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自転車を立て掛け、堤防に駆け上がる。
海は、満々と水を湛え、ゆらゆらと静かな波が揺れる。
目の前には先ほど見た十六夜のお月様。
彩歌の視線の先には、月の光に輝く、
美しい海原がどこまでも広がっていた。
彩歌は、その光景に涙が出そうになった。
心が歌いたいと渇望する。
「…」
大きく息を吸う。
夜独特の、少し冷たい空気が身体を満たした。
「~♪」
静かな海岸に、彩歌の美しい鈴音が響き渡る。
彩歌は、頭を真っ白にして、ただただ歌った。
波音の旋律。
月の指揮者。
そよ風の観客。
今この空間は、まさに彩歌のステージだった。
心が満たされていく。
彩歌は思うまま、自分の心が納得するまで、静かな海で歌い続けた。
□◆□◆□◆□
倉木岳は音大を卒業後、作曲家として活動している。
鳴かず飛ばずの時期を耐えながら、コツコツと作曲活動を続けていた。
ある時、初めて作った曲が突然バズり、爆発的に知名度が上がった。
そこから、様々なところから依頼が来るようになる。
恐ろしくなるほどの仕事が舞い込むようになり、
岳は、そんな仕事を淡々と熟していた。
クライアントの意向に沿った曲を作る日々。
仕事は増えたが、書きたい曲は作れなかった。
そんな書けない不満は、心に澱みを作り、
やがてスランプに陥り、岳は何も書けなくなった。
考えた末に岳は、それ以降の仕事をすべて断り、
受けた仕事をどうにか引き渡し、
「悪い、しばらく消えるから。じゃ」
「じゃ…って、おいっ」
一緒に活動をしていた仲間に全てを丸投げし、
そのまま雑音のない、静かな空間を求めて、姿を消した。
辿り着いたのは、とある田舎町。
岳は、海沿いの旅館に宿を取った。
「いらっしゃい。まぁ、ハイカラさんが来たね」
「すみません。飛び込みですが空いてますか?しばらく滞在したいのですが…」
「大丈夫。選り取り見取りだよ?いつまで?」
「決めてないんですが、暫くは。心が落ち着くまで」
旅館の女将は、岳の荷物を持ち、部屋へと案内する。
「ここでいいかい?うちで一番、海が見える部屋だよ」
「ありがとうございます。お世話になります」
こうして岳は、この町に暫く滞在することにした。
食事をいただき、温泉で心と身体を癒した。
夜、真っ暗な部屋で窓を開け、海の水面をただ眺めていた。
月明かりに揺れる、凪いだ海。
静かな波音が、耳に心地よかった。
そんな時、
波音に、かすかに重なる歌声。
凛とした空気に響く、美しい音色が聞こえた。
「いい声…」
岳は、その声の元を探しに、出かけることにした。
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