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 月の半ばは比較的仕事量が少なく、普段残業ばかりの巽でも定時で帰れることがある。今日も予定していたミーティングが上司の不在で延期されたおかげで巽は定時で会社を出ていた。外が明るい時間に帰路につくのは、なんだか嬉しくてわくわくしてしまう半面、本当に自分は今日の仕事を全て終わらせただろうか、と不安にもなる。  大丈夫全部終わってる、と自分に言い聞かせた巽は、途中のスーパーで酒とつまみでも買って灯希と飲もうと頭を切り替え、駅から出た。  最近灯希はワインを飲むようになったから、何か美味しそうなものを見つけて、つまみにチーズを買おう。本当はウインナーかサラミも見繕いたいところだが、先日灯希に『ちょっと太ったでしょ』なんて言われたからやめておくか――そんなことを考えながら歩いていると、車道を挟んだ向こう側の歩道を歩く一団が見えた。  駅が近いから賑やかな通りではあるが、若い数人の男女はそれ以上に騒がしく楽しそうで、巽も思わずそちらに視線を向けた。 「……灯希……?」  すらりと背の高いその姿を巽が見間違えるはずはなく、その一団の中には灯希がいた。隣には小柄な女の子が並んで歩いていて、何やら会話を交わしては互いに笑顔を向けている。  女の子は可愛らしいワンピースを着ており、そのスカートの裾がひらひらと灯希の長い脚にまとわりついているくらい、近くを歩いている。二人はきっと精神的にも距離が近いから、こんなに近くを歩いていても笑顔でいられるのだろう。  灯希も彼女を大事に思っているのか、向かい側から歩いてくる人をよけるように彼女の肩を抱き寄せて歩道の内側へと誘導している。  灯希が自分ではない他の誰かに触れている。  それを認識した瞬間、ちくり、と巽の胸が痛んで、巽は唇を噛み締めてから視線を足元に戻して少し速足で歩き出した。  あんなに楽しそうな灯希の笑顔を見るのは初めてだった。優しい顔も拗ねた顔もよく見てきたけれど、同年代だからこそ自然な笑顔が出るのだろう。巽とではその笑顔にはならない。  灯希は自分のことを好きだと言った。巽だって灯希を可愛いと思っているし、今じゃ甘えてばかりだ。けれど、頭の中のどこかではいつも『このままじゃいけない』とは思っていた。今、巽はそれを突きつけられた気がしている。  灯希には灯希の人生があって、出会いもあって、幸せだって巽とは違うところにある。灯希はこのままでいいと言うが、そういうわけにはいかないのだろう。あの隣を歩いていた女の子のような、可愛らしくてお似合いの誰かと居ることが灯希の幸せかもしれない。少なくとも、こんな三十歳目前のおじさんではないはずだ。このまま灯希を縛り付けていては、姉にだって顔向けできない。  灯希はきっと、自分から離れたほうがいい――  巽は胸の奥がもやもやと鈍く痛むことに気づかないふりをして、軽く息を吐いた。
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