1章

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33、玄武の珠、白虎の珠  毒殺未遂事件から数日。  紺紺(コンコン)は、風邪と疲労で寝込んでいた。    寝込んでいる間は、夢をよく見ていた。  起きてから思い出せない夢もあれば、思い出せる夢もあった。  楽しい夢もあれば、怖い夢もあった。    その日見たのは、不思議な夢だった。    どこかわからない場所で、血まみれになった悪女の自分が死ぬ夢である。  時間帯は、夜だった。月が出ていた。  近くには霞幽(カユウ)がいて、懸命に呼びかけてきた。 「紫玉(しぎょく)公主……!」    必死な声だ。  それに、表情が歪んでいて、人間の青年らしさを感じさせる。 「公主……? きこえますか?」  悲痛な声だ。  紫玉(しぎょく)は返事をしてあげたくなった。  けれど、とても眠くて、怠くて、もう、目もあけられない。    少しだけ疲れた。眠りたい。手を握っていてほしい。  唇を動かして、声とも呼べないような(かす)かな囁きを返すと、霞幽(カユウ)は手を握ってくれた。  ひんやりとしていて、冷たい指先だった。   「誓います」  彼は、何かを誓ってくれるようだ。なにを? 「どんなに困難でも、何を失っても……必ず、私があなたを幸せにしてみせましょう」  * * *    ……いい匂いがする。  水の中の泥土から伸びて、水面に顔を出して清らかに咲く(はす)の花の香りだ。  霞幽(カユウ)の香りだ。   「霞、ふにゅっ!?」  唱えかけた唇に、ぷにっとした肉球があてられる。  ぱちりと目を開けると、白猫の『先見の公子』が顔を覗き込んでいた。    今まで紺紺は眠っていて、たった今目覚めたところなのだ。  今は、毒殺未遂事件の三日後。  紺紺は風邪と疲労で寝込んでいたけれど、だいぶ体調がよくなっている。  ……と、数秒の時間をかけて、紺紺は自分の置かれている状況を把握した。 「ふ……、ふにふに」 「にゃあ」  唇にあてられていた猫の手がずらされて、額にあてられる。  肉球が気持ちいい。    白くて清潔感のある臥牀(しんだい)。ぬくぬくのお布団。  ここは、咸白宮(かんはくきゅう)にある、自分の部屋だ。  毒殺未遂事件の後、桜綾(ヨウリン)は処刑された。  恋人の男を抱かせ、生きたまま一緒に埋葬されたのだという。想像するとなんともいえない気分になる処刑方法だ。  そして、雨萱(ユイシェン)に対しては最期まで「憎らしい。嫌い」と言い続けていたらしい……。雨萱(ユイシェン)は、それを聞いて悲しそうにしていた。    鍾水宮(しょうすいきゅう)の処刑場は、「妃の一存で勝手に(ちん)の人材を裁くことは許さぬ」と布告が出され、取り壊しが決まった。  また、『黒貴妃』華蝶(カディエ)妃は要注意処分となり、黒家の家宝『玄武の(たま)』を没収された。  四大名家には、それぞれ『朱雀』『青龍』『白虎』『玄武』の加護が与えられた珠がある。  その効能は開運招福と世間に伝えられているが、先見の公子が教えてくれた話によると、「そうではない」。  本当の効果は「術師が事前にひとつだけ術を籠めることができる。条件付きだが、珠の所有者は術を引き出して行使できる」。  ……『玄武の(たま)』には、魅了の術が籠められていた。  籠めた術師を尋ねたところ、黒家は「十年前に妖狐と縁があり、術を籠めさせた。その妖狐はもう死んでいる」と回答した。    ちなみに、華蝶(カディエ)妃には、前述の処分以外にも皇帝が直々に折檻(せっかん)もした、というのだが、詳細は不明である。  「後日教えてやろう」という言伝てを先見の公子が微妙に不安そうに教えてくれたので、後日わかるらしい。  もちろん、雨萱(ユイシェン)彰鈴(シャオリン)妃は無罪となった。  紺紺は療養中だ。  事件の間、後宮中を駆け回っていた点……特に、桜綾(ヨウリン)を担いだり、断首刀を手で止めたことは、皇帝が『玄武の(たま)』を使って「そなたらは何も見なかった」と思いこませてくれた。  皇帝は「任意で正体を明かして構わぬが、正体を隠したほうがやりやすければ隠したままで継続せよ」と言ってくれたので、紺紺は今後も正体を隠し、咸白宮(かんはくきゅう)の侍女として任務をするつもりでいる。    ……お見舞いに来てくれる友達もできたことだし。   「あっ、紺ちゃん。おはよう。お邪魔してます」  ぺこんっと頭を下げた小蘭(シャオラン)と、青ねぎが散らされたお米の粥を見せて「食べられそう?」と聞いてくる萌萌(モンモン)。  そして、姉と一緒に部屋の観葉植物に水を差してくれている雨春(ユイシュン)。  彼女たちは「こんなことがあったよ」「あんなことがあったよ」と日常のおすそ分けをして、体調を気遣ってくれた。 「また来るね」 「早く元気になってねえ」  正体を明かしたら、みんなはどんな顔をするだろう。  * * *   「清明節に主上が剣舞を奉納するでしょう? 他国からのお客様もいらっしゃるらしいのですが、なんとその席には『九術師』の方々も参加なさるのですって。わたくしも珠簾(しゅれん)ごしの席で参加予定ですの。『傾城』様が見れるかもしれませんわね」  咸白宮(かんはくきゅう)の主、彰鈴(シャオリン)妃は、自身も心身疲労を抱えているのに、侍女の見舞いにやってくる奇特な人だ。   「友人が集まってお話している雰囲気が癒されるのですわ。お邪魔しませんから、端っこにいさせてください」    上級妃の言葉とは思えないようなことを言い、本当に部屋の端っこで座ってお茶をすすったりしている。時には「わたくしが作りましたの」と言っておやつを配ったりする。  変わり者……あるいは、一種のつらい現実からの逃避行動なのかもしれない。 「紺紺ちゃん。お熱はだいぶ下がりましたのね。よかったですわ」 「彰鈴妃、風邪がうつってしまいます」  そんな彰鈴(シャオリン)妃は、今、白猫を抱っこして侍女である紺紺のおでこに自分のおでこを当て、熱を測っている。   「外にお散歩できるようになったら、お庭をみてほしいですわ。実家の兄が梨の花を贈ってきましたの。子なしと仰りたいのかしらお兄様? うふふ。嫌い……いつか傾城様に兄をやっつけてほしいですわ~!」  笑顔が黒い。  そして、そのお兄様はあなたの腕に抱っこされてる猫ちゃんなのですが! 「そのような意味ではなく、きっと単純に妹君への愛情表現なのではないでしょうか? 梨の花言葉は、『愛情』『癒し』『慰め』ですから!」 「うふふ。あのお兄様に『愛情』『癒し』『慰め』なんて、似合いませんわ。たぶん、そういった人情を持ってないと思いますの」 「そんなこと仰らないであげて」  そこにご本人がいるんです。やめてあげて。   「紺紺ちゃんは優しいのね。うふふ。さて、わたくしも長居してしまいましたけど、公務をしてまいります。ゆっくりお休みになって、早くよくなってね、紺紺ちゃん」    彰鈴妃が退室していく。  白猫を臥牀(しんだい)に残して。  扉が閉まって、紺紺は目を閉じた。  じーっと見てくる白猫の視線が痛い。そして、沈黙が怖い。    寝てしまおう。    心の中で羊を数えていると、おでこに何かが当たる感触がした。 「……?」  そっと目を開けてみると、そこには人間姿の先見の公子のご尊顔があった。  妹の真似をしたのか、自分の額を紺紺のそれにくっつけている。    ……距離が近い! 「んぎゃっ」  悲鳴をあげると、麗しのご尊顔はサッと離れていった。 「紺紺さん。そんなに嫌がらなくてもいいじゃないか?」 「びっくりしたので」  布団を引っ掴んで顔を隠すようにすると、先見の公子は「おやすみ」と言って布団を撫でた。 「風邪がうつってもいけませんから」  この人、風邪を引いたりするんだろうか?  疑問を抱きつつ言えば、「気遣いをありがとう」と平坦な声が返ってくる。 「妹を助けてくれてありがとう。心からお礼を申し上げる」  先見の公子はそう言って、ぽふぽふと布団を労った。  「その言い方は自分が霞幽だと言っているようなものでは」と思いつつ、紺紺は「どういたしまして」とだけ返事をしておいた。 「おかげで、妖狐の目星もついたように思う」 「妖狐は……胡月(フーユエ)妃? でも、彼女の魅了の術も、紅家の家宝によるものという可能性もありますね」 「妖狐は、そう何人も我が国に関与していない。胡月(フーユエ)妃だと考えていいだろう」  穏やかな声に、紺紺は布団にくるまったまま、力を抜いた。そして、布団の端からちょっとだけ顔を出した。 「君は心配せず、休んでいなさい」  先見の公子は木漏れ日のような声で言って、猫に変身した。  変身する一瞬、指に填めた指輪の珠が霊力をあふれさせた気がする。  ……指輪は、白家の家宝なのだろうか?   と、見ていると、思いが伝わったらしい。 「白虎の(たま)という」 「家宝で変身なさっていたんですね」 「その通り。とても優秀な術師のおかげなんだ。さあ、またおやすみ。君には休息が必要だよ」    白猫の先見の公子は、真っ白でふわふわの毛を撫でさせてくれた。  さらっとしていて、もふもふ、ぬくぬくとしていて、暖かい。   「おやすみ、紺紺さん」 「おやすみなさい、先見の公子様」  ふにゃりと笑うと、猫は喉を鳴らして目を細めてくれた。  まるで笑い返してくれたみたい。  紺紺は嬉しくなった。
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