第8章「花火」

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 見物客から再び拍手が上がった。ずっとそこに居たはずの何百人もの人達の存在を、三十分ぶりに感じた。  たっちゃんさんが、 「あーよかったねぇ、職人さんたちお疲れ様です」  と言いながら拍手した。もちろん、俺も。二人で両側から窓を閉めながら話す。 「凄いね、レオいつになく穏やかな顔してるね」 「いいもの見たからね」  自分でも驚くほどスムーズに言葉が出てくる。今ならこのまま、もっと大切なことが言えるんじゃないか、という気がした。窓の木枠の凹凸を指先に感じながら、少しだけ息を吸い込んで言った。 「あのさ」 「レオと一緒に観られて良かったよ」  ほぼ同時に、言おうとしていたのと同じ趣旨のことを言われてしまった。自分が思ったことを、相手の声で聴く。それが嬉しかった。花火見て感動して、一緒に観られて良かったと言われて喜んで。俺は至ってふつうの感性だ。つまらないほどにふつう、でも、その感動と嬉しさと幸福は、つまらなくない。  気持ちを伝えたい、と思った。ふつうでいい、ベタでいい、ドラマチックでもオリジナリティに溢れていなくてもいいから。  それは、今言うべきことなんだろうか。明日の夜じゃダメなんだろうか。この後すごく気まずくなったりしないだろうかと心に問いかけた。でも、思い上がりかもしれないけれど、同じものを見て「一緒に見られてよかった」と思った今の俺たちなら、どちらに転んでも、この空間を居心地の悪いものにはしないという、信頼のようなものがあった。  そしてたっちゃんさんには、「叶わなかったけど間違いではなかった告白」の見届け人になってもらって、それから門司に行って欲しいとも思った。  二人とも椅子に座ったまま、窓の外を見ながら切り出した。 「あのさ」 「うん?」 「あの、もう、分かってると思うけど」  俺は所詮まだ子供で、しかも恋愛経験もないけれど、この状況でここまで言ったら、たぶん大体の大人は何が言いたいかわかると思う。ちらっとたっちゃんさんの顔を見た。  動揺はなかった。もちろん、怯えもなかった。さっきまでと、花火を見た直後と同じようにただ微笑んでいる。俺も、この穏やかさは数分前から引き続いているもの。  きっと、伝えるだけなら何とかなる、と思った。目が合うのを待って、言った。 「好きだ」 「うん。ありがとう」  二人とも、変わらず微笑んでいる。  いや、いた。  やはり、俺は所詮子供だった。 「……えっ、ありがとうだけなの?!」 「えっ、えっごめん、何か言った方がいいの?」 「いや、普通さ、俺はどうだとかさ、何かあるだろ!」  あぁー、とたっちゃんさんが言って、首筋をかいた。やってしまった。花火の感動で俺の心は一旦まっさらな状態になったものの、その効果が五分以上持続するほど、俺の“我”は弱くなかった。  だが、顔が青くなるほどのやらかしではない、と心のどこかで思っていた。こんなもの、俺らの間では日常茶飯事の食い違いだから。 「えっと、とりあえず、おかパーしよっか」 「はぁ?何で今だよ」 「いや、大事なことだけど、重く話すの嫌じゃない?それに長くなるかもしれないし。プリン食べようよ」  気が抜ける。まぁ重い話するために公園でシャボン玉吹く人だしな、と思い、飲み物やデザートをリビングのローテーブルに集めた。椅子でもソファでもなく、床に直接胡坐をかいて座る。 「じゃ、お疲れ様ぁ」 「乾杯」  俺はコーラで、たっちゃんさんはペットボトルのコーヒー。 「レオはカフェで働いてるのに、プリンにコーラ合わせるんだね」 「いや、この後ポテトチップス食べるだろ。コーヒーとポテチは合わない」 「スタバではポテトチップス売ってるよ……で、さっきの話ね。俺はさ、まだ『ありがとう』までしか言っちゃダメなんだよ」 「何でだよ」 「だってレオ、未成年だし。今は違うけどもうすぐ高校生だし。まぁ定時制だから高校生って言っても色んな年齢の人いるけど、母校の後輩だし、何となくねー……」  年齢制限だったとは。想像以上に事務的と言うか、常識的な理由だった。 「じゃあ、さ。未成年でも高校生でもなくなったら、どうなの」  あー、うーん、と言いながら、たっちゃんさんが言葉を探している。いやいや、ここら辺は全然想定できるだろ、答え用意しとけよ、と思ってしまう自分に驚いた。婉曲的な告白に留め、その後も一馬さんを慮ったたっちゃんさんとは、心根が違いすぎる。  たっちゃんさんには俺である必要はあんまりないけど、俺にはたっちゃんさんみたいな人しか対応できないだろうな、と思った。 「まぁ、今の時点でさ、年齢的な部分しか理由に挙げないってことで、察してくれない?」  あっ、と思った後、顔がどんどん熱くなるのが分かる。  俺が「答え用意しとけよ」と思っている間、たっちゃんさんは「察し悪いなこいつ」と思っていたのかもしれない。ルイが、首と肩がカチカチに凝りそうと言っていたのを思い出す。一日分の凝りが急にのしかかってきた。  あからさまに動揺している俺を見ても、たっちゃんさんはニヤニヤはせず、ニコニコしているだけだ。やっぱり俺とは心根が違う。察し悪い奴にも分かるように説明してもらったから、ちゃんと返さなくてはいけない。 「あのさ、俺、元々ね、元々十九になる年には卒業するつもりだったから。だからまぁ、一年半後には卒業してると思うけど?それまでは引き続き、よろしく、ってことでいいわけ?」  俺はすごい。  こんな弟分現れたら、一馬さんってどう思ってたんだろう。何だか、真面目な長兄、優しい次兄、我儘で横柄な末っ子って感じだ。俺だけ持て余されてそう。  自分にがっかりして、後ろのソファの座面に頭を埋めた。 「俺、何でこんな捻じ曲がってるんだろうね。たっちゃんさんよく平気でいられるね……って、これは別に『そんなことないよ』待ちじゃないから……とか言うところがさぁ!俺はさぁ!」  ソファに押し付けた頭をグリグリ回していたら、たっちゃんさんが 「レオ、落ち着いて」  と、優しく肩を叩いてきた。 「俺は、そういうストレートじゃない所が面白いと思ってるし、自分と全然違うところが、いいなって思ってるよ。レオ結構我儘だけどさ、その分俺一人じゃ出来ないことがレオとなら出来るし、こうやって引っ張ってきてもらえたし」 「我儘だとは思ってるんだ」 「逆に思われてないと思ってた?」  たっちゃんさんが冷静に俺たちを客観視出来ていて安心した。向かい合ってもう一度、ちゃんと言い直した。髪はきっとボサボサなんだけど、もういい。 「最短で卒業できるように、頑張るからさ、それまで、待ってて欲しい」 「はい、引き続き、同じ感じでね、よろしくお願いします」  いつもの俺達のまま、大分先の約束をした。
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