【四月一日(わたぬき)の嘘】

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「大・正・解! そうで~す! 宿題なんて本当はありませ~ん。真面目な人は馬鹿を見る~!」 (は……?)  私は何が起きたか理解できず呆然とする。本当は理解しかけていた。  生徒達は何故か不満一つ漏らさず「なんだあ」と笑っている。教師はヘラヘラ顔で「この時間は自習で~す」と出て行ってしまい、教室は一気に解放感に包まれた。席の近い弥生と皐月が私を巻き込んでお喋りを始める。 「自習なんてラッキーだね! コンビニ行っちゃおうよ!」 「あ、いいな。俺アイス食べたい」   飴も宿題もこの二人は全く気にならないらしい。恐ろしい程いつも通りだ。私は二重の孤独を感じ「ちょっとトイレ!」と教室から飛び出す。  授業中の静かな廊下を、どこかに居る筈の誰かを探して彷徨った。 「ワタヌキ、居るんでしょ?」  気恥ずかしさを耐えながら宙に声を掛けると、少年はどこからともなく姿を現す。 「呼んだ?」 「さっきの、あなたの仕業? 飴も先生も。おかしなことばかり」 「おかしいことなんてないよ。この世界はそういう世界なのさ」 「……この世界?」  ここは私の知る世界ではないのだろうか? 私は突然少年が恐ろしく思えてきて、彼の気分を損ねないよう慎重に語り掛ける。 「あの、元の世界に戻して欲しいんだけど」 「ふふ。戻せなんて嘘ばっかり。君は嘘つきだね」 「どういうこと?」 「ここは君の望みが叶う、君にとって理想の世界。君が口にした嘘が本当になるんだ。こんな都合の良い世界から帰りたい筈ないよね?」 (嘘が本当になる?)  それはどういうことかと訊こうとしたが、もうワタヌキの姿はそこに無かった。  ここまで来たら、彼が人智を超えた存在だというのは疑いようもない。ワタヌキは何の為に私をここに連れて来たのだろう? まさか本当にお礼のつもりで? 「おい、何してるんだ? トイレじゃなかったのか」  慣れ親しんだ声の方を見ると、コンビニのビニール袋を提げた弥生が居た。「皐月は?」と訊くと、どうやら戻りの遅い私を探しに行ったらしい。  私は力が抜けてその場にへたり込んでしまった。弥生がギョッとして駆け寄ってくる。 「どうした? 具合が悪いのか? 保健室に行こう」  私の腕を引いて背におぶろうとする彼。いつも素っ気ないくせにいざという時は優しい。なんだ、こっちの世界の弥生も弥生のままじゃないか。 「駄目だよ、もう他の女の子にこういう事しちゃ。皐月と付き合ってるんでしょ?」 「それはそうだけど……」 「皐月のこと、好きだったんだね?」 「まあ、うん」  触れている背中が熱く、その耳が真っ赤に染まる。私は心がすっと冷えていくのを感じた。『さあ』と耳元で少年が囁く。私の口が、願望を紡ぐ。 「それ、実は嘘だったりしてね。皐月のことなんて……なんとも思ってないんじゃない?」  弥生の赤かった耳が、頬が、すっと色を潜めた。
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