第1章「針」 

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 たっちゃんさんと並んで歩くと、自分が中腰で歩いているかのように錯覚する。 電車の乗降口や中吊り広告を、のれんのようによけてさっさと歩く様は、長身歴十数年の貫録を感じた。 「レオくんなんでニットっていうか、編み物好きなの?」 「ばあちゃんと、あと母親の影響ですね。母親はニットデザイナーなんで」 「へー、サラブレッドじゃん。レオくんもそっち目指してんの?」 無視した。高校中退したばっかの奴に、進路なんか聞かないでくれ。 たっちゃんさんは特に気にする素振りもなく、週刊誌の中吊り広告の文言を見て 「レオくんはさぁ、『汚職事件』が『お食事券』じゃないっていつ気付いた?」 と聞いてきた。 高円寺に来るのは久しぶりだった。慣れないし結構道が入り組んでるから、本当に店を知らないと狙った服にはたどり着けない。たっちゃんさん、本当に大丈夫なんだろうな? 「あー。…あー、記憶蘇ってきた。神よ、古着屋の場所を教え給え…」 駅前で、目を瞑り、仁王立ちで呪文を唱える、タトゥーだらけの大男。 すぐにでも置いて帰りたい。 「おっけ、思い出した!こっち!レオくん、俺を信じて」 「あ、はぁ、信じる要素今のとこ無いですけど」 「くぅー、辛辣ー。いいよ俺そういうの嫌いじゃない」 「店どっちですか」 こっち!と元気に歩き出したこの人、何歳なんだろう。小学生のような朗らかさで全身を躍動させて進んでいく。燃費悪そ。 身長百九十センチの小学生ことたっちゃんさんは、迷いなく歩き、神の啓示の通り目当ての古着屋に辿り着いた。 店内に足を踏み入れると、店員さんが「いらっしゃいませ、あ、この前の」と言っていた。たっちゃんさんが特徴的すぎるルックスをしていることを差し引いても、前回来たのはそうそう前ではないんだろう。「どうもどうも」じゃないんだよ。 静かな店内に日が射し込み、照らされるニットはさらに暖かそうに見える。たっちゃんさんの言った通り、本当に店中ニット、しかもヨーロッパのビンテージものもいくつもありそうなラインナップで、そわそわと目が泳ぐ。 「うわ、どうしよ、どこから見よう」 「わーレオくんがテンション上がってるー。貴重ー。連れてきてよかったー。目がキラキラしてて可愛いー」 たっちゃんさんにかまってる暇はないので、ひとまず端から見ていく。 入口すぐの棚は、平坦な編地の上に、3Dみたいに盛り上がった模様編みが詰め込まれた、アランニットのコーナーだった。七〇年代の、ダイヤ模様とハニーコーム模様で構成された、教科書のようなアランニットが目についた。意外とこういうシンプルな物は、普通の服屋で探しても売っていない。 その少し奥には、大きな襟付きの、白かベージュっぽいアランカーディガン。この大きな襟にボタンとループを足して、襟を立ててハイネックのようにして着たら可愛いだろうな、と思った。鮮やかなナイロン地のショルダーパッチを片側に縫い付けても良さそう。 「良いのあったー?」 と聞かれたので、くだんのカーディガンを羽織って、ここにボタンを付けてショルダーパッチ付けて…と説明したら 「えっすげーいいじゃん。しかもカスタマイズするんだ、そういうのアリなんだ。似合いそう、絶対買いなよ」 めちゃくちゃ褒められて、たっちゃんさんとの買い物悪くないかもと思った。 「ねぇこれもレオ似合いそうだよ」 勝手に呼び捨てにすんなーと思いながらたっちゃんさんを振り返ると、その手には、多色編みで、細かい模様がランダムなストライプのように積み重なった、見事なフェアアイルニットベストがあった。 受け取ると、フェアアイルの持ち味の、何度触っても驚嘆する見た目以上の軽さ。緻密な編み目。模様の全貌は分からないけれど、これが間違いない品だということは分かる。タグを見ると、フェアアイルの老舗ブランドJAMIESON'S。まあ、そうだろうなとは思った。ますます欲しくなった。 「ねぇ、たっちゃんさん、これ」 「はいはい」 「ここ、何色?」 ベストの襟ぐり辺り、全体のベースとなる部分を指さしてそう聞いた。 「え、何色っていうんだろ、スミクロかな?ちょっと褪せた黒みたいな」 「じゃあ、ここは?」 「これは…だいぶ暗めだけど赤というか、ワインレッドみたいな」 少しの沈黙の後、たっちゃんさんが言った。 「レオ、色、苦手?」 「うん、黄色系と青系は分かるけど、他はあんまり区別付かない。全体が、多分みんなが言うところの茶色かグレー」 「生まれてから、ずっと?」 「うん、生まれつき」 だから俺には、技術はあったとしても、多色使いが最大の魅力のフェアアイルは編めない。一段一段はシンプルに二色を組み合わせるだけなのに、段ごとに色遣いを変え、気づけば複雑な模様を編み出す。その制作工程は、想像するだけで爽快で。でも。 「レオ。ここ、上の方は青なの分かる?その中に、赤系の茶色でこの線が描かれてる。その下の段、地のスミクロっぽく見えるんだけど、すっごい暗い赤を使ってて、それがその下の赤色ベースの模様との橋渡しになってて、洒落てるんだよ」 急に、たっちゃんさんが流ちょうに解説し始めた。しかも、単に色名言われるだけよりずっと分かりやすく。 「全体は、赤系の模様と青系の模様の繰り返しなんだけど、赤と青の中間の紫がこことか、こことかに入ってて、対照的な色だけどうまく馴染んでる。ちなみに、こっちのベストは、ベースが薄めのグレーで、黄色とか、その同系色の明るい緑が入ってて可愛いけど、俺はこのスミクロの方が締まってて、レオに似合うと思うよ」 懇切丁寧に解説してくれているのを聴きながら、たっちゃんさんこんな長い文章喋れるんだぁ…と失礼極まりないことを考えていた。 「じゃあ、こっちにしようかな」 「試着、いいの?ていうか俺が観たいよ、着てるとこ」 「ご試着どうぞ、試着室こちらです」 インナーのTシャツの上から重ね着してみる。 「いいじゃんいいじゃん。普通のシャツでもいけそう」 「…これに、フラップ付きのキャップとか合わせようかな。俺、こういうトラディショナルなやつ着る時、ハズさないと『よそ行き坊ちゃん』になるから」 「はは、自己分析的確!レオ面白いな」 ちょっと笑った後、たっちゃんさんが言った。 「このベスト、俺買ってあげようか」 「えっ、いいですよそんな、理由ないし」 「いいじゃん、連れてきたのも見つけたのも俺だよ?買わせてよ。そしてもっと俺に優しく接して?」 俺を金払わないと笑わない奴みたいに言わないで。 「いやでも、ホントに、ばあちゃんに小遣いも貰ってるし…」 「それはとっときなよ。ちょっとお兄さんぽいことさせてよー、俺兄弟いないしそう言うのやってみたいのよ」 これ以上いやでも…を繰り返すと、何か変な感じになりそうだから、潔くお言葉に甘えることにした。アランカーディガンは自分で買った。 青少年の健全な育成に対して意識が高いたっちゃんさんの 「さっさと食べてさっさと帰って、おばーちゃんを安心させましょうね!」 という提言に従い、十七時半だけど近くのカレー屋で晩御飯を食べることにした。 「ベスト、ありがとうございました」 「えー急にかしこまるね。全然、いいよ。俺大富豪だから」 「あと、デザインの説明も。すげぇ分かりやすかった」 お役に立ててよかったでーす、と言ってたっちゃんさんはお冷をがぶ飲みした。 「ここ俺、出します」 「え、やめてー。俺いくつだと思ってんの?ティーンにおごってもらうほど非常識じゃないよ」 本当にいくつなのか教えてほしい。見た目は年齢不詳、中身は無邪気で、取っ掛かりが何もない。 「二十五ぐらいですか」 「惜しい」 いくつに見える?の会話に2ラリー以上かけんなよ。めんどくさいので黙ってたら、 「えっさみしい、聞いてよ。二十八だよ、レオの十一個上だよね、たぶん」 「そうですね」 「…あっ、やばいこれ俺が喋んないと友達になれないやつ?俺、達人の達に海で達海。苗字は佐藤。超ふつう。レオは名前、カタカナ?漢字?」 「漢字です。王へんに命令の令の玲に、中央の王で玲央」 「苗字は?」 「市原です。市原悦子の市原」 「市原悦子さんレオの世代でも分かるんだぁ、大女優ー」 沈黙。俺は慣れてるけど、たっちゃんさんたぶんこういうの苦手だろうなと思いつつ、沈黙。でも、意外とたっちゃんさんは平気そうで、テーブルの隅にある、球体の占いマシーンをいじったりしていた。 「あっねえさっきのベストさ、あれどういうやつなの。俺のこのセーターみたいに、解説してよ」 「あー…あれは、フェアアイルって言って、スコットランドのシェットランド諸島の中の、小さい島で編まれてるニットですね。ああいう、カラフルな細かい模様が特徴なんですけど、それ以外にも、使っている毛糸がちょっと変わってて。シェットランドの羊の毛って、柔らかくてしっかり絡みやすいから、ああやって何色も使って細かい編み目で編んで、最後に洗いをかけると、フェルトみたいになって模様が馴染むんです」 「確かに、編み目一体化してたかも。ちょっと見せて」 袋からさっき買った、いや買ってもらったベストを取り出す。 「ほんとだぁ、フェルトみたいだわ」 「古着だから尚更、フェルト化進んでますね。あと、もう一つ大きい特徴があって」 V字の襟元と袖ぐりを指さす。 「ここ、最初は閉じて編むんです。大きな袋みたいに」 「えっ、じゃあどうやって穴開けるの?」 「切ります」 「えっ」 「一度編んだものを、ハサミで切るんです。もちろん、そのために『スティーク』っていう切りしろ部分がありますけど」 「切って、解けたりしないの?!」 「編地がよく絡んでるから、切っても解けないんです。袋みたいに繋げて編むから、脇にとじはぎ…えっと、縫い目みたいなものがなくて、保温性も高いし」 「っはー!よくできてるねぇ」 本当に、よくできていると思う。その地の気候や羊の毛質がうまく生かされている。こんなに目の細かい、柄も細かいニットを編み上げた後、大胆にハサミを入れるなんて発想をした人は、余程肝が据わっていたんだろう。 「レオはこれ、編んだことあるの?」 「俺は…編めない」 黙り込もうかと思ったけど、さすがに失礼だから、ちゃんと答える。 「普通の人でも、これだけの色数使うと、こんがらがると思います。俺なら、なおさら。モノトーンで編むなんて妥協もしたくない」 そこまで話したところで、料理が運ばれてきた。 カレーが付いたりしないように、さっとベストを片付ける。 たっちゃんさんは「おいしーね、めっちゃお腹すいてたからほんとおいしー」と言いながら、俺は無言で食べる。 半分くらい食べたころ、たっちゃんさんがメニューを見ながら、ラッシー飲む?と聞くのに続けてこう聞いてきた。 「レオ、さっきの編みたいんでしょ。なんだっけ、名前忘れた」 「フェアアイル」 「そう、それ。編みたいでしょ」 「や、だから」 「一緒に編もうか」 「え?」 「手は貸せないよ、目だけ。毛糸選ぶとか、次この色だよとか、ここまで間違えずに編めてるよとか。何が必要か、俺編み物したことないし分かんないから、そこはレオが指示してよ」 うそ。考えたこともなかった。 誰かと一緒に編む?目を借りる?にしたって、編み目の段数は三桁に達するだろうし、そのいちいちに「この色だよ」なんて教えてもらうのは現実的じゃない。 でも少なくとも、色選びに関しては、とても信頼のおける人だということは分かっている。 「編みたい。編みたいけど、どういう方法にすればいいかが…」 「まぁ、そこはゆっくり考えようよ。声かけてくれたら俺はいつでも乗るよ、なんかすごく楽しそうだし」 全く、変な人だ。愛想悪い俺のために、こんな見るからに面倒くさそうなことを、楽しんでやろうとしている。この親切で変な人のことを俺はよく知らない、と気づいた。 「あの、たっちゃんさんは、何してる人なんですか」 「あ、俺の店見てなかったか。うちタトゥースタジオなの。彫師さんだよ。刺青彫る人」 編針と違って、ずいぶんと鋭利だけど、俺と同じく、針を持つ男だった。
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