第1章「針」 

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第1章「針」 

二年ぶりにばあちゃんに会いに行ったら、「たっちゃんさん」が居た。 代々続く石屋に生まれ、医者の家系に嫁いだばあちゃんは、お嬢様歴七〇年になる。 暇を持て余し、二年前から、街中に持っていた土地でドライフラワーのアレンジメントの店を経営している。異様にインスタ遣いの上手いばあちゃんの宣伝活動が功を奏し、なかなかの人気店になった。 今月から、そこに小さなカフェを併設するので、店が落ち着くまで俺が手伝いとして派遣されることになった。 「どうせ高校も辞めて、暇でしょう?」って。 Google map上のピンと、俺の現在地を示す青いマークが重なる。 インスタでいつも見ていたから、すっかり来たことある気になっていたけれど、よくよく考えたら俺はここに来るのは初めてだった。 薄いグレーの漆喰の外壁に、窓枠や扉の木がよく映える。内装工事ついでに、外装も少し変えたらしい。 木の引き戸のガラス越しに、アンティークっぽい、長さ三メートルはありそうな大きなテーブルが見え…たと思ったら、いきなり視界が遮られた。 そして、ガラッと勢いよく引き戸が開いた。 そこには、濃紺のニットの海が広がっていた。 いや、そのニットにはちゃんと人間の身体が詰まっていて、その上に、俺の目線から二十センチくらい上のところに、若い男の顔が付いていた。 つまりは、百九十センチはあろうかという、長身の男が立っていた。 「あ、君レオくんだ。いらっしゃい。俺、タツミ。たっちゃんって呼んでよ!」 誰。 色んな疑問はあるけれど、何で名前知られてるんだとか、何でばあちゃん差し置いてここに居るんだとか、突然あだ名提案すんなよとか、色々あるけれど、全ては「誰」に起因するものだ。 「すいません間違いました失礼します」 ひと息にそう言ったにのにまるで聞いていない大男は、 「おばーちゃーん、レオくん来たよー」 と奥に向かって呼び掛けた。自己紹介より、絶対それが先だったと思う。 ドライフラワーの向こうから現れた小柄の老女は、紛れもなく俺のばあちゃんで、どうやらこの店はばあちゃんの店で間違いなさそうだ、という結論を得た。 「あーレオ、待ってたわよぉ。おっきくなったね、もうお兄ちゃんね」 「久しぶり。まぁ、俺だいぶ前からお兄ちゃん」 普通に会話してる俺とばあちゃんをニコニコ見守る大男。 「おばーちゃんが言ってた通りだね、レオくん可愛い」 「でしょー。小さい頃とかね、お人形さんみたいだったの!」 違いない。俺はお人形さんみたいだった、そして今も可愛い。 とび色の目、髪は栗色でやや癖のある猫っ毛で、肌が白く、幅の広い二重。 こういういかにもな白人とのハーフ、日本人大好きだよね、と初対面の人に会う度思う。でも、その可愛さの源泉たるスコットランド生まれの父を、ばあちゃんは忌み嫌っているけれど。 「店、お洒落。中も外も」 言いながら椅子に座る。これも、脚や背もたれの装飾が凝っていて、アンティークっぽい。インスタでよく見ていた以前の店構えやインテリアは、決してダサくはなかったけど、もっと簡素なものだった。 見上げた天井には、吊り下げ式の照明がいくつも。そしてもっとずっとたくさんの、逆さまに吊り下げられたドライフラワー。花と葉の形をした茶色の群れ、たぶん。ところどころにミモザの黄色。これは俺にもわかる。 「今はこういうのがウケるんだよって、たっちゃんが教えてくれたの」 忘れるはずの無いデカさなのに、一瞬その存在を忘れていた。 「……ばあちゃん、この方」 「たっちゃんって呼んでよ」 「あのね、お隣のお店のひと。タツミくんて言ってね、よくお茶に付き合ってくれてるの」 「おばーちゃん、たっちゃんだから!」 「たっちゃんって呼んであげて」 じわじわと目の解像度が上がってきた。 ハーフアップにした暗い色の長髪。 やや細身だけど、肩と胸周りにはちゃんと筋肉が乗っている。 その身長に見合う骨格を感じさせる、しっかりした鼻筋と顎。 目が大きすぎて黒目のサイズが追い付きませんでした、って感じのうっすら三白眼。 そして何より、捲ったセーターの袖から伸びる、右腕、いや右手の甲までを埋め尽くすタトゥー。 総合して俺は思った。怖い。 「…え、このお兄さん、お隣さんなの?」 「たっちゃんって呼んでよー」 「そうね、営業時間もだいたい一緒だし、私がカギ閉める時もたっちゃんはいるし、ほんとお隣さんねぇ」 もう一度、彼を上から下まで見た。首のストロークが長くて疲れる…と思ったところで、俺の目が釘付けになった。 「お兄さん、そのニット」 「たっちゃんって」 「たっちゃんさん、そのニット。古着、ですよね?」 「あ、そうだよぉ。高円寺にいい店あってさぁ」 「これっ…」 たっちゃんさんの腕をつかんで、においを嗅ぐ。 「えっ、ちょ、おばーちゃん、レオくんこういう挨拶するタイプの子なの?」 「……やっぱそうだ」 少し立った襟元、腋部分のひし角のマチ、裾のスリット、たっちゃんさんの細身が際立つぴったりしたシルエット、そしてこの羊の脂の匂い。 「これ、ビンテージのガンジーニット…」 「え、何。俺これ可愛いし楽そうだから買っただけなんだけど。ガンジーって、あの眼鏡坊主の」 「違います」 えーじゃーもうわかんないよーというたっちゃんさんの声を無視して話を続ける。 「イギリス海峡のガーンジー島で、漁師のために編まれた仕事着です。たっちゃんさん、ちょっとかがんで下さい」 えー、と戸惑いながら素直に従うたっちゃんさん。 「ほら、首元も含め、前後のデザインが一緒でしょ? 暗い夜でも、前後気にせず着られるようにこうなってるんです。 あと腋のマチ。たっちゃんさん、これ腕動かすの楽だなって思いませんか?」 「あ、そうそう!細いつくりの割に、腕周り突っ張らなくていいんだよねぇ」 「まさに、作業用なので、腋下にマチを作ることで余裕をもたせてるんです。あと、動きやすいように裾にもスリットが入ってる」 気が付けば、たっちゃんさんを中腰にさせ、ニットの裾を引っ張っていた。 中に着たヒートテックが見えている。 「たっちゃんさん、これにヒートテック、暑くないですか」 「…うん、そうなんだよね。なんか習慣で着ちゃうけど、正直暑い」 「ですよね。羊の脂が残った糸を使ってて、結構なハイゲージ…編み目が細かくて、しかも袖口はぎゅっと締まって、全体的なシルエットもタイトだから、かなりあったかいと思います」 一気にしゃべって、俺は我に返った。そして気づいた。あのよく分からないけど怖いたっちゃんさんを操り、詰問したというとんでもない蛮行に。やばい。殴られる。どっか連れていかれる。 でも、たっちゃんさんは目をキラキラさせていた。 「えーすごい、レオくんめちゃくちゃ詳しいねー。俺何にも考えずにさぁ、いいじゃーんって買って、あったかーい楽ちーんって着てたのに」 「レオはね、編み物大好きなのよ」 そう、俺はここに、編み物に没頭するためにやって来た。 ばあちゃんのカフェは、ただのカフェじゃない。 編み物も趣味のばあちゃんが、自分の編み物仲間を集めるためだけに作った「ニットカフェ」だ。ここでばあちゃんお手製の焼き菓子でお茶しながら、おしゃべりを楽しみつつみんなで編み物をしよう…そういう場にする。 俺もばあちゃんや母親の影響で、セーターでもカーディガンでも靴下でも、大体のものは編める。ケーブルやハニーコームの立体的な模様編みをぎっしり詰め込んだアランニット、くだんのガンジーニットも編める。 初心者〜中級者さんくらいなら、編み方を教えたり、失敗した時のカバーもできる。 そういう訳で、ばあちゃんに助っ人として呼び出された。 でもたぶん、俺に白羽の矢が立った理由は、そういう編み物の技術とか、俺がとてもおばちゃんウケがいい―ある年齢以上の女性がよく俺を見て、「ハギオモト!」と謎の呪文を唱える事とは別のところにある、と思う。 そもそもこのニットカフェは、過保護なばあちゃんが、俺に居場所を与えるために百万近くかけて作った場所なんじゃないかって、可愛らしくない邪推をしている。 「たっちゃんコーヒーね、レオは紅茶の方がいいかしら」 「え、あ、うん」 少年少年した見た目でコーヒーが苦手なの、本当はすごく嫌だ。 正面でいいのにわざわざ隣に座る大男ことたっちゃんさんが、「コーヒー駄目なんだーかわいー」とか言い出したらすげームカつくなと思ってテーブルの角を凝視していた。でも、違った。 「レオくん来たから、おばーちゃんも安心だね。男手無くて色々苦労してたから。 荷物運んだりとか、台風来そうな時とか。 俺もなるべく力仕事手伝ってたけど、いつも手空いてるわけじゃないからさ」 色白で可愛くて編み物好きな俺を、初対面で「男手」と見なした人は初めてかもしれない。 大体俺は周りから、中性的で浮世離れしてて、無垢で〜みたいに思われる。 うるせぇな、と思う。俺がハギオモトだろうが髪が栗色だろうが、足は臭いし、片膝立ててスマホ見ながらカップ麺食べながら果てしなくしょうもないお笑い番組見るし、鼾はうるさく寝ながら涎を垂らす。 そういう、自己と、他者からの印象とのギャップに慣れきっていると、「男手」扱いされるという取るに足らない出来事もちょっとしたご褒美だ。 「あーまぁ、ばあちゃん一人だと色々心配ですからね」 あら、レオに心配されちゃった、と笑いながらばあちゃんが、ティーポットと二客のティーカップ、コーヒー、そして大ぶりのシナモンロール二つを持ってきた。 白いアイシングがたっぷりかかっていて、シャリシャリとしたそれをふわふわの生地が受け止める。俺の大好物。可愛いと言いたきゃ言え、俺は甘党だ。 「やったー俺これ大好き!おばーちゃんありがと」 俺より先にたっちゃんさんが声を上げた。俺のリアクション待てよ、ここ俺のばあちゃんの店だぞ。 「お菓子焼いて飲み物も提供して…って、ばあちゃん結構忙しくない?」 「そうよぉ、だからレオに来てもらったの。 注文取ったり、簡単な飲み物作ったりはお願いね。コーヒーはおばあちゃんがやるから、お紅茶とか、ジュースとか」 「あーそれくらいなら全然」 「てかさぁ、みんなレオくんと喋りたがると思うよ。おばちゃんおばーちゃんにモテるでしょ君。よ、看板息子」 「空いてる時間俺も編んでていいの」 「あ、無視されたー」 「ご自由にどうぞ。みんなと仲良くね。困ってる人いないか気にかけてあげて」 あんまり没頭しちゃダメそうだ。複雑な模様編みとかはここではやらないようにしよう。 「そういえばさぁ、レオくん、このニット売ってた古着屋紹介しよっか。古着屋っていうか、ほぼニット屋だったし、楽しいんじゃない?」 たっちゃんさんから初めて有益な情報がもたらされた。 「あ、お願いします。高円寺でしたっけ」 「そー高円寺のさぁ、うん、なんつったっけなぁ。あー。あ、あーやばい、ど忘れした。店の場所…も何となく覚えてるけどそこまでの道が分かんない。店構えだけは覚えてんの!俺の脳内を念写して見せたいくらい」 前言撤回。 「もうさ、一緒に行こ。連れてってあげる。俺今日定休日で暇だし、今からでもいーよ?」 「え、いや、いいです自分で調べるし…」 「無理じゃない?高円寺めっちゃ古着屋あるよ」 だからこそ店名だけでも覚えておいて欲しかったんだよっ、と言いたいのをグッと堪えた。そして、一人で服屋に行ったところで俺は歯がゆい思いをするだろうってことも思い出した。 「レオ行ってきたら?荷物うちに置いたら、やることもないじゃない。ついでに二人で晩御飯食べてきてもいいわよ。日持ちするものしか作ってないし、明日に回せるわ」 ばあちゃんとたっちゃんさんは本当に仲がいい。 華麗な連係プレーで俺を追い詰めてくる。 「…あー、じゃ、お願いします」 「お任せあれー」 「…店覚えてないじゃないすか」 「あっ、おばーちゃんレオくん反抗期ぃ?反抗期ってやつ?これ」 反抗期だと思ってるんなら騒ぐの逆効果って分からないかな。この人と晩御飯まで一緒かと思うと、既に胃もたれがしてきた。 出がけにばあちゃんがこっそりと「お小遣い、持っていきなさい」と三万円持たせてくれた。甘い。実に甘い。ばあちゃんも、俺も。
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