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「麻岡くんからクマが消えたのも、ネクタイがキレイに結ばれるようになったのも、シャツにしわがなくなったのも君のおかげだったんだね」
騒がしい会場を出て、廊下を歩きながら高梨が話しかける。麻岡はすっかり安心したのか、眠ってしまっているようだ。灯希が仕方なく麻岡を背負う。
「巽さんのことは、俺が全部やってるので、そうなるのかもしれませんね」
「一緒に暮らしてるんだっけ?」
「はい。同棲です」
こちらを鋭い目で振り返る灯希に、高梨は笑ってから、だから、と言葉を返した。
「そんなに牽制しなくてもいいってば。確かに、麻岡くんと恋愛もいいなって思ったけど、やっぱり女の子がいいし」
店を出ながら高梨が灯希に微笑みかける。一瞬、ひどく驚いた顔をしていたが、そのあとは、安心したように短い息を吐いていた。
「そう、なんですか……とはいえ、随分冷静に俺たちのこと見てますよね」
きっと同じように二人の関係を知った時、木南が取り乱したのだろう。アイツなら罵るくらいしたかもなあ、なんて想像しながら、高梨は、そうね、と少し笑った。
「それはそれでアリなのよ。だって、灯希くんがいない時の麻岡くんより、いる時の麻岡くんのほうが、断然毛並みがよくて可愛いから」
灯希はその言葉を聞いて、毛並み、と呟いてから、小さく笑った。
「荷物、ありがとうございました。今後も叔父のこと、よろしくお願いします」
路肩に止められていたタクシーのドアが開く。灯希はそこに麻岡を下ろしながら、高梨に笑顔を向けた。笑うと麻岡に少し似ていて可愛らしい。
「職場は離れるけどね」
「でも、あなたは『あの男』の奥さんだから、浮気は許さないですよね。それだけでいいんです」
どうやら木南は何かやらかして灯希に嫌われているらしい。そして灯希の方もなかなか狡猾なようだ。けれどそのずる賢さは嫌いじゃない。
「いいわ。その代わり、今度二人まとめて愛でに行っていい?」
「二人まとめ……え?」
タクシーに乗り込みながら灯希が驚いた顔で高梨を見上げる。高梨はそれに笑いかけた。
「私、恋愛とは別に、可愛い人は好きよ。可愛い二人がいちゃいちゃしてるって尊いでしょ」
「……何言ってるのか分かりませんが、今度うちに来てください」
「うん、ぜひ」
じゃあまたね、と高梨がタクシーから離れると、そのドアが閉まる。しばらくすると、タクシーが走り出した。高梨はそれを見送りながらくすくすと笑い出す。
「あー、可愛い。やっぱり転勤したくないなー」
店の前でつい言葉にしてしまうと、声に出てるぞ、と後ろから声がかかった。
「木南」
「無事に帰った? 麻岡」
「うん。ていうか灯希くん、めっちゃ警戒してたけど、何やらかしたの?」
「別に関係ないだろ」
あからさまに不機嫌になる木南に、高梨が笑う。
「まだ未練でいっぱいって顔して。そういうしおらしい木南は可愛いな」
「お前は、また安易に可愛いとか……お前の攻略対象は男じゃないだろ」
つん、とそっぽを向く木南はやっぱり可愛い。自信家で少し口が悪くて興味のないことには関わらない、そんな人だが、失恋してしおれると、自信もなくなったのかちょっと卑屈になっている。
「まあ、木南を抱けって言われたら無理だけど……今の木南が可愛いのは否定しない」
「……お前、そんなこと言ってオレが本気になって、今寂しいから同居しろって言ったらどうするんだよ?」
なんでも言葉にするな、とため息を吐く木南が少し顔を赤くしている。自分で言っておいて、ありえない、とでも思って後悔しているのだろう。
「いや、今の木南なら……それはそれでアリ。週末会いに来るね」
予定通り週末婚しよ、と笑うと、木南がため息を吐きながらその場にしゃがみ込んだ。
「お前が男女問わずモテる理由が分かったわ」
「あはは、そんな女を妻にした感想をどうぞ、旦那様」
高梨が木南の隣にしゃがみ込み笑顔を向ける。
「オレからは離婚してやらない」
恋人が出来てもだからな、とまだ不機嫌な木南を見て、なんだか抱きしめてやりたいな、などと思ってしまう高梨だった。
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