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家に帰り、リビングのソファに体を投げ出した巽は、結婚か、とぽつりと呟いた。
「どうしたの? 巽さん」
巽の脱ぎ捨てたスーツの上着をハンガーに掛けながら灯希がこちらに近づく。
灯希は巽の姉の息子、つまり巽の甥に当たる。
二年前、過労と栄養失調という自己管理の落第点をつけられたような理由で倒れた巽に対し、姉が『家事完璧な息子を四年間貸してあげる』と送り込んで、灯希と暮らすようになった。姉は、さも巽のためと言わんばかりだったが、灯希もちょうど大学に入る年で、一人暮らしの生活費が浮くと灯希を押し付けたのだろう。
灯希は小さいころから知っているし、面倒をみるくらい構わないと、それを受け入れた巽だったが、実際は、灯希はシングルマザーである母を助けるために一通りの家事をこなせていたし、二年たった今では巽の世話も完璧に出来ていて、こちらが面倒をみられている。
「仲のいい同期が結婚するんだって。それ自体はすごく嬉しいことなんだけど、どうやらおれだけ知らなかったみたいで……ちょっと寂しいなって思って」
ふーん、と頷きながら灯希が巽の隣に座る。巽よりも随分背が高くなったというのに、こうして座ると視線の高さが同じになるのは、少し腹立たしいが、大きくなってもこうして隣に座って話を聞いてくれるところはやっぱりまだ可愛いと思う。
「仲がいいから言えなかった、とか? 俺も友達によくやっちゃうんだけど、彼女ができたって言われたら、なんとなく休みの日に遊びに誘うのためらったりして……そういうの、嫌だったんじゃない?」
気にすることじゃないよ、と灯希が巽を抱きしめる。
小さいころから灯希はよく巽にこうしてくっついてくる子で、いつも巽が抱きしめてあげていたが、最近では灯希の方が大きくなって、こうして抱きしめられることが増えた。何か違う、と感じながらも、灯希は小さいころと変わらない態度なので、なんとなく落ち着いてしまっていた。
「そっか……これからはあまり飲みにも誘えないか」
灯希の言葉通り、やっぱり友達に特定の相手ができると、その人を優先させてほしくて誘いづらくなってしまう。それはそれで寂しい。巽がふらっと飲みに誘える相手は木南くらいしかいないので、この先は誘われるのを待つくらいしかできないのだろう。
「だったらまっすぐ帰ってくればいいでしょ。俺が『居酒屋灯希』開店してあげるから」
「はは、それは、つまみが美味い名店だな」
巽が笑うと灯希が巽から離れ、同じように微笑んだ。
生まれた時から見ているけれど、灯希の顔つきは随分男らしくなった気がする。テレビで見る俳優と並んでも見劣りしないくらい、きちんと収まるべきところに寸分たがわずパーツが収まっているような端正な顔立ちだ。その顔がこんなに近くで優しく笑むと、甥と分かっていながらもちょっとドキドキしてしまう。
「だから、巽さんは寂しくないよ。そもそも俺って、巽さんの嫁みたいなものでしょ」
「嫁?」
予期しない言葉に巽が怪訝な顔をする。嫁というには、少し大きすぎるしイケメン過ぎる。
「だって、こうして巽さんの帰り待って、ご飯作って掃除して洗濯して……ね、もう結婚してるみたいなものでしょ」
「……まあ、確かに」
正直、ここ二年はすこぶる健康で文化的な生活を送っている。灯希に甘えている自覚はあるのだが、灯希自身が『これは生活費の代わりのバイトみたいなものだから』と言うのでそのままで来てしまっていた。負担になっているのではないかと思いながらも、何も手伝えずにいるのが少し不甲斐ない。
「でも、灯希、無理はしなくていいんだからな。お前だって遊びたいだろうし、彼女とかもできるかもしれないだろ」
「うん。でも今のところは予定もないから安心して、嫁やらせといて」
灯希が巽にキスをする。
これも昔からの習慣で、灯希が巽だけにする挨拶みたいなものだ。ただ数年前までは頬だったのが、最近は唇に変わっているので多少疑問は残るのだが灯希に言わせると、家族なんだからいいんじゃない? とのことなので、そのままになっている。
巽も特に嫌悪感はなかった。
「じゃあ、巽さんはお風呂入ってきて。その間にレポート済ませるから。で、一緒に寝よ?」
「ああ、先に寝ててもいいぞ」
「うん。壁側空けとく」
「もう落ちないってば」
「やっぱりクイーンサイズに変えてよかったよね」
くすくすと笑いながら、灯希が、ゆっくりしてきて、と寝室に入っていく。
巽の家は1LDKなので灯希の部屋はない。灯希が来るときに引っ越しも考えたのだが、灯希がこのままでいいと言うので甘えてしまい、それゆえ寝る場所も同じベッドになっていた。これが本当に家族の距離なのか分からないが、巽としては灯希が生活しにくくなければいいと思っている。どんなに大きくなってもカッコよくなっても、やっぱり巽にとっての灯希は可愛い甥なのだ。
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