第3章「目玉」

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 たっちゃんさんが切り出した。 「こないだ言ってた、レオに手伝って欲しいお客さんの件なんだけどさぁ」  何だか歯切れが悪い。 「タトゥー入れる箇所がね、胸なのよ。女性の胸。胸元だけじゃなくて、バスト全体をぐるっと囲むような形でってオーダーなの」 「あー……」 「ティーンの男子の前でさ、本人を前にして、胸の話をするって、やっぱあんまり良くないと思うわけ。だからまぁ、カウンセリングは俺がして、レオに後から意見があれば出してもらうみたいな」 「いや、俺も同席したい」 「え」  突然口から出た言葉に、俺自身もちょっとだけ驚いた。メッセージで打診を受けた時の躊躇が消え去り、代わりに意地に近いような強固な意志がやってきた。 「俺も同席するから」 「断言するじゃん……俺まだ検討段階だったのよ。てか消極的だったけど話聞いてた?」 「デザイン料までもらった時点で、あれは仕事だったんでしょ。俺の仕事を見て、それと同等のものをと求められているなら、責任持って関わりたい。たっちゃんさんからの伝言だけで、お客さんの意向を汲み取れるほど俺は器用じゃない」  たっちゃんさんは、えでも教育上……俺も大人として責任が……とモゴモゴ言っている。どうしよう、言うべきか、と迷ったが、「無い」ことは決して恥ずかしいことではない、と思って、言った。 「たっちゃんさん、俺は、目の前の女性の胸を見て、興奮したことがない」  五秒くらいの沈黙のあとたっちゃんさんが 「そうなんだ……」  とだけ言った。  言葉足らずだったかもしれない。たっちゃんさんなら、別にもう少し詳しく言っても大丈夫か、と思った。 「この女子の身体に触りたいとか、思った事がない。かといって、男子の身体を目の当たりにしたところで、同じく何も感じない。だから、腕や脚にタトゥーを彫りに来た人と同じ感覚で接すると思う。まぁ、そうだっていう証明はできないけど」 「いや、証明なんていらないよ」  たっちゃんさんが、いつになく真剣な顔をしている。少し安心して、俺は続けた。 「俺はさ、自分が関わった仕事を、最後まで見届けたいんだ。でも、もし目の前で、何と言うか……セクシーな話になって行ったら、俺はすごく、気持ち悪いと感じる、と思う」 「いやいやそれはレオがどうとかじゃなく良くないでしょ。お客さんも、病院行くのと同じ感じですって言ってくれてるし、絶対そんな雰囲気にはしないから」  小学校高学年になり、周りが少しずつ異性に興味を持ち始める中、俺は、たまに誰かがこっそり持ち込む雑誌のグラビアを見て、騒ぐ友人たちと自分との温度差に気付いた。クラスの女子を好きになったことすらなかったから。  案の定、中学生になったら周囲との温度差はどんどん開いていった。レオはノリ悪ぃな、と言われることもあり、必死で話を合わせた。そうする自分や、自分が発する言葉に対する嫌悪感がどんどん強くなっていった。  合わせきれず、徐々に周りが俺を「レオってアレなんじゃん」と言っている気配を感じた。  一方で、体育の後や修学旅行の大浴場で、同級生の半裸や全裸を見ても、俺は何も感じなかった。俺にとっては、女子のシャンプーの匂いはただのフローラルの香りに過ぎず、男子の汗の匂いは普通に汗臭いだけだ。 「うーん、でも性的な感じじゃないとは言え、青少年の前で胸の話するってやっぱどうなんだろ。ねえ、おばーちゃんに一言言っといたほうが」 「絶対やめて、マジでやめて。たっちゃんさん、自分の身内に『来週のいついつ、この子の前でおっぱいの話します』とか言われたいか?」 「あ、えっと、俺身内ってか家族居ないから分かんない感覚だけど、うーん、おばーちゃんに言われるのはなんか嫌かも?」  瞬間、言葉を失ってしまった。たっちゃんさんの愛嬌や人懐っこさは、おばあちゃん子だからかなとか、家族に愛されて育ったからかなとか勝手に思っていた。 「……そうなんだ。えと、まぁ俺は、すごい恥ずかしいから、絶対やめて」 「分かった、じゃあおばーちゃんには言わないね。ていうか、カウンセリングで話するだけだしね、モロに見せる訳じゃないし、仕事の話だし、レオが問題ないならいっか」 「いいよ、いい。めんどくさいし。なんでもかんでもばあちゃんに報告することないでしょ」 「うーん、いやでもなぁ」 「しつけぇな、当日押しかけるぞ」  冬の青空の下、俺たちは流れで、微妙にオープンにしづらい身の上話をすることになった。
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