ゲンジボタル・初恋からの卒業

2/3
前へ
/4ページ
次へ
「そう言えば……」 窓の向こうに見える団地のベランダに、小さな鯉のぼりが目に入り、ホタルが訊く。 「敦史くんちって、鯉のぼり揚げてた?」 「鯉のぼりかぁ……」 彼も団地の鯉のぼりを、細めた目で見ながら、 「隣のでっかいのを見てた」 と言って笑った。 「隣の家の?」 「そう。うち、貧乏だから、そんなの買ってもらえなくて」 「うん」 「その代わり、俺の部屋から、隣の鯉のぼりがよく見えてね」 「そうなんだ。ラッキーだね?」 「だろ?だから、毎年タダで拝ませてもらってた」 「へぇー、いいなぁ……」 「でもね……」 敦史の横顔が曇る。 「……でも?」 「ある年、半分の高さまでしか揚がってなくて」 「えっ?」 意味が分からず、敦史を見つめたままでいると、彼は団地の鯉のぼりを見ながら、 「亡くなったんだって」 「……亡くなった?」 「うん。その家の子」 「えっ……そうなの?」 「うん。お母さんがそう言ってた……」 と、敦史が7年前の事を語った。 隣の家は、地主でお金持ちだった。 だけど、なかなか子宝に恵まずにいた。 やっと男の子が生まれた。 後取りが出来たと喜んだのも束の間、その子には重い障害があることがわかった。 寝たきりの息子のため、両親は、庭がよく見える部屋の窓際にベッドを(しつら)えた。 そこからは、鯉のぼりがよく見えたそうだ。 しかし、両親の願いが届くこともなく、愛息は、風薫る最中(さなか)、天に召されていった。 「その子ね、鯉のぼりが元気に泳ぐのを見ると、ニコッて笑うんだって。まるで赤ん坊みたいに」 「……うん」 「だから、亡くなった次の日だったけど、揚げたんだって。半旗のように」 「……そうなんだ」 「あっ、ごめん。しんみりさせちゃったね。せっかくのゴールデンウィークなのに」 「あ、ううん、全然。なんか、こういう言い方してどうかなって思うけど、いいお話だね」 「……だな」 敦史の顔が、優しく微笑む。 その横で、ホタルは小学校の卒業式の日の不思議な体験を思い出していた。
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加