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昨日、部屋でくつろいでいると、不意にインターホンが鳴った。
玄関のドアを開けると、見知らぬおじさんが、紙袋を手に立っていた。
「隣に引っ越して来たので、あいさつに伺いました」
「あっ、そうなんですか。わざわざどうも・・・」
「これ、つまらない物ですけど・・・」
と言って、おじさんは、僕に紙袋を差し出した。
「ありがとうございます」
僕は、紙袋を受け取りながら、ふと疑問を感じた。
「隣の部屋の人、引っ越すなんて言ってたかなあ・・・」
僕の口から洩れた疑問に、おじさんが答えた。
「あっ、隣って言っても、隣の部屋じゃなくて、隣の県です」
「えっ ! ? ・・・隣の県 ? 」
「ええ・・・この県の、隣の県に引っ越して来たんで、この県の人全員にあいさつして回ってるんですよ」
「この県の人全員に ! ! ! 」
「ええ、引っ越したら、隣に住んでる人にあいさつするのが当然でしょ」
「そりゃそうですけど・・・隣って、隣の県じゃなくて、隣の部屋に住んでる人にあいさつするんですよ、普通」
「えー ! ! ! 隣の県じゃなくて、隣の部屋 ! ! ! 」
「ええ」
「総理大臣が代わったからですか ?」
「いや、ずっと昔からですけど・・・」
「知ってたんなら、早く教えてくださいよ、水くさいなあ」
「今日が初対面なんで・・・」
「40年もかかったんですよ」
「そりゃまあ、かかるでしょうね・・・」
「隣の部屋だけでよかったのか・・・あーあ・・・僕の人生って、なんだったんでしょうねえ・・・」
「こんな所でたそがれられても・・・」
「なんだか、あいさつばっかりしてたような気がするなあ・・・」
「実際にしてましたからねえ・・・」
「僕の人生、これで正解だったんですかねえ・・・」
「完全に不正解ですけど・・・」
「最近、あいさつのし過ぎで首が痛いんですけど、労災下りますかね・・・」
「下りないですよ」
僕は、おじさんの相手をしている事に疲れてきたので、貰った紙袋を返して帰ってもらうことにした。
「あの、これ、お返しします」
しかし、おじさんは、僕が差し出した紙袋を受け取ろうとはしなかった。
「あっ、それは差し上げます」
「えっ・・・でも・・・」
「実は、あなたには内緒にしてたんですけど・・・まあ、内緒っていうか、なかなか言い出せなかったんですけど・・・僕、今度、仕事の都合で引っ越す事になって、そのあいさつの意味もあるんで、この数分間お世話になったお礼として受け取ってください・・・すいませんね、引っ越して来たあいさつと、引っ越して行くあいさつが一緒になっちゃって・・・」
「いいえ・・・」
「せっかく、あなたとこうして仲良くなれたのに、これで最後なんて名残り惜しいんですけど・・・引越しのあいさつ回りで忙しいんで、今日のところは、この辺で・・・」
そう言って、おじさんは帰って行った。
引っ越しのあいさつ回りって、どっちのあいさつ回りなんだろう・・・
そんな事を考えながら、僕はドアを閉めた。
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