1.宇津美万吉の憂鬱

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 一応、今日はまだ休診である。元則は想定外だったが。  万吉は仁から借りたママチャリにまたがって、ある場所へと向かっていた。 「あらあ、あなたが新しく来たお医者さん?」  花屋のおばさんは、間延びした調子で言った。神経痛が酷くて、と話を始めた彼女に、万吉は淡々と診察開始日だけを伝え、さっさと花を買って店を出た。  そのとき買った花は、ママチャリの籠に入っている。舗装されていないでこぼこした道にバウンドする度、菊の花はその匂いを漂わせる。  ……あいつのために、少し大袈裟すぎたかな。  頭上には真っ青な青空が広がっていた。万吉はそれを見上げて、遠い日のことを思い出していた。  彼がこの町に来たのは、もう一つ理由があった。 「万ちゃん、お医者になるんだろ? 凄いなあ」  高校時代に仲の良かったその人物は、なんともふざけた名前だった。 「僕? 僕はね、探偵になるんだ! はは、凄いだろ?」  彼の名前は、金田(かねだ) (はじめ)と言った。  実際、彼は本当に探偵になるのではなかった。警察学校に行くために猛勉強していた背中を今でもよく思い出せる。その頃は、医大に進むためにまた猛勉強していた万吉と、切磋琢磨し合っていたものだ。一は夢を叶えて、見事刑事としてその職を全うした。  ――なあ一、お前は刑事として、本当にやりたいことができたのかい。  唯一無二の親友に、一度そう聞いてみたかった。けれどもう、その僅かな願いも叶わない。  彼はもう、この世にいないのだから。  一だけは本当に、信頼できる友人だった。彼にだけは、自分の不思議な力を打ち明けることができた。  一は万吉のことを不気味に思ったり、馬鹿にしたり、僕も見たいなんて言い出したりはしなかった。 「人間何億といるんだ。不思議な力を持ってる人なんて、いたっておかしくないじゃない」  そんなことを気にしている自分が、やけに馬鹿らしく思えて、そのときは恥ずかしさを紛らすために、大袈裟に笑ったものだ。  とうとう目的地が見えてきた。彼の眠る、桂田霊園が。
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