Dear ビアンカ

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 夕方五時になるとクリスティナは定時で退勤し、黒江は六時になるとラボの真上にある自宅に帰る。必ず同じ時間に帰宅するのはビアンカの習慣づけのためでもある。ビアンカを専用のベッドに寝かせ、スリープモードに切り替える。このスリープモードはビアンカが自分の判断で解除できるもので、深夜にビアンカがラボで遊んでいることも少なくない。  黒江はそれで構わないと思っている。オーバーヒートを防ぐために最短二時間のスリープがあれば問題ない。記録データを参照すればビアンカが何をしていたかわかるが、ビアンカにも秘密を持つ権利はあると彼女は思っている。 「おやすみなさい」  ビアンカの額にキスを落として、ラボの照明を落とす。ビアンカのベッドに取り付けられた淡い光が辺りをぼんやりと照らした。  深夜二時、ビアンカはスリープモードを解除してベッドを静かに降りる。自らの意思で動けることを心と定義するならば、ビアンカには心があった。自らの心でなにかを感じることはまだできなかったが、好き嫌いを感じる程度はできる。ビアンカは深夜寝静まった街を窓から見るのが好きだった。スイッチを押してブラインドを上げる。 「今日はたくさん光ってるの」  静寂の中でそっと呟いて、様々な光を指でなぞる。真っ暗な闇の中で点滅する赤い光。帯状に並んだ光。高い位置でぽつぽつと気まぐれに灯っている光。視線を上げれば空にも光はたくさん瞬いていたが、ビアンカは地上に並ぶ光が好きだった。  夜の光のそばには人が生活しているのだと黒江に聞いた。そんな優しい光が好きで、いつかそこに行ってみたいとビアンカは無邪気に夢見ている。自分がいるところもその明かりの一つだと理解できるほどの知能はまだ彼女にはない。  一度も外に出されたことがないビアンカが知っているのはこの窓の外の景色と真っ白なラボの中だけだ。黒江が上っていく階段の先さえ彼女は知らない。だから余計に夢を見るのかもしれない。  光の数と配置をいつも通りに記録し、ビアンカは階段の手すりに触れる。大好きな博士がいつも上って行く階段。上ってはいけないと言いつけられているから上ったことはないが、手すりにつかまることは禁じられていない。いつかこの階段を上ってみたいと思い。黒江は許してくれないだろうとも思う。黒江は自分を作ってくれた博士、それ以上のことをビアンカは知らない。  手すりにつかまって少しの間ゆらゆら揺れていたが、小指が取れかけていることに気付いてベッドに戻る。 「小指が取れなくなったってビアンカはずっと博士のそばにいるのに」  小さく呟いてスリープモードに入る。朝、大好きな博士に起こしてもらうのもビアンカは好きだった。
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