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4th:桜紅葉
桜の盛りは通り雨と同じ。
あっという間に通り過ぎて味わう前に散ってしまう。
なんて寂しいの?
毎年思っていたけれど、今年はどうやら違うみたい。
肩に掛け直してくれるストールを透過して背中に伝う春の暖かさが残っていた。
春に出会ったばかりなのに、いつも一緒に居る。幸せな錯覚をくれる青年が腰を折ってお辞儀するみたいに覗き込んでくる。
「桜の葉が枯れると"桜紅葉"て呼ばれるそうです。春とは違う、別の可愛らしさがあると思いませんか?」
「秋でも桜の盛りなのね」
車椅子は枯葉の絨毯を踏んで、賑やかな音を立てながら緩やかに動いた。
季節が移ろうと、眺める桜の木はどことなく霞んで見えていた。それなのに、読んでいた小説の一文を教えてくれる青年……勇翔君は、年老いて眺める視界を鮮やかに色付けてくれるのが上手。
「ねぇ華さん。明日も明後日もずっと……僕と一緒にいてくれませんか? 一緒に傍で、生きていて欲しい」
三十も年齢が違う男性から化粧を施してもらうのが日課になっていた。勇翔君はウエストポーチから口紅を取り出すと手慣れた仕草で私の唇に当てようとして……躊躇いがちにそれを止める。日課を特別に混ぜてしまう。
遠回しなのが奥ゆかしい。
告白の返事は「はい」か「いいえ」の二択。余命宣告をされたというのに「一緒に生きる」か「一緒に生きない」か。
散り行く落ち葉から目線を上げて勇翔君を眺めた。
ーー私はまた、行き当たりばったり?
"大失敗だわ"
いつかわかったとしても、後悔する時間なんて恐らく残されてはいない。
逸る気持ちは逸るまま、老いた身体だって死に急ぎたくはない。ゆっくりでいい、ゆっくりがいい。
華は口元を綻ばせた。
「とても素敵だわ」
満面の笑みを浮かべた勇翔君は、腕を背中に回すと優しく体重を傾ける。
冬を忘れて春を呼ぶようなーー抱擁をする為に。(終)
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