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前編【俺は選ばれた。神にも、人質にも。】
「おい運転手! そのまま走り続けろ!」
「はっ……はいぃっ!!」
「いいか? 少しでも怪しい動きをした奴は、この銃で撃ち殺すからな!」
――自分が乗ったバスがジャックされるなんて、この世で何人に一人の確率なんだろうか?
バスの右列、最前から二番目の通路側。そこが今、俺が座ってしまっている席。そのせいで犯人は目の前だ。
そして周りを見渡せば、震えるサラリーマン、身を寄せ合う老夫婦……まるでドラマと同じ光景が今、俺の目の前で繰り広げられている。
しかしこんな状況下においても、少なくとも俺だけは、自分でも恐ろしいくらい極めて冷静だと言える。
別に俺が警察官というわけではないし、ましてや何かしらの格闘技に長けているわけでもない。それでも俺には、この状況を容易く脱することができる確固たる自信がある。
なぜならこの世でただ一人、俺にだけ許されたとある力があるから……!!
生まれてこの方、三十年と少し。俺は至って平凡な生活を送ってきた。
厳密に言えば『平凡を装ってきた』という方が正しいか。そうしないと俺みたいな奴はまず目立って、人間らしいまともな生活など送らせてもらえなかっただろう。
そんな俺を人外たらしめる力――それは、《この目で見た者を消し去れる力》。
もう少し細かく言えば、《この目で見た生命体が瞬く間に粒子状となって、その場に砂のごとく崩れ落ちる》というものだ。
ここだけ聞くと「じゃあこれまでの人生、何かと不便だったのでは?」と思われるかもしれない。
だがそこは都合がいいもので、心で狙いを定めた者――コイツは消してやると、心の底から思った奴だけを消し去ることができ、他には余計な危害を加えずに済むのだ。
この力で俺は、今までありとあらゆる生命体を消してきた。それこそ顔の周りを飛び回るコバエから、犯罪者、果ては我々国民にとって明らかに不必要な悪徳政治家まで。
もちろん、目の前で突然人が砂のように死んでしまえば、世界的に騒ぎとなる。しかし如何せん、根拠がない。せいぜい超常現象として一旦は取り扱われ、今も様々な専門家が血眼で研究していることだろう。
と、ここまで聞けばもうお分かりだな? そう、つまり俺なら一人のバスジャック犯ごとき、消し去るなどわけないのだ!
……そのはずなのだ。
ここであらためて、この力の致命的な欠点を教えておく。それは、この目で直接見た《皮膚部分だけ》を粒子状にできる、ということだ。
となると風呂上がりでもない限り、消し去ることができる部分は自ずと限られてくる。家の外でも人間が隠しきれていない部位といえばズバリ、顔。あとは夏場なら四肢だ。
もちろん、顔面だけでも消せればそれで充分殺せる。だから今まで、この力で困ったことなど一度もなかったのだが……
……チラッ。
なるべく気づかれないよう、再度バスジャック犯の男の容姿を確認する。
頭には深くかぶられたニット帽、顔面には真っ黒な覆面にサングラス……あまりに典型的すぎるが、まぁ身バレ防止としては当然のスタイルだな。
じゃあ首は? タートルネックをしっかり着込んでいるか。服装は上下長袖長ズボンで、きっちり手袋まではめてやがる。なるほどなるほど……
「(……一ミリも皮膚が見当たらねぇじゃねぇかよっ!!)」
何なんだ、コイツは? まさか俺の力のことを知っているのか? 最悪、俺がこのバスに乗り込んでくることを、あらかじめ想定してたってのか? そうじゃなきゃ、何で冬でもないこの時期にそんな暑苦しい格好してやがるんだっ!?
さて、どうする? こうなれば一般人らしく、警察が助けに来るのを待つか――
――バキュウンッ!!
「おい、そこのお前! 余計な動きしたらブチ殺すからなっ!」
誰だ? 誰か知らないが、後ろの方で誰かがその『余計な動き』とやらをしたらしい。それを見たバスジャック犯が、天井に向けて威嚇射撃しやがった。
悠長に助けを待っていても、それまで生き延びていられる保証なんてない……そうと分かったら、やはりこの窮地は自分で切り抜けるしかないってことか。
それならそれで、とにかく一瞬でもバスジャック犯の皮膚が露わになる瞬間を見逃すわけには――
「……おい、お前さっきから何ジロジロ見てんだよ?」
「いや、別に」
「ウソつけ、見てただろ! よし、お前立て! こっち来い!」
「えっ?」
「『えっ?』じゃねぇ、いいから立てっつってんだよ!」
「いや、ちょっと……!!」
――最悪だ。目をつけたつもりが、逆に目をつけられてしまった。
クソッ……何で神に選ばれしこの俺が、こんな取るに足らない小物風情のせいで、人質に選ばれなきゃならないんだよ!?
こうなったら意地でもコイツを消してやる。俺がこの目で一体どれだけの人間を消してきたと思ってるんだ? お前とは踏んできた場数が違うんだよ、場数が!
とは言っても、実際どうする? 肩から腕を回され身動き取れない状態で、この上なくターゲットと至近距離ではあるが……とりあえずコイツの袖を直接捲ってやるのが手っ取り早いか? でもそれだと、俺が能力者だと周囲にバレてしまう恐れがある。
ならばせめて、誰かが何かしらアクションを起こしてくれればちょうどいいんだが……例えば運転手が急ブレーキかけるとか、あるいは他の乗客が……
「な、なぁ君!」
何かないかとバス全体を見渡していたら、急に誰かが挙手して震えた声を上げた。
「頼む、私だけでも下ろしてくれ! 大事な会議があるんだ!」
「知るかっ! お前ら乗客の都合なんか、どうでもいいんだよ!」
「金ならいくらでも払うっ!! だから、どうか……っ!!」
周囲の目も気にせず必死に命乞いする、最奥に座るサラリーマン。命の危機となると、こんなにも分かりやすい行動に出る奴がいるとは……
……コイツは使えるな。
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