真逆のふたり

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真逆のふたり

#2  3年間同棲していた宮内カナとは、同じ大学だった。  東京の私立大学でもお嬢様が多いことで有名な大学だった。学生なのにハイブランドの服やアクセサリーを身につけ、サークルは合コンの場だった。  僕とカナは文学部の英米文学科だったこともあって、顔見知りだった。  華やかな女子学生たちの中で、カナは物静かで、地味でさえあったが、その古風ともいえる佇まいに僕は惹かれた。次第に距離を詰めて行き、最終的には、キャンパスのベンチでランチした時に告白した。カナは、よろしくお願いしますと言って、優しく微笑んでくれた。  3年の時だった。    卒業したら一緒に住もうと約束したのはごく自然な流れだった。ふたりとも高円寺が好きだったので、安い家賃の青葉荘を見つけ、卒業と同時に一緒に暮らし始めたのだ。  それが、204号室だった。  カナは料理上手で、とても優しい女性だった。そして僕を愛してくれていた。  しかし、同棲して2年目になると僕の仕事が次第に忙しくなり、毎日、最終電車で帰ることが多くなった。そんな時でもカナはご飯を作り、起きて待っていてくれた。  最初は嬉しかった。しかし、次第にそれが重く感じられるようになった。最終電車で帰り、夜中に夕飯を食べたことで僕の体重はみるみる増えていったし、外で食べて帰るとカナは機嫌が悪かった。そのことで喧嘩もした。  カナが泣きながら部屋から出て行くこともよくあり、その後を追って探しに出たことは一度や二度ではなかった。  カナは僕を愛していた。とても、とても。  しかし、その愛の重さに僕は限界を迎えていた。  同棲して3年目の秋。僕は書き置きもせず、逃げるように荷物をまとめて部屋を飛び出した。  それっきり、カナとは会っていない。  連絡もなかったし、僕もしなかった。  カナは傷ついただろう。僕も後悔の念があった。若気の至りといえばそれまでだが、部屋を出てから高円寺には行けなくなった。  カナのことを忘れるために僕は猛烈に仕事をした。    そして僕の中から、カナはいなくなった、と思っていた。  しかし、こうしてアパートの廊下に立つと、否が応でもあの頃のことがありありと浮かんで来る。    あの頃、社会人1年生のカナと僕は、出勤するため同じ時間にアパートを出た。玄関の中では必ずキスをした。夜まで会えないことさえ寂しく感じられた。  僕たちは手を繋いで外廊下を歩き、同じ電車に乗り、手を繋いだまま新宿まで行ったものだった。  カナは消えていなかった。  あの頃の甘く愛おしい日々は、ずっと僕の中に種火のように灯り続けていたのだ。  204号室の前を通り過ぎる。  今にもカナが部屋から出て来そうで怖かった。  玄関の横はキッチンになっていて、すりガラスだから中は見えないが、人の気配は感じられなかった。  205号の部屋に入る。  室内もすっかりきれいになっていた。  僕は204号室と隔てる壁に耳を当ててみた。  1分もそうしていただろうか。  物音ひとつしなかった。  やはり隣人は留守のようだ。  ベランダに続く掃き出し窓を開け、204号室のベランダと隔てる防火用パーテーションから首を伸ばし、隣のベランダを覗く。  洗濯物が干してあればその服でカナとわかると思ったからだ。  しかし、洗濯物は干していなかった。    ドアがノックされ、引越し業者が段ボールを運んで来る。  僕の荷物とサナの荷物は業者が驚くほど少ない。というのも、サナがミニマリストだったからだ。サナと同棲しようとした時、彼女からまず言われたのは、持っている荷物の3分の2を処分して欲しいということだった。かなり抵抗はあった。何せ僕の部屋は物だらけだったからだ。  しかし、サナにより半強制的に3分の2の物を処分すると、僕の価値観は180度変わった。物のないシンプルな生活がどれほど快適かを学んだからだ。    サナはカナは名前は似ているが、真逆の女性だ。  サナは同期入社で所属は違うが、互いに酒好きということもあり、同期会ではいつも3次会まで一緒にいた。  ある時、気づいたら2人だけになっていて、終電も終わっていたのでカラオケ屋に行った。  同期のエースといわれていたサナだから、歌だって上手いんだろうと思ったが、まったく、つたないものだった。しかし、そのキャップが僕の心を揺さぶった。  いわゆる、ギャップ萌えというやつだ。  サナを初めて異性として意識した瞬間だった。  僕たちはどちらからともなくキスをした。勢いにまかせ、付き合う?と言っでみた。ダメ元だ。笑われるだろうと想定したが、違った。  サナはマイク持ち、エコーを目一杯かけ 「OK!」  と叫んだのだった。  その日から僕たちは、恋人になった。  後でわかることになるが、サナは告白されたのは初めてだったとのことだった。  よくある話だ。  才色兼備で、男子社員を会議で論破する美人を男は敬遠する。隙がないというか、彼氏がいるに決まっていると思ったり、男が勝手に劣等感を感じるからだ。  その意味で僕はラッキーだった。  酒の勢いとはいえ、イエール大学を首席で卒業した美人を彼女にできたのだから。  一緒に住む話はすぐに出た。  サナは、大学時代も友人と部屋をシェアしていたというから、一緒に住むのは自然なカタチなのだろう。  さらに、サナには明確なゴールがあったことも同棲する理由だった。  彼女は3年後、東京を一望するタワマンの最上階に住むと豪語していた。いや、ビッグマウスではない。徹底した倹約と読みの鋭いFX株。着実にそのゴールに向かうべく歩を進めていたのだ。    サナは僕に釘を刺すことも忘れてはいなかった。 「タワマンの最上階にあなたと住むかは、別の話よ」  サナらしい。  カナとはまったく逆のタイプで、完全に自立している女性なのだ。  僕がサナを好きになったのは、依存度の高いカナの反動かもしれない。  引越しを終えた夜。  僕は高円寺の駅近にあるチェーン店で軽く食事を済ませ、アパートに戻った。  通りからアパートを見上げた時、ドキリとした。  204号室に灯りがついていたからだ。  時間がズレていたら隣人と遭遇していただろうと思うとゾッとした。  外階段を足音を立てないように上がり、廊下を歩いて自分の部屋に向う。  突然、204号室のドアが開いたらどうしようかと思うと体は強張り、自然に早足になった。  もしカナと遭遇したら、彼女はどんな顔をするだろう。そして、僕はその時、なんて言えばいいのだろう・・・。  204号室の部屋の前を通り過ぎた時、カレーライスのいい匂いが換気扇から漂って来た。  カナのカレーライスは、特別美味しかったことを思い出す。やはり、204号室にはまだカナが住んでいるのかもしれない。  僕は素早く鍵を開け、自分の部屋に滑り込むような入った。  部屋に入り、また壁に耳を当てた。  テレビの音がしていた。カナはいつでもテレビをつけている人だった。  僕が、田舎の家じゃないんだからと皮肉を言うと、だって寂しいんだもんと言うので、ラジオか音楽でいいじゃないかと返すと、テレビじゃないとダメなのと、僕にはよく理解出来ないことを言って、頑なに消すのを拒んだ。    壁に耳を当てていると、テーブルに置いたケータイが突然、パイプ音を立てて暴れた。  ドキリとしてケータイを手に取る。  サナからだった。
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