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「この桜の木はね。ママが小さい頃にはもうここにあったのよ」
桜の木を見つめたまま、ママが話はじめた。
「ママはね、この桜の木が大好きで。いつでもこの桜の木に話しかけていたわ。嬉しいことも、悲しいことも、全部桜の木が聞いてくれた」
この家はもともとママの生まれ育った家。結婚する時にママがお嫁に行っちゃったらお祖母ちゃんが一人になっちゃうから、それならパパがこの家で一緒に暮らすって決めたらしい。そのお祖母ちゃんも私が生まれてすぐに亡くなっちゃったから、私はお祖母ちゃんの事は何も知らない。
だけどお祖母ちゃんもきっと桜の事が大好きだったんだ。
仏壇に飾られている写真は、この桜の下でママに似た優しい笑顔をしているから。
「パパと結婚する時も、ママのお腹に花織が来てくれた時も。いつもいつも、この桜の木に話しかけてたの。なんだかね、小さな頃からずっとそこにあるから。見守ってもらってるような安心感があるのよ」
「そうなんだ」
太い幹にたくさんの枝を広げて、存在感あふれる桜の木。
確かに私も小さな頃からそこにあるから、そこにあることが当たり前で、安心感みたいなものは感じる。
「……だからきっと。花織の事も、この桜は見守ってくれるわ。これからもずっと」
「ママ? どういうこと?」
「……ごめんね」
「やだ……やだやだ! 謝んないで! なんで桜が見守るの? ママは? ママがいてよ。ママが見守ってよ。なんで? なんでそんな事言うの?」
儚げに笑うママが今にも消えてしまいそうで。
私は存在を確かめるかのように、ぎゅっとママにしがみつき続けて、思わず涙が零れた。
泣かないって決めていたけど、こんなこと言うママが悪いんだ。
なんでそんなこと言うの? なんでママも見守るって言ってくれないの?
その先にある未来を考えたくなくなるようなこと、なんで言うの?
──ねえ、桜の木。
ずっとママを見守っていたなら、ママを助けて。
私からママを奪わないで。
もっともっと、ママと一緒に過ごさせて。
もっといい子になるから。もっと頑張るから。
ただ、ママがいてくれるだけでいいの。
お願い。たった一つの願いを叶えて。
だけど、私の願いは届かなかった。
一ヶ月後。
ママは静かに逝ってしまった。
ずっと見つめ続けていた、満開に咲く桜の木の下で。
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