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「これ、ビンテージのガンジーニット……」
「え、何。ガンジーって、あの眼鏡坊主の」
「違います」
えーじゃーもうわかんないよーというたっちゃんさんの声を無視して話を続ける。
「イギリス海峡のガーンジー島で、漁師のために編まれた仕事着です。たっちゃんさん、ちょっとかがんで下さい」
えー、と戸惑いながらたっちゃんさんは素直に従う。
「ほら、首元も含め、前後のデザインが一緒でしょ?暗い夜でも、前後気にせず着られるようにこうなってるんです。あと腋のマチ。たっちゃんさん、腕動かすの楽だなって思いませんか?」
「あ、そうそう!細いつくりの割に、腕周り突っ張らなくていいんだよねぇ」
「まさに、作業用なので、腋下にマチを作ることで余裕をもたせてるんです。あと、動きやすいように裾にもスリットが入ってる」
気が付けば、たっちゃんさんを中腰にさせ、ニットの裾を引っ張っていた。
「たっちゃんさん、これ、部屋の中だと暑くないですか」
「……うん、そうなんだよねぇ。早く着たくて選んだけど、正直暑い」
「ですよね。羊の脂が残った糸を使ってて、結構なハイゲージ……編み目が細かくて、しかも袖口はぎゅっと締まって、全体的なシルエットもタイトだから、かなりあったかいと思います」
一気にしゃべって、俺は我に返った。そして気づいた。
捲った袖から伸びるたっちゃんさんの腕には、想像以上にごっついタトゥーが入っていた。左腕は大きな花と、前腕にぽっかりと白い空間。いや、それは陰影もほとんどない、シンプルな白い鳥だった。妙にかわいらしい左腕に対して、右腕はライオンの写実的な口元が見える。
こんな人を操り詰問するという、とんでもない蛮行を働いてしまった。俺は今度こそたっちゃんさんに「お迎え」されることを覚悟した。
でも、たっちゃんさんは目をキラキラさせていた。
「えーすごい、レオくんめちゃくちゃ詳しいね!俺何にも考えずにさぁ、いいじゃーんって買って、あったかーい楽ちーんって着てたのに」
想定外の朗らかさに気が抜ける。
「レオはね、編み物大好きなのよ」
「あぁなるほどねぇ、じゃあこのお店にぴったりだね」
お嬢様歴七十ウン年のばあちゃんはこの度、編み物友達の集会所として、ニットカフェなるものを開いた。お茶しつつおしゃべりを楽しみつつ、みんなで編み物をするらしい。俺も初心者〜中級者さんくらいなら、編み方を教えたり、失敗した時のカバーもできる。多分、ニートまっしぐらの俺に、ニート以上フリーター未満の生活を満喫させる為の店でもあるんだろう。
ばあちゃんの焼いたシナモンロールを食べながら、これからのことを軽く話した。
「注文取ったり、簡単な飲み物作ったりはお願いね。コーヒーはおばあちゃんがやるから、お紅茶とか、ジュースとか」
「あぁ、それくらいなら全然」
「てかさぁ、みんなレオくんと喋りたがると思うよ。おばちゃんおばーちゃんにモテるでしょ君。よ、看板息子」
「空いてる時間俺も編んでていいの」
「あ、無視されたー」
「ご自由にどうぞ。みんなと仲良くね。困ってる人いないか気にかけてあげて」
あんまり没頭しちゃダメそうだ。複雑な模様編みとかはここではやらないようにしよう。
「そういえばさぁ、レオくん、このニット売ってた古着屋紹介しよっか。古着屋っていうか、ほぼニット屋だったし、楽しいんじゃない?」
たっちゃんさんから初めて有益な情報がもたらされた。
「あ、お願いします。高円寺でしたっけ」
「そう高円寺のさぁ、うん、なんつったっけなぁ。あー。あ、あぁやばい、ど忘れした。店の場所……も何となく覚えてるけどぉ、そこまでの道が分かんない。店構えだけは覚えてんの!俺の脳内を念写して見せたいくらい」
前言撤回。
「もうさ、一緒に行こ。連れてってあげる。俺今日定休日で暇だし、今からでもいいよ?」
「いや、いいです自分で調べるし」
「無理じゃない?高円寺すっごい古着屋あるよ」
だからこそ店名だけでも覚えておいて欲しかったんだよっ、と言いたいのをグッと堪えた。
「レオ、行ってきたら?荷物うちに置いたら、やることもないじゃない。ついでに二人で晩御飯食べてきてもいいわよ。日持ちするものしか作ってないし、明日に回せるわ」
ばあちゃんとたっちゃんさんは本当に仲がいい。華麗な連係プレーで俺を追い詰めてくる。
「……じゃ、お願いします」
「はいはい、お任せあれ」
「……店覚えてないじゃないすか」
「あっ、レオくん反抗期?反抗期ってやつ?これ」
反抗期だと思っているのなら、騒ぐのが逆効果だと気付いていないのだろうか。この人と晩御飯まで一緒かと思うと、既に胃もたれがしてきた。
出がけにばあちゃんがこっそりと「お小遣い、持っていきなさい」と三万円持たせてくれた。甘い。実に甘い。ばあちゃんも、俺も。
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