9人が本棚に入れています
本棚に追加
――…
そうして、最後の思い出に、と彼と二人で花見に来ていた。桜の季節は出会いと別れの季節でもある。この花弁は私の背中をちゃんと押してくれるものだろうか。後ろ髪を引くものになるのだろうか。
「さすがに圧巻だなぁ」
「ほんと、さすが名所って言われるだけある」
彼と並んで桜吹雪の中を歩く。桜が散り始めるこの時期が、桜の一番綺麗なときだと思う。風が吹くたびに舞い踊る花びらの群れを、目で追うともなしに眺めていた。
「桜を見たら、私のこと思い出してね」
忘れてほしくなくて、そんなことを言った。別れを切り出したのは私なのにずるいな、と自分でも思った。
「どうだろうな」
彼は取り合う気もないようにそんな風に返してきた。それくらいで丁度いいのかもしれない。私たちの別れに涙はやっぱり相応しくない。私たちはいつだって笑っていないと。それが私たちなのだから。これからはお互いの幸せをただ願おう、そう決めていた。
「あ、そういえばお願いがあるんだけど」
彼が思いついたように桜に向けていた視線をこちらに向ける。なに、と返す私は小首をかしげてみせた。
「もしさ、ほかの男が一緒に住もうってなって家の金出してくれるって言ってきたら、俺のときみたいに申し訳ないって気持ちで受け取らないでほしい」
「え……あぁ、うん」
「お前はまた申し訳ないって思いそうだけど、そういうこと言ってくれるってことは甘えていいってことなんだから、素直に甘えろよ。弥生、甘えるの下手そうだけど」
余計な一言のおまけつきだったのに、不覚にも私はまた涙がこみ上げるのを感じていた。最後まで私を尊重してくれたこの人の最後のお願いが、私のためを思ったものだったことに。
こんなに居心地が良くて、こんなにも良い男から私は旅立つのだなと思うと、これからの生活が少し不安にもなってくるのだった。もちろん楽しみではあるのだけれど、関係を作り上げるのはこれからなのだ。一緒に住んでみて見えてくることは良いものばかりじゃないことはもう学んだから。一から作り上げる関係を、私はこれから始めるのだな、と改めて思うと複雑な気持ちになるのだった。それでも決めたのは私なのだから、未来は明るいと自分に言い聞かせる。来る未来が明るくあるように、作り上げていくのだ。これから、長い時間をかけて。
最初のコメントを投稿しよう!