波の下から見る花は

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「花見をしてみたいのう。」  春が訪れたのは、水底で暮らす私たちも感じていた。水の温かさ、魚やカニどもの顔ぶれ。きっと(おか)では花も咲いていることだろう。けれどもこの数百年、花を見ようなどと言い出す者はなかった。  花見をしたいという気持ちがなかった訳ではない。むしろ、在りし日の平家の栄華を思えば、今を盛りと咲き誇る桜、煌びやかに着飾った貴族たち、贅を極めた酒肴の数々を、みな恋しく思っているに違いない。だがそれだけに、思い出すだけで落ちぶれて亡霊となった今の身の上が情けなく、嘆かわしく思えて辛くなる。そんな訳で、この波の下の都に来てからは花見を催したことがなかったものだから、主上が花見をしたい、と仰るのを聞いて、私は正直なところ少しぎょっとしてしまった。  主上は陸で暮らしていた時から、花がお好きだった。桜の枝を欲しがられて、私が枝を折って差し上げたこともある。しかし、花見はおろか酒の出るような宴の席に加わられたことはない。まだ十にもおなりにならないのだから当然だ。誰ぞからお聞きになったのか、はたまた何かでお読みになったのか分からないが、私には主上が花見という言葉をご存じだったことすら驚きだった。 「お花見で、ございますか。」  聞き返した私の声は、顔は、戸惑いを伝えてしまっていただろうか。主上は慌てたようにお笑いになって、何でもない、と仰ったきり黙ってしまわれた。
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