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杖の持ち主は少し走るだけですぐに目に留まった。
木漏れ日をキラッと反射する白髪が、歩く速度に合わせてふわりふわりと弾んでいる。
桜を眺める顔が、咲き綻ぶ花。
綺麗で優しくて、花弁と一緒に何処かに消えてしまいそうな不安……目に映る"儚さ"に胸が騒めく。
舞う花弁に手を伸ばすみたいに「あの……」と呼び掛けた。タイミング悪く女性の手荷物がバサッと桜の絨毯に落ちて広がったので、後に用意していた言葉はそっと飲み込む。
バランスを崩して翻る柔らかなカーディガンに、言葉の代わりに手足を差し出した。
散らばったものは春色のコスメ。
「僕が拾います」
ファンデーションにアイシャドウに口紅……
集めた春色を掛け合わせたら、きっと桜を匂わせるイメージ。
目の前にいる初老の女性に桜を重ねたいと瞬間的に思ったのは何故だろうか。
満開の桜にふと見惚れて足を止めてしまうみたいな、"綺麗"への羨望?
ーーそれとも、直感的な"恋"。
杖は預かったまま、僕自身が彼女の支えとなりたくて桜並木を穏やかな歩幅で歩いた。
* * *
「桜に混ざりたくても、ふふっ、ほら……仲間外れ」
「大丈夫、華さんは仲間外れにはなりません。此処はお花見を楽しみたい人達で溢れてる公園だし、それは僕も。ちゃんと綺麗に混ざります」
「勇翔君も冗談が……ううん、違うわね、きっと優しいのよ。年寄りにも似合う?」
「年齢じゃなくて、あなたに似合うカラーが桜色だから」
歩きながら溶け込むように親しくなった。
人との出会いが偶然なら、恋の出会いも偶然。
病気で足も指も痺れて上手に動かすことができないと苦笑する華さんに、出会ったばかりのこの日、春色のリップスティックを施して木漏れ日を落とす髪に櫛を通した。
真正面から笑顔を向けてくれるのが嬉しくて、ヘアーアレンジも心ばかりに。
鏡を覗いて「まあ!」と感嘆の声を上げる華さん。
会話を交わす度に心の染みや穴が解けて、僕の内面が驚くほど綺麗になっていくのを感じた。
ーー年齢じゃなくて、あなたに似合う男性に僕はなりたい。
失恋に重ねたメイクは、桜に似合う色。
* * *
華さんは難病を患っていて、長らく入院生活の人となった。
手術を受けたのは汗ばむ夏日だ。
小説に栞を挟み、本を閉じる。
窓から外を見渡せば、新緑が、眩い太陽の光を全身に浴びて爽やかに揺れていた。
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