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第13話 近づく『目覚め』
第13話 近づく『目覚め』
13
「肇さんは叔父さまの御子⁉」
珠子は驚き、一族の秘密に言葉を失った。髪を耳にかけ、さらに聞こうと澄ませると、松風はもう黙ってはいられないと堰を切ったように話し出す。
「あたしはご当主さまに言おうとしたんです。でも、公芳さまが言うなと。そんなことに悩んでいるうちにご当主さまは病床についてしまって……公芳さまが実権を握るようになってからは肇を人質にされればあたしは黙って従うしかなかったのです……」
言い訳がましかったが、状況は分かる。公芳は家を乗っ取るために自分の子を珠子の兄、当主の公春の子と偽り次期当主とし、なおかつ公春を殺そうとしている。松風は肇がいるから公芳の言いなりになるしかないかった。そういうことだ。もちろん、松風には松風の打算はあっただろうが……。
「あたしは……どうしたらいいのでしょうか……」
「生きているのは肇の母親だからだろう。なついている母子を離せば、能力を制御できない子供は暴走する。公芳さまは強い能力者ではないからな。だから、お前は殺されずにいたんだろ」
その通りだと珠子も思う。母親がいなくなれば、どんな子だとてぐずる。能力のある子ならただ泣きじゃくるだけではないだろう。松風もそれに頷いて同意した。
「呼ばれた時しか会わせてはくれません。向こうの都合です。子供は毎日、会いたいと言っているのに……」
「それは寂しい思いをされましたね……」
珠子は松風を抱きしめた。珠子の肩が濡れ、松風の苦しかった日々を感じた。母親として子と離れるのはさぞや辛いことだったことだろう。今日、玄関に人力車で乗り付けたのも虚勢を張っての出来事だったのかもしれない。
「あたしが妊娠した時、世話をしてくれたのがお千です。秘密もその時に打ち明けて……だから殺されたんです……公芳さまに脅す時もお千が文を書いて『黙っていて欲しければ金を渡せ』と。投げ文したのを見られたかもしれせん。あたしは字が書けませんからお千に任せきりで……」
「軽率だ。お千のことは俺だって知っている。公芳さまがお千だと推測するのは簡単だっただろう。たとえ脅したのがお千でなくても口は塞いで置こうと考えても不思議じゃない」
曲が腕を組んだ。松風は打ちひしがれる。
「……きっと次に川に浮くのはあたしでございます。公芳さまから逃れる術などないのですから」
「でも肇さまがいらっしゃるのに? 叔父さまも実子のご生母にそこまで酷はないでしょう?」
珠子は小首を傾げたが、そんな考えは甘いと松風は笑った。
「公芳さまはあたしのことを肇に『あいつは強欲な女』で『息子を利用しているだけだ』と吹き込んでいるんでございますよ。肇もだんだんとそれを信じるようになっているんです。会えないのもあたしが会いたくないからだと嘘を言っているので、自我が芽生えつつある肇は公芳さまの言葉を信んじてあたしが息子を疎んじているのだと思い込んでいるのです」
珠子は松風が気の毒になった。彼女は誤解されやすい人だ。欲深そうに見えても気っぷがいい江戸っ子で、やはり一人の母親でもあり、息子は金より大事だ。
ふうっと珠子は息をついた。
「松風さまを助ける術はありませんか、曲さま?」
曲は気が乗らなそうだったが、珠子は一人の女として松風に同情した。なんとかならないかと視線を向ければ、曲は仕方なさそうに肩をすくめて見せる。
「隠れ場所を捜そう」
「本当でございますか!」
「ああ……本家には知られていない結界のある場所はある……そこにいればいい。ただ、しばらく外出はできなくなる。必要なものは手の者が届けることになる。それでもいいか」
「ありがとうございます、ありがとうございます、子爵さま」
松風は手をすり合わせて感謝した。
「止めてくれ。感謝するなら珠姫にしてくれ。俺は助けたくてしているわけではない」
曲は疲れた顔をし、眉を寄せた。珠子は曲に申し訳ない気持ちになったが、礼を何度も言う松風を見ると、正しいことをしたと思う。でも、ここの空気は重い。長い一日だったように思う。珠子の体調はあまりよくなく、屋敷の中に入りたかった。
「少し失礼してもいいでしょうか」
珠子が中に入ると、ちょうど壁時計が九時の時をぼんと告げ、追いかけるように暖炉の上の置き時計も煌びやかな音楽を奏でた。
一人、窓の外を見れば月は西に傾いていた。星が満天に輝き、バラ園は鬼火に照らされて浮かび上がって見える。珠子は灯りをつけてくれようとする侍女を断り、真っ暗な部屋の長椅子に腰掛けた。遠く、窓の外から聞こえる夏虫の鳴く声が昼の暑さを忘れさせてくれた。珠子の口から思わず吐息が出る。
「大丈夫か」
後ろから曲の声がした。やはり追いかけてきた。
「はい。大丈夫です」
珠子が微笑み、後ろを向くと、彼も疲れている様子だ。
「現実は厳しいものなのですね……」
「そうかもしれないな」
「わたしが今まで生きていた世界は、作られた幸せだったのですね。曲さまによる――」
「…………」
珠子はランプが照らす長椅子の横を叩いた。曲が並んで座った。
「珠姫、顔色が悪いよ」
「月の光のせいでしょう?」
青白い月影は美しい。
頬を照らす月。
珠子は肇が心配になった。このまま公芳に任せていたら、どういう人に育つのか不安しかない。しかし、その心配を口にする前に曲は立ち上がり、珠子に手を差し伸べる。
「今日はいろいろありすぎた。休んだ方がいい。侍女が湯を用意してある。珠子が好きだというベストローズソープを用意させてある」
「まぁ、そんな高い舶来のものを……わたしは好きだなんて一度も言ったことがないのに」
「でもいつも行く化粧品屋で必ず匂いを嗅いでいたよ」
「いやな、曲さま……恥ずかしい。どうしてそんなことまで見ているのですか」
珠子が拗ねたので、曲は少しほっとした顔になる。そして笑みを真顔にすると珠子の両手を取った。
「大丈夫だ。俺がいる。珠姫のことは俺が守る。心配ないよ」
曲が珠子を抱きしめた。
不思議な安堵、疲労感、頼りたい気持ち、そして彼もまた疲れているのだと感じると、珠子も曲を恐る恐る抱きしめ返した。それは心地いい静かな時間だった。
「では――」
珠子は立ち上がろうとする。風呂に入ってベッドに潜り込めば明日には気分はましになっているだろう。珠子は名残惜しそうに手を離した曲に微笑して背を向けた。
しかしその時、眩暈がして曲の腕を掴んだ。息が急に上がって手が震えた。どうしたことだろう。意識が遠のいていく――。
「珠姫!」
曲が叫び、彼女を抱き上げた。
『目覚め』が迫っている。
誰に言われなくても、体の全てが急激に変化しているのが珠子は感じた。
朦朧とする中、珠子は必至に曲の手を握った。彼は慌てて珠子を横抱きにする。
「おい、医者を呼べ! 医者だ!」
使用人たちが何事かとこちらを見たが、珠子の様子に皆が一目散にそれぞれの仕事にかかる。珠子の「目覚め」に皆はずっと前から備えていたのだ。
「凄い熱だ」
曲は、珠子が初めてこの屋敷に来た時に寝ていた洋室のベッドにそっと彼女を下ろすと、侍女に命じて氷を惜しみなく珠子の頭にのせてくれた。そして医者に怒鳴りながら指示を出していたが、一向に珠子の具合はよくならなかった。高熱が更に出、頭は割れそうだった。ぼんやりと見上げると、シャンデリアが垂れ、怪しい光を暗い部屋に燦めかせている。
「しっかりしろ、珠姫」
励ましの声がうつろな意識の向こうで聞こえた。
「ひどい熱じゃないか、目覚めを乗り越えられない女人もいるという。どうするんだ」
「そんなことにはならない!」
聞こえるのは花崎男爵と曲の争う声だ。
「熱を吸い取った方がいいんじゃないか。鬼は病を肩代わりできる。お前の目が見なかったのを珠姫が吸い取り、そして今、お前が自分に戻したように」
「分かっているさ、そんなことは」
「ならなぜしない?!」
「屋敷に結界を敷いている。結界が消えたら、本家のヤツらがなにをしでかすかしれない。そうなると珠姫の命も危うくなる!」
「そんなことを言っている場合か! どちらにしろ危ないんだからな!」
花崎男爵はもどかしそうにいら立っていた。曲はぎゅっと珠子の手を握る。
「曲、本当は怖いんだろう!」
花崎が曲の背広の襟をつかんだ。
「なんだと?!」
「大量の陽の気を得れば、お前だってただでは済まない。それが怖いんだろう!」
「お前こそ、犬のふりして人の妻に付きまとうな! 俺がなにも知らないとでも思っているのか!」
「そんな話を今しているんじゃない!」
仲山が慌てて二人を引き離したのをうっすら開けた目で珠子はぼんやりと見ていた。止めたいのに止められない。花崎が長い髪をかき上げ、曲が怒気をあらわにして飾られた花瓶ががたがたと音を立てて揺れ、地面に落ちて割れた。
「お前がしないなら、俺がする」
「なんだと」
「意気地のないお前に任せておけない」
ぼんやりした視界で珠子はなんとか二人を見ようとしたが、どうもうまくいかない。花崎が近づいてきて、珠子に接吻しようとしたのを曲が背中を掴んで止めた。
「俺のフラウだ」
曲の声は毅然としていた。
「珠子は俺の妻だ」
「…………」
花崎は怒りと悲しみの顔で従弟を見ると、拳でドアを叩きつけて出て行った。曲は、珠子の横たわるベッドの隅に座って再び手を握った。
「大丈夫だ。俺が変わってやる」
仲山が、肩に手を乗せ、制止した。
「曲さまが力を失えば、邸の安全が脅かされるだけでなく、信岡黒木家の一族の結束にも影響を及ぼします」
「では珠姫をこのままにしろと? 目覚めで体を壊した女たちを俺はたくさん見たが、ここまで悪かった人はいない」
「花崎男爵にお願いしてみては……」
曲は立ち上がると仲山を花崎にしたように突き飛ばした。
「あいつは人の妻に横恋慕しているんだぞ! 接吻などさせられるか」
「鬼同士の接吻は力や病、気のやりとりがあり、愛情表現以上の意味がたしかにありますが、非常事態には仕方ないことです。それに――」
「それに――なんだ? 言ってみろ!」
曲の声は怒りの頂点にあった。
「先代の黒木侯爵が……」
「言ってみろ!」
「先代の侯爵が珠姫さまのお相手に花崎男爵をお選びになってあとから反故にしたのは有名な話です。結納まで上げていたお相手でした」
「珠姫が五つの時の話だ。今更誰も覚えていない。お前は花崎に仕えているのか!」
「私がいいたいのは、治癒の力は想いに比例するということです。花崎さまなら……」
「黙れ!」
曲の声と同時に窓ががたがたと揺れ、隙間から黒い気が雪崩れ込んできた。天井から、ドアから、床から、黒い影はビロードのようにうねりながら、曲の周りに集まる。珠子は手を一生懸命上げて、彼の腕を掴もうとしたが、届かなかった。
「ああああ」
代わりに自分からぽろぽろと真珠が零れるのを感じた。汗のように肌から真珠が垂れるのだ。珠子は痛みにのたうち回った。ベッドの下にも珠がいくつも落ち、大きな音を立てて転がった。
「珠姫!」
「あああああ」
手のひらからも耳から鼻から真珠が零れる、吐き気を覚えれば、口から大量の真珠が出た。
「待っていろ!」
珠子は曲を見た。
彼は必死の形相で、珠子を抱きしめると、顎を上げ接吻をした。なにかが体から逆流する。珠子の中で彼女を蝕むものが消え、ゆっくりとだが癒えていくのを感じた。
片や、曲はベッドの傍らに崩れ落ちた。
珠子ははっとするも、体が動かない。仲山が珠子の横に曲を寝かす。珠子は呟くように仲山を見た。
「曲さまは大丈夫でしょうか」
「子爵は黒川家の当主を望まれたほど鬼人としての力がある方です。きっと珠子さまの陽気を陰気に変えて中和されるはずです」
珠子は意味が分からないまま頷くと曲の横に寝て、その体をなで続けた。そうすると彼の苦しみが和らぐように思えた。そして珠子もいつの間にか眠っていた。
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