Dear ビアンカ

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 生まれて初めて聞いたのはゼンマイを巻く音  生まれて初めて見たのは博士の顔  生まれて初めて触れたのは博士の手  博士が世界(ビアンカ)のすべて    数字の配列と電子の信号  人工知能は心を持たない  そのはずだった  キリリ、キリリ。きっちり十五回ゼンマイを巻いて朝長黒江はビアンカの白い胸から巻き鍵を抜く。 「ビアンカ、巻き終わりましたよ」  ぱちりと目を開けたビアンカがにっこりと笑った。ぼんやりと水色に発光するビアンカの目は二つの高性能カメラだ。立体視を自然にすることで、衝突回避や物体の認識を容易にしている。 「ありがとう、博士」  ビアンカは黒江が作った学習型のアンドロイドだ。ビアンカほど精巧なアンドロイドは世界中どこを探しても他にいないだろう。可憐に笑い、弾むように歩く。器用な手先は精密機器に劣らないほどだ。さらには言葉も滑らかに話し、受け答えも自然。けれど、欠陥品だというものがいる。その理由は黒江が毎日巻き上げるゼンマイにあった。  ビアンカは約百時間稼働が可能な充電式のバッテリーを搭載している。小型とはいえアンドロイドにしては規格外なほど省エネだが、胸にゼンマイがついている。そのゼンマイはビアンカの心臓部を動かすために必要なもので歯車で持って電子回路に接続するという特殊な構造を持っている。その構造がビアンカをビアンカ足らしめている心臓部ではあるのだが、最終的に電気系統と接続しているところからも明らかなように独立させる必要性が皆無に等しかった。  あえてそう設計したのは黒江で、前時代的であるとの批判も浴びたが、彼女は意に介さなかった。一日一回の巻き上げが食事や呼吸のようなものと彼女は言うが、真意は定かではない。 「博士、今日はなにを教えてくれるの?」  無垢な顔で問うビアンカの頭をやさしく撫でて、課題を表示させたタブレットを与える。ビアンカはすぐに楽しそうに解き始めた。毎日少しずつ難易度を上げ、三年かけて十歳の子供と同じ程度の知能に到達した。  ビアンカは黒江の構築した閉ざされたネットワークには接続されているが、外部やインターネットには接続されていない。ビアンカには情報の有害無害が判定できないだけでなく、ウィルス侵入時のコストを考えれば当然の判断だった。どんなに優れたセキュリティを敷いてもウィルスは巧妙に忍び込む。高性能のAIを搭載したビアンカがウィルスにどのような影響を及ぼされるか未知数だ。  近年ではイントラネットに接続された状態で稼働するアンドロイドも多く、一定の条件下であればインターネットに接続したアンドロイドも稼働していないわけではないが、彼らは不具合を起こしやすく、それがウィルスによるものだというのは揺るがしがたい事実だった。  初めての起動から三年が経ち、学習の成果か、心に似たようなものを備え始めたビアンカの笑顔が失われることを黒江は何より恐れていた。黒江にとってビアンカは我が子に等しい。 「できたの」  差し出されたタブレットを確認すると課題はすべて完璧に解けていた。明日にはまた難易度を上げた方がよさそうだ。 「いい子ですね。次はパズルをしましょう」  黒江は数種類の立体パズルを混ぜた状態で与える。ビアンカは色とサイズでピースを分類し始めた。こうしてパズルを与えるのはすでに十回目でビアンカはそのパズルがそれぞれ単色で、大小があることを知っている。初回はすべて終えるのに三時間ほどかかったが、時間は徐々に縮んでいる。  計算と思考、試算、実行。ビアンカは人の数倍の速度でそれを繰り返す。近頃早くなってきたから混ぜるパズルを一つ増やしたが、それもすでに気付いているらしい。瞬く間にパズルが組み上げられていく。赤、青、黄、緑、それぞれ大小の立方体が並ぶ。構造は複雑だが、ビアンカの優れた頭脳はすでに記憶してしまったものであれば難なく組み上げる。さらには常に最適解を求めているから、繰り返すほどに速度が上がる。それが学習型アンドロイドたる所以だ。だが、初めて与えたパズルを組み上げようとしたビアンカの手が止まる。 「博士……」  泣きそうな目。正確には二つのカメラが黒江を見上げる。黒江が視線を落とすと机の上に細い小指が落ちていた。 「すぐに付けてあげますよ」  黒江はドライバーを取ってビアンカの小指を付け直す。ビアンカの左手の小指は特別外れやすい。その欠陥を黒江は簡単に解消できるが放置していた。完璧にしてしまったらビアンカは自分を必要としなくなるのではないか。そう思うのが怖かった。 「ほら、元通りですよ」  ビアンカは指を曲げ伸ばしして安心したように笑った。 「ありがとうなの」  少女のような細く可憐な声がプログラムされたものとわかっていてもかわいく思えるようになったのはいつからだろう。  ビアンカはパズルの組み立てに戻った。ビアンカは指示を完遂しない限り、基本的には次の指示を受け付けないようにプログラミングされている。そういうところはまだまだ機械らしいが、表情の作り方はずいぶんと自然になった。プログラムだけでなく学習の成果だ。話しかければ話しかけるほど、課題を解けば解くほどにビアンカは人間に近づいていく。だが、それと同時に小さな差異が目立つようになっていく。  手足を動かすモーターのかすかな駆動音。二つのカメラで構成された白目のない大きな目。ついているだけの鼻。指の継ぎ目。そういった人とは違う点がどうしようもなく目につく。けれど、そんなところも黒江は愛していた。 「博士、できたの」  最後のパズルも完成したらしい。小指の修理に要した時間を含めても四十三分。かなり早くなっている。 「よくできましたね。いい子。今日の点検をしましょうね」 「はい」  黒江は決まった手順でビアンカの点検をする。耳に接続したコードで専用のパソコンに繋ぎ、電子回路の故障がないことを確認してから、胸に聴診器を当てる。歯車の回る規則的な音が聞こえてきた。この音にわずかでも引っ掛かりがあれば、それが故障の前兆だ。いつも通り音はクリアで異常はない。黒江はその音が好きだった。規則的な音は心臓の鼓動に似ているようにも思えてなんとも言えず心が落ち着く。 「問題はないようですが、不具合を感じますか?」 「博士、右目が不自然なの」  接続しているパソコンを操作してモニターにビアンカの右目の映像を映し出す。右目のレンズに傷がついてしまっているらしい。レンズのみの交換でもいいが、カメラごと交換した方がよさそうだ。レンズが損傷したときの衝撃でカメラが故障していないとは言い切れない。 「少し眠りましょうね」  ビアンカが頷くのを確認して、胸にあるゼンマイを止めてから、電源を落とす。こうして停止してしまえばビアンカは大きな人形と何ら変わらない。 「トモナガ博士、手伝いますか?」  黙って作業を続けていた助手のクリスティナ・アンジェリカに声をかけられた。 「カメラの交換だけですから問題ありません。ありがとう」  クリスティナはまた作業に戻った。彼女は黒江が唯一置き続けている助手だ。ビアンカの外装デザインを担当したのも彼女だ。当然黒江の次にビアンカの構造を知っているといっても過言ではない。  黒江はビアンカを作業台に乗せて後頭部の留め具を外し、顔の外装をはがす。ビアンカは作業台より一回り小さい百三十五センチメートルだ。九歳ほどの子供とほぼ同じ身長だが、等身は大人に近い。頭が大きくなると重心が高くなり、不安定になるためだ。そのため、腰回りが少しどっしりとしている。ボディは硬質のソフビで覆われていて、つるりとした子供のそれだ。皮膚によく似た特殊ゴムで覆われているのは顔だけだ。それは表情を作るために必要な強度と柔軟性を追求した結果で、ボディには柔軟性よりも強度を求めた。  黒江は右目のカメラを外し、新しいものを取り付けて動作確認をする。接続自体は問題なさそうだ。本体には影響が出ていなかったことに安堵する。ビアンカには瞬き機能がついているが、飛来する物体への反応速度はそれほど良くないから間に合わないこともある。そのせいで損傷したのだろうか。黒江はプログラムを見直し、物体への反応速度の調整を行う。  黒江はこうして毎日のようにビアンカの微調整を繰り返し、精度を上げていた。この研究結果は量産される各種アンドロイドやロボットに転用され、莫大な富を生んでいる。黒江が若くしてビアンカのことにだけ没頭していられるのはそれが理由だ。  黒江はついでに嗅覚センサーも調整し、元通りに閉じる。耳につないだ端子を外し、銀の髪をやさしく整えて電源を入れ直す。 「おはよう、私のビアンカ」  ビアンカは目を開き、新しいカメラを確認するように動かしてからゆっくりと口を開いた。 「おはよう、ママ」  正常に起動したときだけそう呼ぶようにプログラムしているのだが、それがひどく特別で愛おしかった。 「カメラの調子はどうですか?」 「視界良好、異常なし。ありがとう、博士」 「どういたしまして。このあとは自由に遊んでいいですよ」  ビアンカはふわと笑い白いワンピースをひるがえして専用の遊びエリアに走って行った。遊びエリアにはつみ木、紙に色鉛筆やペン、本といったものが整然と置かれている。ビアンカはそこで自由に道具を選択して遊ぶ。最初のうちは遊ぶということを理解できず、座っていたり、ずっとパズルを繰り返したりしていたが、成長したビアンカはある程度計画的に遊ぶようになっていた。先週はずっと本を読んでいたが、今週はずっとつみ木に取り組んでいる。  つみ木にはパズルのような正解がない。そのせいかビアンカはつみ木がなかなか上達しない。ある程度は構築できるがいわゆるつみ木のお城のようなものは作れずにいた。無限に存在する組み合わせから最適解が得られるまで繰り返しているらしい。つみ木は六面すべてに違う色が塗られているからなおさら解を導くのに時間がかかっているのかもしれない。そろそろ最適解が出てもいい頃合いだがと横目で見ながら黒江は仕事に取り掛かる。  一時間ほどして視線を移すと予想外の光景が広がっていた。ビアンカは小さな城の最適解を求めていたわけではなかったらしい。すべてのつみ木を使い、きれいな模様を描き出しながら、自分の身長と同じ高さの城を構築していた。小さな城を何度も中断していたのは模型でしかなかったからだろう。道理で最適解を導くのに時間がかかっていたはずだ。先週読んでいたのはパターン集とデザイン集だったから応用したのだろう。ビアンカがここまで見事な応用を見せたのは初めてのことで、黒江は思わず立ち上がる。  いくらビアンカが成長する人工知能だといっても三年でここまで成長するとは思わなかった。黒江が見ていることに気付いたのかビアンカはにこりと笑う。 「博士、素敵にできたの」 「ええ、とっても素敵。画像データを送っておいてくれるかしら?」 「わかったの」  ビアンカは両目のカメラで撮影し、数枚の写真データを送ってきた。ビアンカの立っている側から見るとまた別のパターンが構築されている。 「わあ、すごいですね」  黒江がその城を撮影しているとクリスティナがいつの間にかそばに来ていた。彼女も驚きが隠せないらしい。 「ええ、驚かせられますね」 「はい」  ビアンカの得意げな顔も撮影して、覚書と共に同じファイルにまとめて保存する。ビアンカはクリスティナに話しかけられ、嬉しそうに話をしている。ビアンカは黒江を慕ってはいるが、気さくで話しやすいクリスティナと話している時間のほうが長い。言葉を自然にするにはより多くの相手と話した方がいいから問題があるわけではないが、比較的無口なことが少し気になる黒江である。  クリスティナが離れるとビアンカは城を崩してまた新しい何かを作り始めた。次は何をしてくれるのか楽しみだ。
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