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「麻岡、今日ばかりは見逃してやれない」  昼休みの少し前、巽の席へとやってきた木南が真新しいシャツをこちらに差し出した。顔をあげた巽がそれを見て首を傾げる。 「何、を?」  いつも通り仕事をしていた巽には、木南からこんなものを渡される意味が分からなくて手を出せないまま木南の言葉を待った。  木南はそんな巽にため息を吐きながら、営業部にまで噂が届いてるんだよ、と口を開いた。 「ここ数日、麻岡が充電不足のロボットみたいだって聞いて見に来たら、ホントにそんな感じで……大丈夫か?」 「大丈夫だけど……何、その例え」 「顔色悪いし、いつもぴしっとしてるのにシャツもネクタイもよれてて、でも仕事だけはこなしてるから、そんな感じに見えるらしいよ」  木南に言われて巽は自身のシャツを見下ろした。上着を着ているからそんなに目立たないが細かな皺がついている。昨夜、とりあえず洗濯をしようと洗濯機を廻し、適当に干したものを着てきたからだろう。とはいえ、灯希がくる以前も似たようなもので、その頃は高梨がよく巽のネクタイを気にして整えてくれていた。今の自分はそれよりも酷いのだろうか。 「そうか……悪い。いくら内勤とはいえ、社会人としてどうかと思うよな」  巽が木南から素直にシャツを受け取る。すると木南は眉を下げて、何かあった? と穏やかに聞いた。心配してくれているのは分かったが、さすがに『甥っ子が出て行って全部ままならない』とは恥ずかしくて言えない。巽は、何もないよ、と緩く笑った。 「ご覧の通り、月末締めの作業が山積みでずっと帰りが深夜だから……そのせいだよ」 「そんなの毎月のことだろ? 今回はいつもより具合悪そうだし、なんだかふらふらしてるし……やっぱり心配だ」  やはりちゃんと食事が出来ていないから、顔色にも影響してしまっているらしい。それを言われては仕事のせいだけに出来ない。巽は少し考えてから、そういえば、と口を開いた。 「少し体調崩してるかも。とりあえず、着替えて顔でも洗ってくるよ」 「やっぱり体調悪いのか? だったらちゃんと休まないと。甥っ子の世話大変なんじゃないか?」  どうやら木南は巽が灯希の世話を焼いていると思っているらしい。真逆なそれがおかしくて、巽が笑う。 「全然。灯希はよくできる、いい子だよ。それに今は、灯希は部屋を出てるし……」  心配しなくていい、という意味で言った言葉だったが、木南には少し違って聞こえたらしい。怪訝な顔を見せて、出ているから調子悪いのか? と聞き返した。巽が慌てて、違うよ、と首を振る。 「たまたま重なっただけで……灯希のせいじゃない」  巽がきっぱり返すと木南も納得したのか、そうか、と頷いてから、提案なんだけど、とそのまま言葉を繋いだ。 「その体調不良が良くなるまでウチに来ないか? とりあえず十分な衣食住は保障する」  オレは家事得意だし、と木南が本当に心配そうな顔で巽を見つめる。巽はそれに大きくかぶりを振った。 「そんなの悪いよ。ホント、大丈夫だから」  着替えてしゃきっとしてくるよ、と巽が立ち上がったその時だった。遠くから耳鳴りがして目の前が暗くなる。まるで自分の体が水の中に落ちたように周りの音が遠くに感じ、体も動かない。  このままじゃまずい、と思うのに指一本動かすこともできなくて視界も既に真っ暗になっていた。 「麻岡、おい!」  焦った木南の声が聞こえたけれど、何も答えられないまま、巽は闇の中に引きずり込まれるように意識を手放した。
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