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27、日没に落ちる断首刀(2)
現在の時刻は、未の刻(十四時)だ。
「楊釗さん、桜綾様と短刀は、どこに?」
宮正(宮中の秩序を取り締まる役職)の楊釗に尋ねれば、彼は両手を頬にあてて弱り顔を見せる。
「いやぁ~、それがなぁ、言いにくいなぁ。言わなきゃだめかぁ?」
「刻限があるんですよ! 可愛い構えしてないで、お願いします!」
「可愛いか? そ、そうか。お前は俺のことを格好いいだけじゃなくて可愛いとも思っているのだな。ふーん、ふーん」
楊釗は袖で口元を隠し、情報をくれた。
「先ほど同僚に確認したが、桜綾は妃と一緒に咸白宮に一度戻したらしくて」
「ふむふむ」
「短刀はどっかいっちゃったんだと。残りの無花果も廃棄した」
「な、な、なんでぇ……っ」
「雨萱が犯人だとわかったからもう調べる必要もないと言われたらしいのだ。コレたぶん~、証拠隠滅されたのだなぁ、はっはっは」
わ、笑いごとじゃない。
この後宮で、もしかして宮正って頼りにならないのだろうか?
疑問に思いつつ、紺紺は「わかりました!」と駆けだした。
「咸白宮に行ってみます! ありがとうございました!」
* * *
咸白宮に戻ると、彰鈴妃は精神的な疲労で寝込んでいた。
桜綾は? と侍女たちに尋ねると、姿が見えないという。
「えーっ、監視とかないの? 自由にどこか行ったりできちゃうの? ……ど、どこに行ったんだろう……っ?」
宮正の楊釗は華蝶妃の顔色を窺って、怯えていた。
そうか、この遊戯、相手の手の内ですべてが進行するんだ。
証拠品を保管する必要ないわ、と捨てさせる命令ができて、証人も自由に逃がしちゃう。取り締まる役の宮正は、わかりやすく媚びへつらって、処刑器具に怯えちゃってる。
華蝶妃が「あの者を罪人とする」と言えば、無実の証は隠され、罪となる。
彼女が「あの者は罪人ではない」と言えば、有罪の証は隠され、罪ではなくなる。
……当晋国の後宮は、そんな場所なのかもしれない。
「ま、ま、負けない……!」
紺紺は最初に門に行って、桜綾が来ていないことを確認した。
後宮からは、簡単に出られない。
外出許可だって申請してすぐには降りない。もしも華蝶妃が許可していても、いくつかの機関を通してハンコを何個ももらって、ようやく「何日から何日まで、この者の一時外出を許可する」という許しが降りるのだ。
次にどこを探せばいいだろう?
探さないといけない!
でも、どこを? 口封じに石井戸に落とされていたり、鍾水宮に隠されていたりしない?
「とりあえず、足を動かそう……! さ、さがすぞー!」
考えているだけでは、桜綾は見つからない。
紺紺は咸白宮を出て後宮中を探し回った。
石井戸を覗いてまわり、鍾水宮にも行ってみた。
時刻は未の刻半(十五時)。
「くすくす、かくれんぼの鬼さんかしら?」
鍾水宮の侍女たちは意地悪に笑い、鍾水宮を捜索することを許してくれた。
探している最中、後ろで「やだぁ、そんなところに人がいると思っているの?」「うふふ、必死ね」と笑われたけど、気にしない!
「石井戸にもいない、鍾水宮にもいない」
華蝶妃が根回しをしているのか、事件のことは誰も知らない。
そして、桜綾の行方も誰も知らない……。
じわじわと焦燥感が湧いてくる。
えっ、次にどこを探そう。後宮は広すぎる。
そして、思い当たる場所がない。
「こら。新米さん! 走るんじゃありません」
ひたすら駆け回っていると、『ついでにさん』に引き留められた。
ついでにー、ついでにー、とあれこれ仕事を頼んでくる先輩宮女の沐沐だ。
「ついでにさん! 桜綾様を見かけませんでしたか」
「ついでにさんってなによ、新米さん」
「あっ、いえ。つい『お母さん』って呼んじゃったようなものです。気にしないでください」
沐沐はその言葉でちょっと優しい顔になった。
これは「あ~、この子、お母さんが恋しいのね」みたいな同情の目だ。
「桜綾さんは尚食局の方に行くのを見たかもしれないわ。あの人、体調不良とかでよく仕事をさぼっているのよね。恋人が病気とか言って、お休みをもらって外に出ることも多いし」
同情しつつ、ちょっと口調に棘がある。
この感情は……嫉妬だろうか?
「咸白宮は、主人が優しくてなんでも許されちゃうから楽よね。配属先がどこになるかの運ってあるわよね。世の中って不公平だわ~」
不満そうに言いながら、自分が抱えている洗濯籠を押し付けようとしてくる。ちゃっかりしてる。
「あ、それとあなた。ついでに、頼まれごとを……」
「すみません、今忙しいです!」
洗濯籠を押し返して、紺紺は走り出した。
視界に、ちらりと雨春が見えた。
紺紺に気付かず、魔除けのお札を花瓶に貼っていた。尚儀局のお仕事なのかもしれない。
* * *
――尚食局に来た。
お天気は曇り空で、気温はどちらかというと涼しいけれど、走り回ったせいで暑く感じる。
「そんなに急いでどうしたの? おやつに桃饅頭をどーぞ? あーん」
桜綾の姿は見当たらない代わりに、萌萌が話しかけてきた。
白い花が浮かんだお茶を飲ませてくれて、桃饅頭を「どーぞ」と差し出してくる。美味しい。
「桜綾様を知らない? 今探してて……んぎゅっ……もぐもぐ……甘……」
「小蘭に聞いてみたら? あの娘、さっきお仕事で立ち寄って『紺ちゃんや桜綾様にもお饅頭をあげたいな』ってお饅頭を二個持っていったよ」
話によると、小蘭は桜綾とよく個人的に会っているのだという。
「ほら、小蘭ってお母さんが病気だったでしょう。それで、病気の身内がいる仲間ってことで、前からよくお薬のこととか話してたみたい」
「そうなんだ? し、知らなかったよ。蘭ちゃん、最近はお母さんのこととかお薬のこと、あんまりしないよ。桜綾様とよく話すとかも、聞いたことなかったよ」
「うーん。同じ境遇の相手としかできない話って、あるからね。それに、誰とよく話してるとかいちいち言わないでしょ。私だって『ついでにさん』とよく世間話で盛り上がってるけど、わざわざみんなに言わないよ。気にしない、気にしない」
そっか。友達って、なんでも打ち明けるものでもないんだ。
考えてみたら、私だって「私、実は傾城なんだよ」とか教えてないもんね。
萌萌が「小蘭はあっちにいったよ」と教えてくれたので、紺紺はお礼を言って走り出した。
贈り物をもらうと、一時的にだけど、元気が出る。身体機能が増す。
だから、普通の娘だと「もう疲れた」となるくらい走り回っていても、まだまだ元気だ。全力疾走ぶりに、周りの人たちがびっくりしてる。
「あの娘、病弱なんじゃなかった……?」
囁き声が聞こえるけど、気にしない!
「あっ、紺ちゃん。そ、そんなに走って、何かあったの……?」
小蘭は、書庫にいた。お団子頭に真珠の花釵をしていて、平穏な日常の象徴みたいに可愛らしい。
方卓の上には桃饅頭が一つ置かれていて、小蘭は竹や絹でできた書物を布で拭き、棚に整頓している最中だった。
「あとでお饅頭を咸白宮に持っていこうかと思ってたんだよ。紺ちゃん、そこの方卓に置いてる桃饅頭、食べる?」
「ううん。さっき食べたから……えっと、蘭ちゃん、桜綾様に会ったりした?」
「ん」
紺紺は首を振りつつ、話を切り出した。
唐突な切り出し方で「会話が下手ぁっ!」って自分でも思ったけど、時間が惜しい。
「蘭ちゃん、桜綾様のこと、知ってる? 病気の恋人がいたの? 私、今すごく急いで調べてて。ご本人の行方も探してて」
「そ、そうなの? えっと、桜綾様の恋人さんは、だいぶ悪いみたいで……もう、いつ亡くなるかわからないって」
勝手に言っていいのかな、と迷いながらも、小蘭は教えてくれた。言いにくそうに、悲しそうに。
「えっ」
紺紺は息をのんだ。
恋人、亡くなりそうなんだ。
「桜綾様、あっちにいったよ。でも、なんだか『前からやりたかったことがやっとできた、うまくいった』ってすごく興奮してて……目がぎらぎらしてて、笑ってた……こ、怖かった」
小蘭は身震いするように自分の手で自分の肩を抱き、言葉を続けた。
きっと、怖かった出来事をひとりで持て余していて、誰かに話したかったんだ。
紺紺はそう思った。
「あのね、紺ちゃん。私、『ばいばい』って言われたんだ。桜綾様、一人になるって言ってた。一人にしてねって言ってた。行かない方がいいかも」
『前からやりたかったことがやっとできた、うまくいった』
――それは、雨萱を罪人にしたことだろうか。
桜綾は、それを喜んでいた?
「……ありがとう、蘭ちゃん」
「追いかけてくる人がいたら引き留めてって言われたよ……桜綾様、逃げるんだって、言ってた」
――逃げるんだ。
華蝶妃の声が、脳裏で蘇る。
『自分が純真なように、他人もそうだと信じている幼さがあるのね……?』
そうではないか、と思っていた。
桜綾様は、『私がやりました』なんて言う気がないんだ。
今回の事件は、「やりたかったこと」なんだ。
成功して喜んでるんだ。
勝ち逃げする気、満々なんだ。
「紺ちゃん、桜綾様って……どうなっちゃうのかな」
小蘭は少し迷ってから、おどおどと打ち明けた。
「桜綾様、アヘンを買ってた。恋人の人の苦痛がましになるからって。薬漬けになって、もうお薬を切らせなくなっちゃったって。それでお金がないって」
や、やめて。
紺紺は耳を塞ぎたくなった。
そういう背景事情を、聞きたくない、と思ってしまった。
「紺ちゃん、あのね。桜綾様……御花園の方に行ったよ」
不安で仕方ない、怖い、という気配が伝わってくる。
紺紺は遠くで鐘が鳴るのを聞きながら小蘭の手を握った。もうわかったよ、と言うように。
「教えてくれてありがと、蘭ちゃん」
「行くの?」
「うん」
御花園へと駆けだす頬に、ぽつりと水滴が落ちる。
雨が降ってきたのだ。
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