第3章「目玉」

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「ありがとう。いつか、だからさ。あんま構えないでね。じゃ、俺はこれから、自分の彫るからさ」  そう言ってたっちゃんさんが切り上げようとした。 「何、自分で自分の身体にタトゥー彫るってこと?俺見てていい?」 「えぇっ、興味あるの?いや、いいけどさ、ちょっと怖いかもよ?別に楽しいもんでもないと思うよ」  いいじゃん、見るだけだしと押し切って、ソファに座った。動かないぞという姿勢を示せばもうこっちのもんだ。  今回は脛に彫るらしく、毛が綺麗に剃られていた。両手にゴム手袋をはめ、脛の空いている部分に図案を転写していく。全体的に濃いグレーの羅針盤の絵。 「今塗ったの何」 「ワセリン」  いつものにこやかさは消え、俺の方を見ることはない。左手に歯医者さんのドリルのような、電動らしき針を持つ。ユイナさんの図案を描くところを見ていたはずなのに、そういえばこの人は左利きだった、と今更思い出した。左腕の白い鳥が、腕の動きに伴って少しだけ歪む。  転写した線の上を、ゆっくりだけど、俺が想像していたよりはずいぶん早く、丁寧にペンで絵を描く時、くらいのスピードで彫っていく。電動カミソリのような音が、静かな店内に響く。意外と全然、血とか出ないもんなんだなと思いながら、じっと見ていた。線の周りの肌が、かすかに盛り上がっている。  見ていて、「うわ、痛そう」という感じが全然なかった。  たっちゃんさんが身体を起こし、針を置いてふう、と息を吐いた時、ダメ元で聞いた。 「俺も彫りたい」 「え、ダメだよ!未成年にタトゥー入れたら犯罪だよ?」 「そっちじゃなくて」  それ、と針を指さす。 「俺持っちゃダメ?」 「はぁ~?!絶対絶対絶対ダメだから!俺の肌彫るってことでしょ?彫師としても安全上も絶対ダメです」 「じゃ俺が持つんじゃなくて、たっちゃんさんが持ってるとこにちょっと手添えるだけとか」 「えー……いやそれもダメでしょ、危ないし」  一瞬間があった。こういう時、たっちゃんさんは押せばいけてしまう、ということを俺は知っている。 「じゃあさ、未成年の俺がこうやって日常的にタトゥースタジオに出入りして、果てはアルバイトみたいなことしてるのって、法律とか条例的にオッケーなの?」  たっちゃんさんが、「やば」「確かに」「ぐぬぬ」「こいつ……」をミキサーにぶち込んでスムージーにした顔をしている。  本当は、未成年にタトゥー彫るのは条例で禁止されてるけど、出入りに関しては特に禁じられていない、まぁ俺の調べた範囲だけど。詳細は知らん。たっちゃんさんが動揺しさえすれば、それでいい。 「ちょっと左手添えるだけだから。誰にも言わないから。ね、お願い」 「誰にも言わない」ことの範囲をどう捉えるかは、たっちゃんさんにお任せだ。ボッコボコの穴だらけの論理なのに、たっちゃんさんの心が揺れているのが手に取るように分かる。 「何なら、彫ってる手に触れるだけだと思ってもらってさ」 「えー……。え、本当に、ほんとに誰にも言わない?」 「言わない言わない。俺言うような友達いないし。ばあちゃんになんて言う訳ないし」 「うーん。うーん。じゃあ、じゃあほんと今回だけよ?手も添えるだけよ?絶対針本体には触らないで、力も入れないでね?!」  ほらね、と思った俺は、たっちゃんさんの優しさと押しの弱さを利用した、とんでもないクソガキだ。たっちゃんさんは、こんなクソガキの策略に乗らないよう、今後気をつけて欲しい。今後。  俺もゴム手袋をはめ、たっちゃんさんの左斜め後ろに立ち、肩越しに左手を重ねた。 「ホント絶対力入れないでね!完全に無になってよね!神様、レオの手からすべての力を奪い給え……」  たっちゃんさんって気軽に神様召喚しがちだよなぁと思ったけど、真剣だということを示すために黙っていた。  たっちゃんさんの手を伝って、針の振動が伝わる。針先が皮膚に刺さり、スススと線を描く。ただ手を添えているだけだからか、元々そういうものなのかは分からないけれど、皮膚に針が刺さる感触はない。  でも確実に、俺はこの人の肌を刺し、線を彫り残したという、奇妙な満足感があった。征服感に近い、と思った自分が、少し恐ろしくなった。俺はサディスティックな気質があるのか?と。 「はい、ここまで!もうダメだから!ほんと誰にも言わないでよ?あーめっちゃ怖かった、レオっていきなりグッ!って力込めそうだもん」  なかなか察しがいい。別にしないけど、それに近い気分にはなっていたかもしれない。  これは多分、絶対に伝わってはならない感情だと思った。  俺は、今後このタトゥーを見る度、あの線は俺が彫ったと思い返す気がする。これが腕でなく、服に覆われて、そうそう目にすることはないだろう脛で良かった。 そして俺はこの12時間後、震える指でたっちゃんさんにメッセージを打つことになるなんて、まだ知る由もなかった。
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