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「本当に、美しい光景ですよね」
「そうですよね。美しいですよね」
「ええ、死に際には、こんな光景を見ていてみたいものです」
「そう言っていただけると救われます。だから――」
私はオッサンの顔を見た。
どんな表情をしているのか、気になったから。
おそらく、とても満足げな顔をしているだろう。
(――――っ!)
でも、全く予想外の顔をしていた。
微笑むどころか、完全な無表情だったのだ。
感情が抜け落ちすぎて、一瞬顔が真っ黒に見えるほどに。
驚愕する私をよそに、彼はうっすらと口を開く。
「こんな素敵な光景を見れたのですから、きっと彼女も許してくれるでしょう。僕に感謝していることでしょう」
その言葉を聞いた瞬間、頭の中が真っ白になった。
さっきまで普通に話していた、どこにでもいそうな中年男性。
彼は自分自身の妻を――
「あなたは……」
それ以上は、言葉にできなかった。
言ってしまったら〝日常〟に戻れない気がしたから。
言葉に詰まっていると、オッサン問いかけてくる。
「あなたも〝日常〟はお嫌いですか?」
「はい。嫌いです」
迷いなく答えた私を見て、オッサンは口元だけで微笑んだ。
明らかに作り物の笑顔だ
「それなら、きっと気に入りますよ」
それだけ言うと、オッサンは浮き輪に乗りながら、スイーと移動し始めた。
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