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 巽の言葉に重なるように木南が言葉をぶつける。巽は一瞬押し黙ってから、そんなの、と小さく笑った。 「あるわけないよ。高梨さんがおれのことなんて……」  偽装なんて言うが、やっぱり木南は高梨に少なからず想いを寄せていたのかもしれない。そう思って巽が微笑むと、木南は眉根を寄せて、ホントに鈍感だな、と巽に手を伸ばした。 「高梨は、麻岡となら偽装じゃない結婚もいいかもしれないって言ったんだよ。今付き合ってる人はいないみたいだから、もし上手くいきそうだったら離婚してほしいとも言われた」  何かそれらしいこと言われたんじゃないか、と木南が真剣な目を向ける。そんな告白などされてはいないが、確かに付き合っている相手はいないのかということは聞かれた。巽はその時のことを思いだし、そういえば電話が入ったせいで会話が途切れたまま、高梨に会っていないことを思いだす。もしかしたら、あの言葉の続きは、巽と結婚を前提に付き合いたいとか、そういう話だったのかもしれない。 「他にも麻岡を気にかけてるやつも男女問わずいるんだよ。だから、麻岡が少し不調なだけで営業まで噂が届くんだ。オレだって……」  木南は言葉を切ると、椅子から立ち上がり、巽の肩を両手で押した。何も構えていなかった巽は、そのままベッドに仰向け、木南に組み敷かれる。 「麻岡のこと、ずっとただの同期とは思ってなかった」  自分を見下ろすのは、これまで一度も見たことのなかった木南の真剣な瞳だった。その目と張り詰めた空気に、巽は何も言えず木南を見上げてしまう。 「好きなんだ、麻岡」 「す、き……? いや、おれも木南のことは……」 「だから、同期としてとかじゃない。麻岡とキスしたいし、セックスだってしたい。偽装結婚なんてことをしてでも、高梨を近づけさせたくなかった。そのくらい、麻岡が好きなんだよ」  好き、と言われても巽には何も答えられなくて、木南から目を逸らす。友人としては巽も、木南のことを好きだと言える。けれど、木南はそうではないのだろう。  こうやって体に乗り上げられると、少し怖いと思うくらい、巽の木南に対する気持ちは、恋愛のそれとはとても遠いところにあった。  灯希なら、怖いと感じたことは一度もなかった。羞恥心とか罪悪感とかはいつも感じていたけれど、不思議と嫌ではなかった。乱暴にされても今より逃げ出したいと思っていなかったかもしれない。  木南にはまだ何もされていないのに、少しだけ指先が震えている。 「ごめん、木南……おれは……」 「いいよ、気持ちは後でついてくるかもしれないから、今は麻岡を抱かせてくれ」  木南が巽のシャツのボタンに指をかける。嫌悪感に全身の肌がわなないた。  シャツを脱がされ掛けたことで、抱かせて、という言葉に現実味が帯びて益々怖くなる。 「木南、離して、くれ」  巽が両腕を伸ばして木南の胸を押す。けれど木南は巽の言葉を無視して巽の手を取り、ベッドへと押さえつけた。 「ごめん、今は離せない。オレのものになってくれ、麻岡」  木南は更にシャツを開き、巽の胸に触れた。嫌悪から肌が粟立つ。 「そんなの、なれない!」  このまま流されるわけにはいかない、と巽が自由な方の手で木南の胸を叩いた。それには少し木南も驚いたようで木南の体が少しだけ巽から離れる。  木南の拘束が緩んだその隙に逃げ出そうと抑えられていた手を振りほどいた、その時だった。  部屋にインターホンの音が響いた。一度、ゆっくりと鳴り、しばらくした後、もう一度その音が響く。 「きな……」 「黙ってろ」  巽がこのタイミングで叫んで助けを呼ぶとでも思ったのだろう。木南は巽の口をその手で塞いだ。このまましばらくすると客も諦めて帰ると予想していたみたいだが、インターホンの音はまだ響き続けていた。  木南が小さく舌打ちをして巽から手を離す。そのままベッドを降り、玄関へと向かった。このままインターホンを鳴らされ続けたら近所に迷惑になり、最悪管理人に部屋を開けられてしまうとでも思ったのだろう。  この間に巽もベッドから出て玄関へと向かおうと思い、起き上がった。けれどめまいがして、上手く体が動かない。倒れてから寝ていただけで特に何か治療をされたわけではなかったらしいから、当然と言えば当然なのかもしれないが、今だけは動いて欲しかった。  巽はそれでも転がるようにベッドから降りた。這ってでも部屋から出るつもりだった。  このまま木南のものになるつもりはない。
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