第1章「針」 

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「レオ、色、苦手?」 「うん、黄色系と青系は分かるけど、他はあんまり区別付かない。全体が、多分みんなが言うところの茶色かグレー」 「生まれてから、ずっと?」 「うん、生まれつき」  だから俺には、技術はあったとしても、多色使いが最大の魅力のフェアアイルは編めない。一段一段はシンプルに二色を組み合わせるだけなのに、段ごとに色遣いを変え、気づけば複雑な模様を編み出す。その制作工程は、想像するだけで爽快だ。でも。 「レオ。ここ、上の方は青なの分かる?その中に、赤系の茶色でこの線が描かれてる。その下の段、地のスミクロっぽく見えるんだけど、すっごい暗い赤を使ってて、それがその下の赤色ベースの模様との橋渡しになってて、洒落てるんだよ」  急に、たっちゃんさんが流ちょうに解説し始めた。しかも、単に色名言われるだけよりずっと分かりやすく。 「全体は、赤系の模様と青系の模様の繰り返しなんだけど、赤と青の中間の紫がこことか、こことかに入ってて、対照的な色だけどうまく馴染んでる。ちなみに、こっちのベストは、ベースが薄めのグレーで、茶色とか、抹茶ぽい緑の模様。アースカラーって言うのかな。俺はこのスミクロの方が締まってて、レオに似合うと思うよ」  懇切丁寧に解説してくれているのを聴きながら、たっちゃんさんこんな長い文章喋れるんだぁ…と失礼極まりないことを考えていた。 「じゃあ、こっちにしようかな」 「試着、いいの?ていうか俺が見たいよ、着てるとこ」 「ご試着どうぞ、試着室こちらです」  インナーのTシャツの上から重ね着してみる。 「いいじゃんいいじゃん。普通のシャツでもいけそう」 「……これに、フラップ付きのキャップとか合わせようかな。俺、こういうトラディショナルなやつ着る時、ハズさないと『よそ行き坊ちゃん』になるから」 「はは、自己分析的確!レオ面白いねぇ」  ちょっと笑った後、たっちゃんさんが言った。 「このベスト、俺買ってあげようか」 「えっ、いいですよそんな、理由ないし」 「いいのいいの、連れてきたのも見つけたのも俺だよ?買わせてよ。そしてもっと俺に優しく接して?」  俺を金払わないと笑わない奴みたいに言わないで。 「いやでも、ホントに、ばあちゃんに小遣いも貰ってるし」 「それはとっときなよ。ちょっとお兄さんぽいことさせてよー、俺兄弟いないしそう言うのやってみたいのよ」  これ以上いやでも……を繰り返すと、何か変な感じになりそうだから、潔くお言葉に甘えることにした。アランカーディガンは自分で買った。  青少年の健全な育成に対して意識が高いたっちゃんさんの 「さっさと食べてさっさと帰って、おばーちゃんを安心させましょうね」 という提言に従い、17時半だけど近くのカレー屋で晩御飯を食べることにした。 「ベスト、ありがとうございました」 「急にかしこまるね。全然、いいよぉ」 「あと、デザインの説明も。すげぇ分かりやすかった」  お役に立ててよかったでーす、と言ってたっちゃんさんはお冷をがぶ飲みした。 「ここ俺、出します」 「え、やめて。俺いくつだと思ってんの?ティーンにおごってもらうほど非常識じゃないよ」  本当にいくつなのか教えてほしい。見た目は年齢不詳、中身は無邪気で、捉えどころがない。 「いくつですか」 「当ててみてぇ」  ニッコリ笑って返された。俺は、質問に質問で返されるのが大嫌いだ。一回目だからギリ許す。 「二十五ぐらいですか」 「惜しい」  いくつに見える?の会話に2ラリー以上かけんなよ。二度目はない、と思って黙り込んだ。 「……えっさみしい、聞いてよ。二十八だよ、レオのひとまわり上だよね、たぶん」 「そうですね」  お冷をひと口飲んでテーブルに置いた。 「……あっ、やばいこれ俺が喋んないと仲良くなれないやつだ。俺、達人の達に海で達海。苗字は佐藤。超ふつう。レオは?」 「市原レオです。市原悦子の市原に、レオはカタカナ」 「市原悦子さんレオの世代でも分かるんだぁ、大女優ー」  沈黙。俺は慣れてるけど、たっちゃんさんたぶんこういうの苦手だろうなと思いつつ、沈黙。でも、意外とたっちゃんさんは平気そうで、テーブルの隅にある、球体の占いマシーンをいじったりしていた。 「ねえ、さっきのベストさ、あれどういうやつなの。俺のこのセーターみたいに、解説してよ」 「あー……あれは、フェアアイルって言って、スコットランドのシェットランド諸島の中の、小さい島で編まれてるニットですね。ああいう、カラフルな細かい模様が特徴なんですけど、それ以外にも、使っている毛糸がちょっと変わってて。シェットランドの羊の毛って、柔らかくてしっかり絡みやすいから、ああやって何色も使って細かい編み目で編んで、最後に洗いをかけると、フェルトみたいになって模様が馴染むんです」 「確かに、編み目一体化してたかも。ちょっと見せて」  袋からさっき買った、いや買ってもらったベストを取り出す。 「ほんとだぁ、フェルトみたいだわ」 「古着だから尚更、フェルト化進んでますね。あと、もう一つ大きい特徴があって」  V字の襟元と袖ぐりを指さす。 「ここ、最初は閉じて編むんです。大きな袋みたいに」 「えっ、じゃあどうやって穴開けるの?」 「切ります」 「えっ」 「一度編んだものを、ハサミで切るんです。もちろん、そのために『スティーク』っていう切りしろ部分がありますけど」 「切って、解けたりしないの?!」 「編地がよく絡んでるから、切っても解けないんです。袋みたいに繋げて編むから、脇にとじはぎ……えっと、縫い目みたいなものがなくて、保温性も高いし」 「っはー!よくできてるねぇ」  本当に、よくできていると思う。その地の気候や羊の毛質がうまく生かされている。こんなに目の細かい、柄も細かいニットを編み上げた後、大胆にハサミを入れるなんて発想をした人は、余程肝が据わっていたんだろう。 「レオはこれ、編んだことあるの?」 「俺は……編めない」  黙り込もうかと思ったけど、さすがに失礼だから、ちゃんと答える。 「普通の人でも、これだけの色数使うと、こんがらがると思います。俺なら、なおさら」  そこまで話したところで、料理が運ばれてきた。カレーが付いたりしないように、さっとベストを片付ける。たっちゃんさんは「おいしーね、めっちゃお腹すいてたからほんとおいしー」と言いながら、俺は無言で食べる。  半分くらい食べたころ、たっちゃんさんがメニューを見ながら、ラッシー飲む?と聞くのに続けてこう聞いてきた。 「レオ、さっきの編みたいんでしょ。なんだっけ、名前忘れた」 「フェアアイル」 「そう、それ。編みたいでしょ」 「や、だから」 「一緒に編もうか」 「え?」 「手は貸せないよ、目だけ。毛糸選ぶとか、次この色だよとか、ここまで間違えずに編めてるよとか。何が必要かは、俺編み物したことないし分かんないからさ、そこはレオが指示してよ」  うそ。考えたこともなかった。  誰かと一緒に編む?目を借りる?にしたって、編み目の段数は三桁に達するだろうし、そのいちいちに「この色だよ」なんて教えてもらうのは現実的じゃない。でも少なくとも、色選びに関しては、とても信頼のおける人だということは分かっている。 「編みたい。編みたいけど、どういう方法にすればいいかが」 「まぁ、そこはゆっくり考えようよ。声かけてくれたら俺はいつでも乗るよ、なんかすごく楽しそうだし」  全く、変な人だ。愛想悪い俺のために、こんな見るからに面倒くさそうなことを、楽しんでやろうとしている。この親切で変な人のことを俺はよく知らない、と気づいた。 「あの、たっちゃんさんは、何してる人なんですか」 「あ、俺の店見てなかったか。うちタトゥースタジオなの。彫師さんだよ。刺青彫る人」  編針と違って、ずいぶんと鋭利だけど、俺と同じく、針を持つ男だった。
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