桜舞う頃に、彼には言えない話を

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 この花見が、私と彼との最後の思い出になるだろう。分かっていたことだ。決めていたことだ。満開に咲き乱れるこの舞い散る雪のような桜の花弁の中に、私たちは思い出を残すのだ。 ーー… 「もう、この家を出るね」  言い出したのは私だった。もう限界だったのだ。結婚をしないままに、恋愛感情も消え失せた関係に、そして、彼の強引な言い分に。 「そうしたいなら、俺は止めねぇよ」  彼は真面目な顔でそう言った。もう、別れたいことを表すために私は彼に敬語でしかメッセージを送っていなかった。他人であると言わんばかりの、端的な敬語で。  ”は?もう帰ってこなくていいよ。そっちでしか働けないんだったら、ずっとそっちにいなよ”  そう連絡が来たのは、私が二年前まで住んでいた土地に遊びに行ったついでに以前の職場である水商売に出ていたときだった。失業保険を貰っているところで公に働けなかったのもあり、こっそり飲み代を稼いでから飲みに出るようにしていたのだった。そもそもその土地に行くときは決まってそうしていた。  だが彼は、それ自体が気に食わないばかりか、失業保険生活よりも早く仕事をしてほしいようなことを、ことあるごとに雰囲気で伝えてきていた。口頭で直接言われたこともある。私にとってはそれがひどくストレスだった。  そもそも失業保険でも生活には困らないのだ。今はやりたいことをやらせてほしかった。人生の休暇と言ってもいい期間だった。二人で暮らすこの家の費用は、すべて彼が出してくれていた。  ”ごめん。帰る日を一日間違えちゃって。明後日には帰るから。本当にごめんなさい”  最初はそうやって返したのだ。けれど、更に逆上した彼のもの言いに、なぜ自分が謝っているのか分からなくなってしまったのだった。百年の恋も冷める、とはまた違うけれど、家族同然に過ごしたこの関係に私の中で終止符が打たれた瞬間だった。  ”とりあえず実家に帰らせていただきます”  そう言って三泊四日、私は更に彼と住む家を空け、やっと帰ったその日に別れを告げたのだった。私がその土地を、その土地の人たちを心から大切にしていることを、彼はずっと理解してくれていないようだった。 「弥生の隔たりにはなりたくないからな」  彼はこともなげにそう言った。今まで散々私の行動に不満そうにしていたくせにどの口がそんなことを言うのだろうと思った。
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