20人が本棚に入れています
本棚に追加
/7ページ
天川眼鏡かけて
住職を兼任する須賀の弁に熱がこもる。
始めは様々な思想家の考えを興味深く聴いて、だがそれも国や個性を重ねるにつれ、俺の拝聴の受け容れ体制も徐々に満床に達していった。
良いんじゃないか。皆んな各々の考えに従って、出来たら迷惑かけずに生きていけば。
隣の天川も、同じく満床なのか、虚ろな視線が須賀の板書きしている範囲からずれている。
倫理なのに、眼鏡はケースのなかだ。
あれから、時間や授業を経るうち俺たちの空気は程なく通常へ戻った。
天川もすぐ普通に接してきたし、お前には、の気配なんてもうおくびも出さなかった。
だから俺もそれに倣った。
隣で顔を合わせている時の天川が大事だったし、
いくら隣だからって、隣の席であるだけで、彼の深淵に手を掛けている訳じゃないのだ。
記憶には留まらないが須賀の声の大きさだけは把握しているうち、重大な仮定が脳に閃いた。
「……あまが、天川っ」
「……何」
「俺、当たる。今日、これから当たる。今どこやってる?」
「ええ?」
「今日18日だろ。この間、8が付くから8まだって、トリッキーなパス回してきたんだよ。な、今孔子の何?」
「……見えない」
「悟り開く話まだ先だろ! ちょっと、天川眼鏡掛けて! 早く! 透君掛けて!」
「ええ、もーお……」
一方的な応酬だが、声を最小に潜めているためいつの間にか身を寄せ合っている。
天川は近頃では素と思われる率直な面も見せ、渋々という眉間を寄せたが、俺には見慣れている黒縁の眼鏡を掛けて、前を向いてくれた。
「……仁と礼だよ」
「何それ」
「教科書……キズキ君開いてないし! ……仁はひとを思う心。礼はそれに基づいた行動ってとこじゃない」
「え? 具体的にどうするの?」
「聞けばいいじゃん! ……あ、話終わる」
須賀の弁舌が終息へ向かい、この後誰かにまとめを確認させる。
俺たちは息を詰め、俺は頭の中で天川が教えてくれた内容を反復し、それが無意識に彼の机の上の手を握るという動作に連動していた。
「えー、今日は18日だから……。 出席番号18番、戸川」
眼鏡の向こうで、脱力した目がほそめられていた。
えー。
俺はその口のまま、天川の手をぐいぐいと揺らす。
めっ、ちゃフェイントだよなあ。
いや通常でしょ。
目で、ふたり会話して、そんな俺たちのやり取りなんか皆目無視のように授業は進行して、
可笑しくて、その笑いを閉じ込めるようにさらに身を寄せたら、眼鏡の反射の隙間で天川の涙袋も膨れていた。
「近い」
そう零しつつ、天川は無理に俺の手をどかそうとはしなかった。
最初のコメントを投稿しよう!