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28、日没に落ちる断首刀(3)
空が泣いている。
ぽつり、ぽつりと雨が落ちて、地面が濡れていく。
土を踏みしめて駆けだした時は、正直――「今のお話は、聞きたくなかったな」と思ってしまった。
同時に、芥子の匂いが御花園の方から感じられるのに気付く。
芥子は、アヘンの原料だ。
……桜綾だ。
向かう先にいるのは、間違いない。
彼女には、病気の恋人がいるらしい。
恋人は、いつ亡くなるかわからないらしい。
お金に困っていたらしい。
心身ともに疲れていたのは、明らかだった。
単に脅されただけとか、悪意なしで心苦しく思いながら雨萱を罪人に仕立て上げたわけでは、ないらしい。
「……どっかん、どっかん」
それは、明るい気分になるための、おまじないの言葉。
自分に言い聞かせながら、紺紺は駆けた。
みんなみんな、幸せでいてくれたらいいのに。
何も嫌なことなく、元気で笑っていてくれたらいいのに。
悲しいことも辛いことも、不幸なことは何一つない世の中だったらいいのに。
みんなみんな、仲良しだったらいいのに。
……悪人が、本当は良い人だったらいいのに。
それか、まったく同情の余地がないくらいの悪でもいい。
感情がないとか、心がないとか、そんな化け物なら、何も思うことなく、退治して終わり。めでたし、めでたし。
なのに、現実は、そうじゃないんだ。
「どうして、嘘がまかり通ってしまうのだろ。なぜ、悪いことをしていない人が悪いことをしたことにされてしまうのかな。なんで、お父様の名誉を回復してあげられないの」
どうして? なぜ? なんで?
理不尽に思える。もやもやする。反発したくなる。
否定したくなる。異論を唱えたくなる。
違うでしょう? それはだめでしょう?
……そう質問して、同調意見を集めて回りたくなってしまう。
みんな、そう思わない? 私はこう思う。
聞いて。聞いて。聞いて。
ねえ、私がおかしいのかな?
世の中が残念だと思うんだ。おかしいと思ったんだよ。
嫌な気分になったんだ。
悲しいと思ったんだ。ひどいと思ったんだ。
そのままにしておきたくない、覆さないとダメだと思った――――ダメ。
ダメ、ダメ、ダメだ。
十年前、霞幽に誓ったのに。
『今までの私は、死にました。私は争いを望みません』
そう言って、公主の自分は死んだのに。
だから、こんなことを想ってはいけない。
「なんで、岳将軍は裏切ったんだろ。民衆は、どうして言われたまま信じてしまったんだろ? お父様はとっても民想いだったのに、なんで、なんで、なんで……」
こんなことを考えちゃダメなのに。
……ダメなのに。
「天はどうして、人を救ってくれないの」
ぴかっ、と閃光が一瞬走って、ざあざあと雨が勢いを増していく。
雨が地面を叩く音は、耳障りに聞こえてならなかった。
紺紺は、耳がいい。
他の人間が平気なときも、「音が大きいな」と感じるときがある。
『世の中って不公平だわ~』
沐沐の声が、脳裏に過る。
「私は、普通の人間がよかった。
望んで半妖に生まれたわけじゃ、ない」
みんなと同じがいい。
平凡がいい。
自分が人間だと思いたい。
なのに、日常を過ごしているだけで、音が、匂いが、「君は普通じゃないよ」と自覚させるのだ。
「……破滅の、悪女」
先見の公子――未来を預言する能力者である霞幽がそう呼んだのを、ずっと覚えている。
『見えている禍の種』……霞幽は、紺紺をそう定義した。
都に来る時にも「悪女にならないでね」と念を押していた。
自分は人間ではなく、実はとっても狂暴な化け物なのかもしれない。
普段は人間ぶっているけれど、何かのはずみに理性を失い、暴れてしまうのかもしれない。
いつか「悪女」とか「妖狐」と石を投げられて、みんなに嫌われて、殺されてしまうのかもしれない。
どっかん、どっかん。
心の中で感情があふれて、乱れて、行き場をなくして暴れ狂って、爆発しそう。
思考を切り替えないと。
今は、行き場のない感情を持て余している場合じゃないんだ。
そんなものは、ひっそりこっそり胸の奥に隠してしまえ。
仕舞っておかないと、ダメなんだ。
そうしないと、悪女になっちゃう。誓いを破っちゃう。
……霞幽様に、殺されちゃう。
正晋国はもう取り戻せないし、父の名誉も回復してあげることはできない。
でも、雨萱は助けられる。
白家を守ることは、できる。
「破滅の未来は、私が変える。雨萱様を、彰鈴妃を……霞幽様を、私が助ける!」
奥歯を噛みしめ、紺紺は雨の中を走った。
途中、ぬかるんだ泥地に足をとられて、べちゃっと転んでしまって、情けない気分になる。
慌てすぎだ。焦りすぎだ。
でも、急がないといけない。
両手を地面について、がばっと立ち上がって。
ぱしゃりと泥水を撥ねて、また走り出す。
ざあざあと地面を叩く雨の中、池が見える。
人影がある。女性だ。
池のほとりに目的の人物を見つけて、紺紺は叫んだ。
「――桜綾様!」
「……!」
振り返った桜綾は紺紺と同じくらいずぶ濡れで、カタカタと震えていて真っ青だった。手には、短刀が握られていた。
紺紺は、まっすぐに前を向いて、彼女に近付いた。
「桜綾様、一緒にきてください」
時刻は、甲の刻半(十七時)。
刻限まで、あと少し。
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