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 バーチャル世界の構築には心得があった。  桜の形を、色を、成長をシミュレーションするのは造作もない。  そこに流体力学を適用してやれば、四角いディスプレイの中で花びらが舞う。  それをどれだけ現実に近づけても、美しさの定義には至らなかった。  桃色を表すRGB値も、形状を表す方程式も、他の数式と比べて特異性を見出だせなかった。  ここに彼女がいれば違うだろうか。  その世界に彼女を作り出してみた。  バーチャルの世界でも彼女は綺麗だった。  美しさとは違う気もした。  名前も性格も知らない彼女のAIをシミュレーションしてみる。  それはもはや彼女ではないかもしれない。  だけど彼女はあの日と同じように、大きな丸い目で話しかけてくれる。  偽りの桜が舞うと、作り物の笑顔が出力される。  コピー&ペーストすれば、桜も彼女も複製できた。  そこにパルスが走らないのは、彼女は彼女ひとりであり、彼女と出会ったあの桜もまた、あの桜ひとつだからなのかもしれない。  美しさとは、唯一性なのだろうか。  また他でもないあの桜の下で、何にも代えることのできない彼女とお酒を飲みたい。  そう思った。  *  翌年。  またこの季節が来た。  今回は付き合いだけの目的ではない。  淡い期待があった。  1年間、おそらく踏み出せば交わることはできただろう。  同じ会社にいるわけだから、チャットを飛ばしたり、ブースを訪れることは不可能ではない。  だけど、機械のような自分が彼女と仲良くしようなど、滑稽で仕方がない。  内蔵メモリの奥深くにしまい込んで、アクセスしないように努めてきた。  それでも、雪が解けて気温が上がるにつれて、あの桜を待ち遠しく思うようになった。  もちろん桜は付随物にすぎない。  だけどあの桜の下でこそ、彼女に会いたい。  そう思うようになっていた。  淡い期待は叶っていた。  今年も彼女は花見に来ていた。  女性だけの輪の中で、楽しそうに笑っている。  何度も空想してきた。  何度もシミュレーションを繰り返してきた。  あのバーチャルの世界の中で。  彼女にどう話しかければ、どう返ってくるのか。  彼女と仲良くなるには、どうすればいいのか。  ただ待っていてもその時は訪れない。  去年の会話は気まぐれだ。  そんなことはわかっている。  だから今日は、自分から話しかける。  大丈夫。  シミュレーションどおりにやるだけだ。  女性陣の輪の隣、彼女の背に向かい合う位置に、意を決して腰を下ろした。
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