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そう言われても、まだ何もわからない。機内には三百人ほどの乗客がいる。みな成田に到着した後は、予定が詰まっているに違いない。それらがすべて自分の診断にかかっていると思うと、責任の重さに押しつぶされそうだった。
篤は声を大きくした。
「少し、時間をください。まだ何もわかりませんので」
CAは頷いた。
周りの乗客からの熱い視線を感じるが、今は患者の診察に集中しなくては……。
脈を取った。脈があまり触れない。これは血圧が低下している証拠だ。全身を探った。麻痺しているところはない。口からかなりのアルコール臭。どうやら酒を飲み過ぎているようだ。
ふっと患者が目を開けた。急いで質問した。
「私は医師です。質問に答えてください。失神する前の様子を話してください」
男性はぽつりぽつりと話し出した。
「昨夜は最後の夜なので、深酒をしてあまり寝ていません。今日も機内ですることがないので、ついついワインを飲み過ぎました。気分が悪く、視界が暗くなり、腹痛を覚えたので、トイレに行きました。大きい方をして立とうとしたら、ふらついて意識がなくなりました」
これは迷走神経反射だ。脳の血流量が低下して起きる症状だ。これなら、横になって休めば、脳の血流が良くなって症状は改善する。現に意識も回復している。
篤は本人にもその旨を手短に話し、安心させた。CAにも結論だけ繰り返し、「緊急着陸は必要ない」と伝えた。彼女は明るい表情で、「機長に伝えます、ありがとうございました」と言った。篤は安堵して、席に戻った。
剛田が待ち構えていた。
「浜中さん、ご苦労様。その分では、うまくいきましたね?」
篤は微笑みで答えた。
「ええ。よくあるタイプの失神ですから、横になっていれば回復します」
「ところで、患者はどんな人でした?」
篤はあたりに聞こえないように声を殺した。
「日本人の男性で、五十代くらいです」
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