波の下から見る花は

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 しまった、と思ったが時すでに遅し、それから主上が花見のことを口に出されることはなかった。  考えてみれば、幼さを理由に宴に加わったことのない主上は、一度でも花見の場を経験してみたかったのではないか。主上が大人になって同胞と酒を酌み交わす日は来ない。これから先も、何百年、何千年、主上はずっと八つのお年のままなのだから。  いつだったか、私たちが唯一(おか)で過ごせる阿彌陀寺(あみだでら)に、琵琶法師を呼んで宴を開いたことがある。その宴のときも、主上は他の子供たちと一緒に波の下の都に留め置かれた。まあ、あの時は宴の何日目かで琵琶法師が現れなくなって、迎えの者が代わりに引きちぎった耳を一組持ち帰るという珍事があった。戦慣れした男たちはさておき、私たち女官衆は阿鼻叫喚の大騒ぎだったから、主上をお連れしなくてよかったと心から思っているのだが。  しかし、波の下の都には子供が少ない。一門の多くの幼い子供らは、壇ノ浦まで着いて来られずに死んだのだ。幅をきかせているのは陸にいた頃と同じく、荒くれ者の男たち。宴に出たことのない子供たちの気持ちを慮ったことなど、今までなかったのではないか。何百年経とうが、幼いからとつまはじきにされる永遠の子供たちのことなど。  主上を本当に尊く、そして恐れながらも可愛く思ってお仕えしながら、どうして今までそんなことに思い至らなかったろう。ここは私たち大人が、何としても花見を開かねばならない。主上に思う存分楽しんでいただく機会を作らなくては。
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