波の下から見る花は

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 二位様の部屋から戻ると、主上が私を一目見るなり駆け寄っていらした。私が二位様を訪ねていた間も他の女官はいたはずだし、私個人に急ぎの用がおありとも思えないがと訝しく思っていたら、私を屈ませ、私の耳に口をお寄せになって、 「花見をしたいと申したこと、気にせずともよいからな。」 と仰る。主上のお顔は紅潮されていた。  私は梯子を外されたような気分になったが、詳しくお話を聞かねばなるまいと、主上を小部屋に連れ込んだ。  連れ込んだはいいが、どう切り出せばいいか分からなくて、 「お花見、楽しゅうございますよ。」 などと能天気なことを言ってしまった。主上は主上で、二人きりで追及されるとは思わず、焦られたのか、 「うん、楽しいだろうな。」 とつい本音がおこぼれになっている。こういう素直さが、何百年でも喜んでお仕えできる理由の一つだ。  しかし主上は、あっ、と真面目な表情に戻られて、 「話に聞くだけで十分に楽しい。この都に移ってからは催しておらぬのだから、何も(おか)に上がってまで催さずともよい。」 とお続けになる。 「陸に上がってまでと仰いますが、阿彌陀寺(あみだでら)での宴は幾度も致しております。花見だけはできないということがございましょうか。」 「それは夜の宴であろう。花見というのは、明るいうちに花を愛でるのが風雅なものではないのか。」 「ええ、ええ。ですから、昼間に致しましょう。」  私がそう申し上げると、主上は少しの間答えに窮されているようだったが、やがて小さな声で絞り出すようにお答えになった。 「夜の酒宴は武士も致すが、昼間から集まって花など愛でるのは、貴族の仕事だ。武士が貴族の真似事などしていたから、平家は滅んだのだと申す者もいるであろう。」  私はやっと合点がいった。平家は元々武家だったのが、貴族としても栄華を極めた結果、源氏と敵対することになった。男衆の中には、武をことさら誇り、貴族的な文化を毛嫌いする人たちもいる。けれど、そういう手合いは、阿彌陀寺(あみだでら)ができる前、海から出られず気が晴れぬからと、壇ノ浦を通りかかる舟を暇つぶしに沈めて喜んでいたような人たちなのだ。  主上は天子であらせられるのだから、そんな荒くれ者を手本にしていただきたくない。帝が花見をして何が悪いのだ。 「われは夜の酒宴にも加わったことがない。花見などと言い出せば、それまだ女子供の趣味が抜けぬ、年が経っても子供は子供、と謗られようぞ。」 「誰ぞにそのようなことを言われたことがおありですか。」  急に私が気色ばんだので、主上はたじろがれた。はっきりお答えにはならなかったが、口さがない者がいたのだろう。直接言われたわけではないにしろ、お聡い主上はどこかでご自分に向けられた侮りをお感じになっていらしたのかもしれない。  私は俄然、花見をしないではおかないという気分になった。三つの年に天子を継がれ、八つの年にはもう波の下の都に移り住まれた主上のささやかなお望みを、同じ平家の武士とはいえ邪魔をしていいわけがない。そんな謗りは私がいくらでも言い返して差し上げる。そもそも、陸にいた頃はみな花見を楽しんでいたではないか。二位様も公家のご出身なのだし、二位様が音頭をとって催せば、それに文句を言い出す者もおるまい。 「主上、お任せください。平家一門、みなでそろってお花見を致しましょう。」
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