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そう言ったとき、彼がふと考え込むような顔になった。
「……それは、俺がビビったからだと思う」
彼の口から出たのは、奇妙な言葉だった。ビビるとはいったいなにに対してのことだろうかと考えてしまったのだった。
「弥生、子供作る気ないって言ったじゃん」
「言ったね。元はできたらできたで、って話してたけど、私たぶん一人時間がないと無理なタイプだって、一緒に住んで気付いちゃったんだよね」
彼と過ごす中で、一人暮らしのときにあった自分の時間が大幅に削られたことによるストレスは思いのほか私を追い詰めていた。
「あれ、今まで付き合ってきた中で一番の衝撃だったんだよね」
「えっ、子供欲しかったの?」
「うん。俺、子供好きだし」
そんなことも言われなければ分からないものだ。子供が好きなのは知っていたけれど、欲しいと断言されたことは今までになかった。
「なにか飲み込んだ顔してたのは覚えてるけど…まさかそんなに子供ほしかったなんて、それこそ言われなきゃ分かんないよ。まぁ、作る気ないよって言われたら言えないよね」
自分で言いながら納得してしまった。彼から言葉を奪ったのは私だった。
「うん。それで、もし弥生の望まない結果になったらって怖くなって、そしたらできなくなった」
「避妊すればいいだけじゃないの」
私はにべもなくそう言ってしまった。避妊をすればいいだけのことを彼はしないままに、セックスレスは同棲半年後から始まったのだった。
「そうだけど……結局ビビったんだよ。俺が、勝手に」
「そうなんだ」
私たちはそう言うと、一旦の沈黙を迎えた。それはなにに思いを馳せての沈黙だったのだろうか。私は、ただただ、そんなに子供が欲しかったのかということに驚いての沈黙だったけれど。
「家事も」
私は沈黙を破って話し始めた。
「何一つ手伝ってくれなくて、私、家政婦じゃないんだけどなって思ってたよ。家のお金全部出してもらってるから一度も言えなかったけど」
私がそう言ったとき、言えばよかったのに、と彼は平然と言った。言えないよ、そんなの、と私はまた同じことを繰り返した。家のお金全部出してもらってるのに、と。
「え、弥生さ、もしかしてここに住まわせてもらってるとか思ってる?」
「え、うん」
打てば鳴るほどの速さで私はそう返した。
「そこからかぁ」
「そこからって?」
私が首を傾げると、彼は姿勢を正してから言葉をつづけた。
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