て、心がぎゅっと締めつけられるという。どれだけ愛情を注いでも美代からお母さんと呼んでもらえないことが、渡貫さんとってはとても辛いのかもしれない。渡貫さんの気持ちを思えば呼んであげて欲しいとは思うものの、美代も孤児が原因のいじめなどで凄絶な人生を送ってきている。だからこそ難しいのだ。
四月一日。エイプリルフール。その日、美代は渡貫さんからある提案をされる。エイプリルフールは嘘をついていい日。だからその日だけは、本当の親子として一日を過ごしてみないか、と。
美代は渡貫さんのことをお母さんではなく「菜々子さん」と呼んでいる。そんな渡貫さんとのぎこちない距離感を解消するきっかけを探してた美代は、その日だけ渡貫さんのことをお母さんと呼んでみることにしたそうだ。
お母さんと呼ばれたことに渡貫さんは大層喜んだそうだが、エイプリルフールが終われば美代はまた菜々子さんと呼ぶことにしたそうだ。どうやら、恥ずかしいということもあるが、やはり口にするたびに実の母親への怨みがちらつくからということらしい。
その頃になれば、私も渡貫さんに会うようになっていた。いつも美代と遊んでくれてありがとうと、本当の母親のような振舞いで。渡貫さんにも美代とのことで相談を受けることもあり、二人ともどこかで遠慮しているのだと理解させられ、ああもう、ともどかしくなったりもした。もちろん、二人の問題に私が無理矢理介入するような無粋な真似はできなかったのだが。
それから数年。エイプリルフールの日だけはお母さんと呼ぶことは続けていたそうだが、さすがにもう大人になってしまったためお母さんと呼ぶことが定着することはなかった。それでも美代は渡貫さんのことをしっかりと母親という存在として認識していたし、呼び方が他人行儀でも関係ないだろうと私も思っていた。
二十六歳の頃、美代は素敵な男性と巡り合い結婚した。その際、美代は自分の苗字に愛着があり、夫婦別姓を主張した。美代の生い立ちを知っているため相手はご両親含めてそれを快諾。晴れて新しい家庭を築くが、代わりに渡貫さんとの時間は減っていく。渡貫さんは寂しがりつつも、盆や正月などは婚家を優先しなさいと美代の背中を押したそうだ。その代わり、エイプリルフールだけは電話くらいさせて欲しいと。
美代が四十歳の頃、渡貫さんが病気で亡くなった。惜しくも、渡貫さんが楽しみにしていたエイプリルフールまでには届かなかった。最後くらい、エイプリルフールじゃなくてお母さんと呼んであげたかったと美代は泣いていた。私も一緒になって泣いた。
私にとって、エイプリルフールはくだらない日だった。どうでもいい嘘をついて、どうでもいいタネ明かしをして。ただそれだけのくだらない日。だけど、美代と渡貫さんにとっては特別な日だった。血が繋がらない二人の血が繋がる日。心だけじゃなくて血も繋がって、本当の親子になれる日。なんて素晴らしい日なんだろう。
そしてそれから数日が経ったある週末のこと。慌てた様子の美代から連絡があった。今すぐに会えないかと。予定はあったが親友の一大事を無視できるほど重要なものではなかったため、二つ返事で会うことにした。
馴染みの喫茶店に入ると、すでに神妙な面持ちの美代が待っていた。挨拶もそこそこに、美代はテーブルに一冊のノートを置く。実家で遺品整理中に見つけたもののようで、タンスの奥に隠されるようにして仕舞ってあったそうだ。中身を見て欲しいという美代に押されノートを手に取った。
そこには、渡貫さんが美代を引き取ってからのことがぎっしりと書いてあった。美代との生活に心を躍らせていること、健やかな成長に心掛けるべきこと、何が好きで何が嫌いか、どんなことで喧嘩したのか。渡貫さんが美代へ注ぐ愛情の片鱗を窺い知ることができる内容。
これがどうしたのか。渡貫さんがいい母親だったことは私も知っている。そう美代に伝えるが、美代はいいからと先を読むことを促してくる。首を傾げながらも、言われた通りに読み進めた。
しばらくすると、エイプリルフールの日のことが書いてあった。美代からお母さんと呼ばれてみたいと思っていたところ、丁度いい切っ掛けになるかもしれないと実行したこと。そして、美代が恥ずかしがりながらもお母さんと呼んでくれたこと。それがどれほど嬉しかったか。でも、エイプリルフールが終わればいつもの呼び方になっていてとても残念に思ったことなど。
さらに進むと美代が結婚したときのことも書かれてあった。幸せになって欲しい。相手の男性は素敵な人で、きっと美代を幸せにしてくれるという確信。嬉しい反面、美代と過ごす時間が減って寂しいということだったり。それでも、我儘を言ってエイプリルフールの日だけは連絡を取って欲しいとお願いしたことなど。
そして終盤に差し掛かり、病気のことが書かれていた。余命を宣告されたこと。先がもう長くないこと。美代には心配かけたくないこと。せめてエイプリルフールの日までは生きていたいこと。そして、やっぱり無理かもしれないこと。それでもどうしても生きたいと。
渡貫さんの言葉ひとつひとつに強い思いを感じ、目頭が熱くなってくる。涙でノートを汚さないように、ハンカチで拭いながら読み進めていく。そして最後の一文。それを目にした瞬間、ハッとした。
『エイプリルフールは私と美代が本当の親子に戻れる日だから』
「なれる」ではなく「戻れる」。それってもしかして。そう美代に確かめるが、美代は静かに首を振った。きっと美代も分からないのだろう。だから私に見せたということだ。
思い返してみれば、いくら養親といえどエイプリルフールへの執着が異常ではあった。心が繋がっていれば呼び方なんて、そこまで固執する必要はないはずだから。それなのにあれだけ執着していた理由。渡貫さんが居なくなってしまった今では真実を知ることは難しいかもしれないが。
渡貫さんにとってエイプリルフールは嘘をついていい日、なんかじゃなくて。ひた隠してきた真実、願いを口にしていい日。だったのかもしれない。
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