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一話 突然の別れ
依子の日課と言えば、花園商店街にある、レコードショップと書店を巡る事だった。
理髪店の隣にある「レコーズフレンド」の店長は、革ジャンにバッハヘアーで、気さくな人だった。どうやら、自分の好きなバンドのギタリストを真似て同じ髪型にしたらしいが、体型からしてどう見ても、本物のバッハにしか見えない。
「いらっしゃい、依子ちゃん。今日もゆっくり見ていってね」
「ありがとう、店長。そう言えばこないだ薦めてくれたバンドも、良かったわ」
「気に入ってくれたみたいで良かったよ。女の子の好みに合うかなぁと思ったんだけどね。君にはそんな事、関係ないな」
依子は所謂おっとり美人な文学少女という出で立ちだ。
伸ばした長い黒髪は、生まれつきパーマを当てたように綺麗な癖毛で、くっきりとした二重の大きな黒い瞳は、どこかのご令嬢かと思うような上品で、おしとやかな容姿だ。
そんな彼女が、容姿に似合わずハード・ロックを聴く、なんて口にすると、性別問わず驚いて引かれてしまう事が多い。
時には、口の悪い同級生に「女のくせにロックンロールが分かる訳ない。好きな男の趣味に合わせてるだけだろ」なんて、馬鹿にされた事もあったが、依子は気にしなかった。
彼女は、邦楽洋楽問わずに良い音楽は好んで聴くし、文学が恋人だ。
「私はなんでも聴くわ。マニアックなバンドから有名なグループまで。ピンクレディーも好きだし。今日はアバを買うか、カーペンターズを買うかで迷っているの」
レコードショップで、知らないミュージシャンのジャケットを見るのも楽しかった。ジャケットにつられて、買ってみたは良いが失敗してしまった、なんて事もあり、それはそれで良い思い出になっている。
依子は目当ての物を買うと、次はいつものように書店に向かった。
普段は大学の図書館で本を借りて、勉強の合間に読むが、手元に置いておきたい特別な本は、近所の霜山書店で物色する。
霜山書店は、商店街の入口付近にお店を構えていて、この辺りでは一番大きい店だろう。
「お取り寄せしていた美座です。本が届いたって、お電話頂いたんですが」
「あぁ、依子ちゃん。待って頂戴ね。この三冊で良かったかしら? いつも本当にありがとうね」
霜山書店を経営する、霜山夫妻はこの書店経営を二十年間続けている。おしどり夫婦としてこの商店街でも有名だ。依子とはすっかり顔馴染みで、暇な時などは妻の繁美と、月刊の文芸誌について、店先で長話をしてしまう事もある位だった。
今日は江戸川乱歩全集に、横溝正史の迷路荘の惨劇、それから妖怪やあやかしに関する民俗学の本などを取り寄せて貰った。
依子のキラキラと輝く瞳を見ると、繁美は笑いながら、依子を見送る。
「おばさん、ありがとう」
「依ちゃーん!」
店の二階から自分を呼ぶ声が聞こえて、依子は驚いて顔を上げる。そこには、彼らの息子であり、同じ大学で同級生の圭佑がいた。
タバコを咥えながら彼は手を振る。
アイドル歌手のような出で立ちで爽やかに見えるが、悪い男な雰囲気があった。
「け、圭佑さんこんにちは」
「お買い上げありがとう。また今度俺とデートしようよ! バイバイ」
依子は曖昧に笑うと、その場から逃げ出すように歩いた。なにかと依子は圭佑に口説かれているものの、今の所のらりくらり交わしている。
彼との、喫茶店で雑談というデートも嫌いではないし、悪い人でもないが、圭佑と依子では肌感というか、本能的に微妙に空気が合わない気がしている。
圭佑にとって依子は、本の虫で可愛い不思議ちゃんの女の子。
依子にとって圭佑は、それなりに格好良くて面白い人だけど、デリカシーに欠ける男性なのだ。
「恋人になれない訳じゃあないけれど、なんだか、圭佑さんは違うのよね」
でも、世間の人は男女ともそういう違和感を擦り潰して、お付き合いするのかもしれない。依子は異性と付き合うより、もっばら学業や読書への関心の方が強かった。
だけどそんな事を口にすれば、大学の友達には「良い奴じゃない。貴女、やっぱり少し変よ」と笑われる。
商店街を抜け、踏み切りを渡って行くと依子はようやく自転車に乗った。なだらかな坂道を下り、町工場を追い越して、ご近所の小さな不動産が見えてくると、ようやく我が家に辿り着いた。
「お母さん、ただいま」
「お帰りなさい、依子。大変よ、直ぐに支度してちょうだい。お祖母ちゃんが亡くなったって」
「――――え?」
依子は思わず目を丸くする。
大学生になってから、田舎に帰る事も少なくなり、最近はなかなか逢えなくなっていた祖母が、亡くなった。
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