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引越し注意
またか。
かかってきた電話の向こうで話される内容に、うんざりするのを抑えられなかった。
「……ですから、すでに告知していますよね。ご承知の上で契約なさったのでは」
相手はかなりヒートアップしていて、怒鳴り声を残し電話が切れる。同僚が話しかけてきた。
「皆川さん、お疲れさまです。また例の部屋ですか」
「佐野さん……はい、またです」
また、というのも会社で管理している物件のうち、とあるアパートの一室だけ人が居つかないのだ。以前孤独死した老人がいた、心理的瑕疵物件、巷で事故物件と呼ばれる部屋ではあるが、リフォーム済みで告知もしている。
「家賃半分で、みんな最初は喜ぶんですけどね」
最近は事故物件に住む芸人がいたり事故物件を題材にした映画、小説の影響か住みたいと言う人は割といるのだ。物価上昇激しい昨今、孤独死程度で避けていれば住める場所がないというのもあるのだろう。
「やっぱり出るのかなあ、オバケ」
「いませんよ。思いこみです、そんなもの」
佐野には言ってのけた皆川であったが、部屋が売れないのは不動産会社にとって損害でしかない。ついに会社のツテで祓い屋というか、霊能者を頼ることになった。
担当である皆川がアパートの前で待っていると、普通のおじさんがやって来て面食らう。
「すまんすまん、遅れた」
右手をあげて駆け寄ってくる姿は、六十代ほど。格好もジャケット姿で、イメージする霊能者らしくない。
「で、あなたが担当のお嬢さん?」
「皆川ナホです。よろしくお願いします」
「これはご丁寧に。俺のことは、岩永と呼んでな。普段急な依頼は受けないんだが、そちらさんとは前から付き合いがあったんで特別料金で請け負ったんだよ」
「はい」
名刺を差し出した皆川にたいして、岩永は名刺を差し出さなかった。なにか訳があるのかもしれないが皆川には見当もつかない。
ふと、岩永の視線が動いた。
「二階南、角部屋。あそこか」
「えっ、はい」
まだ案内していないのに。
驚く皆川をよそに岩永はアパートの中に入っていく。あわてて追いかけた。岩永はまるで住人のように迷わず階段を上がって部屋まで歩いていく。二階の南にある角部屋前で足を止めた。皆川が鍵を開けると岩永は靴を脱いでずかずか部屋に入る。
「い、岩永さん」
しばし部屋を見渡していた岩永は、玄関に立ち尽くす皆川に笑顔を向けた。
「空っぽだ」
「空っぽ?」
「うん。もうここには誰もいねえ」
「どういった意味ですか」
「人はまだ住んでるのか?」
「つい三日前に引っ越されたそうです」
三日前、会社にクレーム電話を入れた元住人はすでに引っ越していた。次もまた同じことになったらたまらないので霊能者を頼ったのだ。
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