ゲンジボタル・初恋からの卒業

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窓辺にやって来た、一匹の季節外れの蛍。 式の後、急いで外に出て駆け寄ると、ホタルを祝福するかのように旋回し、空へと消えていったんだった。 あの日以来、もう蛍がホタルの前に姿を見せることはない。 けれど、あの蛍はきっと、幼馴染みのゲンジだったのだと、今でも確信している。 ゲンジとの思い出話に、じっと耳を傾けていた敦史は、聞き終えると、 「ホタルのも、いい話だね」 と言って、また団地の鯉のぼりに視線を向けた。 「毎年……」 ホタルがポツリと言って、『柱』を見つめる。 敦史が「ん?」というふうに、ホタルを見る。 「追い越せないのが、ちょっと悔しくて」 「あぁ、そういうの、あるよね」 ホタルと敦史が、微笑しながら柱のキズを見やる。 「1年前のゲンジくんのキズには勝てるのに」 「うん」 「でも、最後……」 と、ホタルが『柱』の一番上のキズを指差す。 そこには、ちょうど9年前の日付と共に、『ホタル』の名前だけが刻まれて終わっていた。 「ホントは、ずっと追い越せなければよかった……」  声を震わせるホタルの目から、涙がポロっと落ちる。 「君の時間も、そこで止まってるの?」 敦史の潤んだ瞳が、ホタルを見つめる。 ホタルは、涙目のまま、かすかに笑みを浮かべる。それから、ゆっくりと首を振って、 「そんなことないよ」 「……そうなのか?」 「うん」 「そっか」 「でも、ホントは……」  と、ホタルは唇を噛んでから、 「まだ思い出すの。卒業の頃とか、夏祭りの頃とかになると」 「……うん」 「自分では吹っ切れていたつもりだったのにね」 「……いいんだよ。人間なんだから」  敦史がそう言って、穏やかな笑みで包んでくれる。  彼はいつもちゃんと寄りそってくれる。  そんな彼といると、自然と心が安らいでくる。 「敦史くん……」 「……?」 「もう、大丈夫だよ」 「……そっか」 敦史は、ひとつ大きく頷き、くしゃっと笑って見せた。と、 「あれ……」 小さい声を出し、ホタルの背中側の窓に目を遣った。 ホタルも振り返る。と、網戸に、小さな小さな、一匹の蛍が留まっていた。 ホタルが咄嗟に窓を開ける。 すると、その蛍は、部屋の中に入ってきて、2人の周りを旋回した。 ホタルと敦史が、片方ずつの掌を、2人揃えて差し出す。 と、蛍は、ホタル、敦史の掌にチョコンチョコンと留まってから、2人の頭上を旋回し、外へ出ていった。 2人は、窓から顔を出し、空を見上げる。 蛍は、もう一度、グルグルと回り、それからスーッと青い空に吸い込まれていった。 (あの日と同じだ……) ホタルは思い出していた。 卒業式の日を。 「4年後……」 耳元で、敦史が囁く。 「一緒に、小学校の先生になろうな」 「うん」 2人は微笑み合って、また空を見上げた。 (完)
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