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「これ、どうなってんだ!! おい、春太ぁ!!」
声を荒げたのは、社長だった。
手元には肉入りのスープが入った容器が握られている。
この会社が運営する飲食店で提供している商品だ。
駆け寄ったハルタくんに社長は烈火のごとく怒鳴った。
「くそ不味いスープ出してきやがって……。用意はてめぇんとこだよなぁ!? 俺の会社じゃ、こんな味の商品は出してねぇぞ!!」
「……申し訳ございません」
花見会の雰囲気は一気に冷え込んた。
社長の怒りの原因となったスープを見て、他の社員たちは一斉に息を飲む。店の看板メニューである豚モツのスープ。開店以来、ずっとフレッシュな生の豚モツを使用してきたことで徐々に人気が出た商品だったが、生の豚モツの管理にかかる費用を気にした社長の指示で、数週間前からロスの少ない冷凍肉に原料が切り替えられていた。
看板商品の味が落ちた原因は、社長が肉の仕入れ先を変えたことにある。
その事実は、全社員にとって自明のことだった。
分かっていないのはただ一人、社長だけだ。
今ここで責められているのは、花見会の準備を押し付けられて商品を用意したハルタくん一人だが、実際はどこの店舗であれスープの味は変わらない。
けれども、誰もその事実を言いだすことができなかった。
社長の高圧的な態度に長い間さらされ続けてきた社員たちには、もはや彼に逆らう気力すら残っていなかった。
「俺一人に謝って済む問題じゃねぇだろう!! お前が適当な商品を出したせいで、頑張っている他の社員全員に迷惑がかかるんだ!!」
「本当に、申し訳ございません!!」
「……口だけでペラペラ謝りやがって。だったら土下座しろ、春太」
「……え」
「ここにいる社員全員に、土下座しろっつってんだよ!!」
社長の剣幕に、ハルタくんは青ざめて言葉を失っていた。あまりに酷い仕打ちだった。ハルタくんは何も悪くない。この花見会だって、疲れた身体に鞭を打ってなんとか準備をしたのだ。唇を震わせているハルタくんの姿を目の前にして、藤乃の頬にはつーっと涙が伝った。
こんなの、ひどすぎる。
ハルタくんの頑張りが、あまりにも報われない。
涙で歪む藤乃の視界の先に、ぬるりと伸びた、奇妙な形の頭があった。
ぬらりひょん。
声を荒げる社長の隣で悠然と盃を傾けている妖怪は、そのしわくちゃな皴の奥にある瞳で、藤乃のことをじっと見つめていた。
藤乃は、ハルタくんの側に居たかった。
たとえ自分の事を忘れてしまっているのだとしても、彼の助けになりたかった。
だから、故郷を遠く離れたこの土地まで彼についてきたのだ。
けれど、藤乃が側にいることがここまでハルタくんを苦しめる一因となってしまったならば、望みは捨てなければならない。
ぬらりひょんの瞳は、まっすぐに藤乃を見つめている。
藤乃は意を決し、立ち上がった。
黒いおかっぱ頭を振りかざし、怒声を放つ社長の方に向かっていく。
突如として行動を起こした藤乃の姿を、ハルタくんが目で追った
けれど、怒り狂う社長も、周りにいる社員たちも、ハルタくん以外は誰一人として、藤乃の行動に意識を払っていない。
当然の事だった。
藤乃の姿は、普通の人間の目には見えない。
ハルタくんを睨みつける社長の前に立ち、藤乃は人差し指をビッと伸ばして、それを真っすぐに突き付けた。
「……私、あなたの会社を出ていきます。ハルタくんの為にならないって分かったから。退職です。永遠にサヨナラです。一身上の都合により、です!!」
藤乃は叫ぶように言い放った。
社長の耳には、やはり届いていない。
しかし、その隣に居たぬらりひょんの口元は、ニヤリと動いた。
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